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ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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ほのさんの学校生活と、特別支援教育についての覚書。

感動的な入学式も、なんだか遠い昔のよう、

慌ただしくも充実した新生活が始まって1か月足らず。


ほのさんは、すっかり訪問の授業にも慣れてきて。

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楽器にあわせて歌をうたったり、

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先生のお膝のうえでもご機嫌で、

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手に絵の具を塗ったって、もう泣いたりしないし、

とにかく、あたらしいことをするということが、

心から嬉しくて、楽しくて、仕方のない様子。


授業のない日は、うんともすんとも言わずに、
ただひたすらふかーい眠りに落ちて過ごす時間も多く、

いくら呼びかけてもおしゃべりしないものだから、
みなさんに心配されたり、

ほのさんのおこえがきけなくて さびしいなあ

って言われたり。

それでも学校の先生がいらっしゃるとパキッと起きることも多く、

うんっ、とか、うんうーん、とか、

先生の問いかけに、さまざまにお返事できるようになりました。

これまでやったことのないことに取り組むときは、

スーッスーッと声をひそめて、目をぐっと見開いて、
目を吊り上げて真剣な表情をして、
全身で、いま何をしているのかを受け止めている様子で、

あるいは、あんまりびっくりすると涙をほろりと流すこともあったり。
(ほのさんの手のひらがフライパンになって、目玉焼きが焼けた、
という手遊びの時には、あんまりに衝撃的だったのか、
涙がほろり、でした 笑)


あんまり一生懸命に取り組んで、はりきってお返事などしていると、
疲れてしまわないかしらと心配になることもあるけれど、

そのあと、くーっと眠りに落ちたり、
あるいは何日間か、ほとんど起きなかったり、
具合が悪くなることも無く、
自分でちゃんと調整ができるようになったみたいで、
それも大きな変化。


それから、授業は、
自分のベッドからソファーベッドに移動したり、
先生のお膝に乗ったり、
座位保持椅子に座ったりと、

たくさん移動して、いろいろな姿勢を取るので、
授業が終わってベッドに戻ると、

もう自然にたくさん痰が上がってきていて、
これまでみたいに雑音が取れないとれないと言って
ものすごく時間がかかる、ということもほとんどなくなった。

授業が始まったことで、これまでのケア時間などがずれたりしたけど、
自然に痰が上がってきてくれるので、
時間がずれたことで体調が狂うということもなく、
授業の良い影響と、
ほのさんの体力がついたことをひしひしと感じている。

いやあ、小学生って、スゴイ。

本当に。



授業がはじまったことで、
毎日、午前も午後もびっしりと予定が詰まって、
かあさんが息つく間もなくなることで
かあさん自身の体調もちょっと不安だったけど、
ほのさんがこれだけ授業を楽しみにしていること、
ぐんぐんと新しいことを吸収して、受け止めてくれていること、
またその様子をそばで見られること、

それがかあさんにとってもすばらしく嬉しことで、
忙しい生活の励みになっている。

これからは少しずつ、登校させてみよう。




こうして始まった、ほのさんの学校生活。

特別支援学校の訪問授業は、
ほのさんにとって本当に大きな大きな経験であり、
今後の成長がますます楽しみになってきたわけだけど、

そもそも特別支援教育というものがなんなのか、
入学に向けて行なってきた、疑問の多かった就学相談とか、
あるいは「教育」そのものが一体どういう意味を持つのか、
ということを、少し考える機会となった。


平成16年6月、「学校教育法の一部を改正する法律」が成立、
平成19年4月、改正法が施行。

従来の「特殊教育」は「特別支援教育」に改められ、
盲学校、聾学校、養護学校が、特別支援学校に一本化された。

その後、「障がい者の権利に関する条約」に規定された、
「インクルーシブ教育」の実現に向けて、
特別支援教育の今後が問い直されている。


この、「特別支援教育」への転換による大きな変化は、

それまでの「特殊教育」が
「障害の程度等に応じて特別の場所で教育を行う」ことだったのに対して、

「障害のある児童生と一人ひとりの教育的ニーズに応じて
適切な教育的支援を行う、としたことだという。

特別支援教育の推進に当たり、文科省は、

「特別支援教育は、障害のある児童生徒の自立や社会参加に向けた
主体的な取り組みを支援する視点に立ち、
幼児児童生徒一人ひとりの教育的ニーズを把握し、
そのもてる力を高め、
生活や学習上の困難を改善または克服するため、
適切な指導および必要な支援を行うものである。

とした。

そして、特別支援教育が行われるべき「対象」「場所」についても、

「これまでの特殊教育の対象の障がいだけでなく、
知的な遅れのない発達障害も含めて、
特別な支援を必要とする幼児児童生徒が在籍する全ての学校において
実施されるものである」

とした。

さらに、

「特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒への教育にとどまらず、
障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ
様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の基礎となるものであり、
我が国の現在及び将来の社会にとって重要な意味を持っている」

としている。


つまり、これらのことを噛み砕いて言うならば、

特別支援教育の大きなポイントは、

①これまでの「障害種別」ではなく、「教育的ニーズ」に焦点を当てた教育であること

②軽度の発達障がいを伴うといわれる子どもたちへの支援もその範疇であること

③特別支援学校はその「センター的機能」を担う場所であること

となる。



それでは、この特別支援教育が抱えている問題はどこにあるのか。


まず、さきほども出てきた、
「障がい者の権利に関する条約」において、教育というものがどう規定されているかというと、


a 障がい者が障害を理由として教育制度一般から排除されないこと
及び障害のある児童が障害を理由として無償かつ義務的な初等教育から
又は中等教育から排除されないこと

b 障がい者が、他のものと平等に、自己の生活する地域社会において
包容され、質が高く、かつ、無償の初等教育の機会及び
中等教育の機会を与えられること

c 個人に必要とされる合理的配慮が提供されること

d 障がい者がその効果的な教育を容易にするために必要な支援を教育制度一般の下で受けること

などと記されている。


この障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備を行うため、
平成21年12月、民主党政権は内閣に「障がい者制度改革推進本部」を設置。

同会議では、

①「障がいに基づく分離」制度の廃止

②地域の小学校への学籍の一元化

③本人や保護者が特別支援学校や特別支援学級を選択する選択権の保障

などを議題として扱った。



一方、就学先の決定についてはどのような仕組みになっているかというと

「原則として、市町村の教育委員会が就学時の健康診断を踏まえ、
就学基準に該当しない場合は小(中)学校への入学期日等を保護者に通知し、
該当する場合には特別支援学校への就学を都道府県教育委員会に通知する。

ただし、障害のある児童の就学に当たっては、平成14年の学校教育法施行令の改正により、
専門家の意見聴取が、
平成19年の同施行令改正により、
保護者の意見聴取が市町村の教育委員会に義務付けられた。

また、就学基準に該当していても、市町村の教育委員会が、
小中学校において適切な教育を受けることができる特別の事情があると認める児童生徒については
小中学校に就学させることが可能となった。

なお、多くの市町村で教育委員会が適切な就学指導を行うため、
障害の種類、程度に応じて教育学、医学、心理学等の観点から
総合的な判断を行うための審査・審議機関である就学委員会を設置している。




小難しい内容のことを書き連ねたのは、
自分自身の整理のためと、
障がいをもった子どもたちの教育についての実際が、
何に基づいて行われているのか、行われていないのか、
ということについて考えるにあたって、
とても大事なことであると思ったからだ。


ほのさんのように特別支援学校への入学を希望している場合、
年長さんの年の4月から、「就学相談」というものが始まり、
教育委員会の特別支援教育コーディネーターと呼ばれる人を通じて、
就学委員会に就学先をどうするかについて意見をうかがわなければならない。

これは、
「もし特別支援学校への入学を希望している場合は、教育委員会に連絡してください」

などとどこかで教えてもらうこともなかったし、
先に記したとおり、
就学前健診の案内が9月に送られてきて、
普通に地域の小学校に健康診断に連れて行って初めて、
「お宅のお子さんは地域の小学校は無理です」と言われたり、
「うちは特別支援学校を希望しているんですけど」となったり、
あるいは、健康診断自体に連れていくことができなくて、
はじめて教育委員会などに問い合わせて発覚する、ということにもなりかねなかったと思っている。

(ほのさんの場合は、療育センターなどにも通っていなかったし、
年上の小学生のお友だちなども身近にいなかったのだが、
まだ4歳ころに、
知り合いのY美さんに、
もし特別支援学校に入学させたいと思っているならば、
就学年齢の1年前にお母さんから連絡するんですよ、
と教えていただいていたので、
就学相談のスタートが遅れずにすんだ。感謝)

どうして然るべき機関の然るべき人が、
特別支援教育を希望している可能性がある本人家族に、
きちんと「就学相談なるものを受ける必要があるので連絡してください」と
アナウンスしない理由が、

どんな子どもも地域の小学校に籍を置くことに一元化する方向であったり、
特別支援学校への入学はあくまで保護者の意向であると取り決めたから、
であるのだとしたら、
何も知らずに、障がいを持つ子どもの親にしてみればいささか「不親切きわまりないことであり、
何を「尊重」してのことなのかわけがわからないなと思う。


そうしてスタートした就学相談だが。

まず、市の特別支援教育コーディネーターと呼ばれる人に、

「ほのさんのように障がいを持ったお子さんは、
地域の小学校であろうと、特別支援学校であろうと、
どこに入学するにしてもまず、
県にお伺いを立てる必要があります」

と言われてスタートした。

その時点でかあさんは、「就学相談」なるものが、
何のためなのかよくわかっていなかったのだが、
このコーディネーターの説明にはいささか???だった。

先に記したとおり、障がい児の就学にあたっては、
専門家の意見聴取が必要であり、
そして、平成19年以降、保護者の意見聴取が義務付けられたとはいえ、
実際の就学相談は、こちらの意向に沿って、というものではなく、
専門家で構成される就学委員会でそれぞれの子どもの就学先への意見をもらうために、
色々な質問をされ、こちらの希望を聞かれる、という流れだった。

ほのさんがそもそも特別支援学校を選んだのは、
これまで訪問看護師さんやPTさん、OTさん、ヘルパーさんなど、
さまざまな方たちとの関わり合いの中で、
手や足が動かせるようになったり、
初めは単なる「リーク音」だったのが、うん、とかうんうーんとか、
さまざまな声色で問いかけにタイミングよく「声」を出せるようになったり、
手の動きを利用してスイッチやパソコンに取り組むようになったりと、
すこしずつ「自分」と「そと」の区別が育ち、
「そと」との関わり合いの中でじっくりと成長してきたということがあったため、
個別のニーズにあわせてかかわってくれる(だろう)特別支援学校を希望したのだ。

そして、入学の時点で訪問籍を希望したのは、
少しずつ挑戦していきたいと思ったこと、
苦手な冬に、通学籍では登校できない、先生も訪問してくれない、
では困るから、という理由からだった。

もちろん、1回目の就学委員会から出された意見も、
「特別支援学校」の「通学籍」というものだった。

コーディネーターさん曰く、
就学委員会のメンバーからは、「通学籍」というところを強く言われた、ということだった。

本人や親は、就学委員会には出席できず
(つまり、就学委員会のメンバーは、ほのさんに会ったことがない)
あくまでコーディネーターが作成した書類をもって参加して意見をもらうので、
委員会に提出した、判断の材料になる書類を見せてもらったところ、

なんのことはない、

食事、排せつ、着脱などのそれぞれの項目について、
全介助から自立までの段階のどこにあてはまるか、といったようなことがずらっと並び、
そのあとに、保護者の希望、教育的ニーズという欄があって、
幾度かのコーディネーターの面談の中でこちらが話した内容が、
簡単に2、3行で書かれた小さな用紙だった。

我が家においては、
「特別支学校」「訪問籍」という点において、
結果的に就学委員会の出した意見と一致していたから良かったものの、
その結論を導き出した道筋には大きな違いがあって、
特別支援教育は「障害種別」によって行われるものではないとしているにもかかわらず、
やはり、就学先を決定する際には、
本人の自立度や医療的ケアの有無、人工呼吸器をつけているかどうかなどが
大きく関わっている、というより、
それのみによって判断されているといっても過言ではない、という印象を受けた。

つづく
# by honohono1017 | 2014-04-30 22:44 | normalization

どーんと来い!1年生。

4月8日火曜日 快晴。

ほのさんもかあさんも雨女の我が家だけど、
この日ばかりは、
文字通り「腫れの日」になった。

前の晩もぐっすり寝たほのさんは、
いつもより早起きしなければならなかったけど、
それでもシャキッと目覚め。

ほのさんの入学式には、
白い丸襟のブラウス、濃紺のボレロとジャンバースカート、白いタイツ、
という装いにしてあげたいとずっと思ってきて、
イメージ通りのものを見つけて購入してから1ヶ月以上、
クローゼットにしまうこともなく、ずっと見えるとこにかけて眺めては、
それを身につけて、少し緊張しながらも
これまで見せたことのなかったような、
凛とした表情を浮かべたほのさんの姿を想像しながら過ごしてきた。

とうさんとも、

きっとほのさん、似合うよねえ。

うん、すごく似合うだろうねえ。

と言い合った。


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仕度をおえたほのさんは、
なんだか急に大きくなったように見えた。

肩パッドが入って、袖が少し長いボレロ姿が眩しいほど初々しい。

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とうさんの目にも、それはそれは眩しく映ったようで。

みんなの喜びの笑顔を見て、
ほのさんの表情もだいぶ緩んできた。


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もうすっかり葉桜になってしまっているかと思っていたけど、
車中からは川沿いに咲き誇るたくさんの桜の木々や、
春の訪れを謳歌しているかのような菜の花などをたくさん見ることができ、
その素晴らしい景色が、喜びに拍車をかけた。


学校に到着すると、訪問籍の先生方が駐車場で迎えてくださった。

いつものように、とうさんが車にスロープを設置し、
その間にかあさんが、呼吸器を、車内のシガーソケット電源からバッテリーに切り替えたり、
さまざまな準備を整えていよいよほのさんが「学校」に一歩を踏み出す。

ほのかさん、おはようございます!
がっこうですよ!

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明るく元気な先生方にバギーを押されながら、
ほのさんが学校の玄関を入っていった。
玄関のスロープを上ると受付があり、
その先の廊下には両側に先生方がずらっと並んでいらした。

とうさんとスリッパに履き替えながら、
ほのさんが先生方に話しかけられている様子を見て、
ついにこの日が来たんだなあと、目頭が熱くなった。

かあさんはこれまで学校公開日や説明会などで何度が足を運んでいたが、
今日の学校の風景は、これまでと全く違って見えた。

春休みを終えて、生徒たちの「気配」が活気を生み出していて、
窓や掲示板などあちこちには、
新入生を歓迎する文字やデコレーションがされて華やかで、
そして、はじめて足を踏み入れた、ほのさんやそのほかの新入生たちの、
不安や期待、緊張、初々しさなどが、
確かに学校を彩る風景のひとつになっていて、
立派に生徒の一員になっていくんだなあ、
自然に溶け込んでい行くんだなあ。

緊張して一言も声がでなくなっていたほのさんだけれど、
そうして「学校」に一歩を踏み出した。


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新入生の控室は、給食室だった。

給食の時に生徒たちが使っている、椅子とテーブル、
配膳用だろうか、銀のワゴンや、
かすかに匂う美味しそうな香り、
そんな学校らしさにほのさんが触れていることがたいそう嬉しく、
とうさんと笑った。

待っている間、ずっと先生がほのさんにはなしかけてくださっていたけど、
ほのさんはやっぱり、だんまり。

きょうは、かみをあみこんできたのね、
おかあさんが やってくれたのかな
かわいいね

と先生がおっしゃった時だけ、

うん!

と言っていた(笑)
(キラキラの髪留めは、かあさんとお揃いだよ)


ほのさんとおんなじ、ちっさな小学部の新入生、
それから中学部、高等部のおにいさんおねえさん新入生たちが
ぞくぞくと集まって、
入学式の説明が始まると、
とうさんかあさんの緊張も高まってきた。

こんな緊張感は、はじめてだ。



それから新入生たちはみんな、打ち合わせ通りに家族とともに、
体育館の入り口の外に並んで、入場を待った。

ほのさんの番が近づくにつれ、
体育館の中から在校生たちの声や拍手が聞こえてくる。

壁にぐるっと貼られた紅白の幕や、
正面の檀上の校旗や立派なお花などが見えてくる。

いよいよ、ほのさんの番だ。

家族3人で一歩前に進み、
立ち止まって一礼。

顔を上げると、
対面式のバギーに乗っているほのさんの、意外に冷静なおすまし顔が
目に飛び込んできた。

なんだ、かあさんの方が、緊張しているんだな。

それからとうさんは、左手後方の保護者席へ、
ほのさんとかあさんは、右手前方の新入生席へ進んだ。

小学部9名の新入生のうち、
最後に入場したほのさんとかあさんが席に着くと、
中学部、高等部の新入生たちが入場してくる。

在校生たち、先生方の拍手や声、
「世界にひとつだけの花」のメロディーを奏でるピアノ、
そこにちゃあんとおとなしくいる、ほのさん。
その光景はあまりに感動的で、ちょっと震えた。

式の間じゅう、ほのさんはおとなしくしていたが、
校歌斉唱で、これからほのさんが何年間も歌い続けていく効校歌のメロディー、
みんなの歌声が聞こえてくると、
途中から、小さな声で、
ふーん、ふーん、
と言っていた。

この分だと、校歌もすぐ覚えてしまうかもしれない。

それから、閉式の言葉で、

これで終わります、

と先生がおっしゃると、
ほのさんは、今日一番の声で、

うーん!

と言うので、
隣りにいたかあさんは、ひとり苦笑ってしまったけど、
よし、ほのさんらしさ顕在!
そうも思った。

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ほのさんは、訪問籍を選んだ。

週3回、先生が授業に来てくださる。

そのほか、行事や、調子の良い時には登校して、
1年生のクラスにいれてもらう。

さっそく、運動会や遠足の日程なども配られた。

入学前、かあさん一人が出席した説明会で話を聞いていた時は、
運動会や遠足なんて夢みたいで、
入学式でさえ、ほのさんがそこにいることが
想像できるような、できないような感じだったのに、
ランドセルをバギーにつけて教室にいるほのさんをみたら、
なんだかもう、すっかり1年生のお顔だ。


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ほのさんが生まれてからこの6年間、
思えばこの入学式で、
かあさんは初めてじぶんの気持ち、
親としての気持ちに専念することができていたように思う。

自然と。

これまではいつも、
ほのさん、だいじょうぶかな、
痰がたまっていないかな、
寒くないかな、
どんな気持ちかな、
楽しめているかな……
というようになんだかんだと気にしていて、
そういうことが、自分がどう思っているかなんていうことよりも、
いつも先にあった。

この日も、学校に着くまでは、
そういう感じもあったけど、
ほのさんが学校に一歩を踏み出してからは、
その姿がもう妙に立派で、
この6年間にあった嬉しかったこと、辛かったこと、
あれこれがグッとおしよせてきたり、
なんていうか、親としての深い感慨に浸っていた。

はじめて行く場所で、はじめてみるものに
びっくりしたり、こわかったりすると、
なんだかバギーに潜り込むように、
かあさん、かあさん、ってすり寄ってくるような
そんないつものほのさんとはもう違って、
入学式という雰囲気がそうさせるのか、
戸惑いながらも、ちゃあんと参加していて。

かあさんが、

たん、だいじょうぶ?

って何回も確かめなくても、
苦しくなったり、吸引してほしくなったら、
たとえ出先であっても、ちゃんと自分から言ってくれる、
という安心感も最近は出てきて、
ちょっとくらい我慢させても、
おうちに帰ってゆっくりして、丁寧にケアすれば、
その後、長く体調を崩すこともないという自信もでてきて、
そんなことはこれまででは考えられなかったな。

そう考えると、6年間生きてきたっていうことって、
ほんとうにすごいことなんだなあ、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、
身も心も成長していて、
今日のこの日を迎えたんだなあって。



思えば、ほのさんが生まれたばかりの頃、
かあさんは、この子を「子育て」していけるのだろうか、
という大きな不安に襲われていた。

その頃は、ほのさんの医療的な側面、
最重度と呼ばれる障害、
そういった面ばかりに目が向いてしまっていた。

だが、そういったことは、ほのさんのすべてではない。
問題なのは、理解の無さ、手助けの無さだったのだ。

そして、かつてかあさんが思い浮かべていた「子育て」そのものも、
実際のそれとは違っていた。

親がこどもに一方的に何かを教えたり、与えたりするものではない。

ハッピーな出来事、
辛い経験、
そのことで感じるさまざまな気持ちが、
親と子、家族の間で行ったり来たりすること、
そうするうちに、心が軽くなったり、
ハッピーがどんどん増えていったり、
強くなったり、
時々弱くなったり、
そういうことが、「子育て」なんだろうな。


新しく始まる学校生活で、
はじめて教わること、覚える楽しさ、
おともだちと過ごすこと、一緒になにかすること、
先生との関わり、
悔しいこと、苦手なこと、
そうして帰る、我が家。

ほのさんのみる、世界。


いろんなこと、どーんと来い!

たくましく進め、ピカピカの1年生。
# by honohono1017 | 2014-04-09 18:46 | Event

晴れの日イブ。

晴れの日イブ。_f0199379_1728237.jpg


こんなにちっさくて、
よわくて、たよりなかったほのさんが、
明日、小学生になります。

ぴかぴかの、1年生です。

毎日まいにち一緒にいて、
1日いちにちを大切に、
ずーっとほのさんの成長を見てきたはずなのに、
1年生になるなんて、
本当に信じられません。

お誕生日や七五三や、
嬉しい節目はこれまでもたくさんあったけど、
なんて言うか、
このことを思うだけで、
もう手放しに嬉しくて、
涙が溢れそうで、
入学するのはあの子なのに、
なんだかもう自分がおっきなご褒美をもらったような、
なんにも代え難い勲章をもらったような、
晴れやかで誇らしく、
あたたかな気持ちがしています。

これまで我が家の生活を支えてくださったみなさん、
応援してくださったみなさんに、
心から感謝して。

明日のあの子の晴れ姿、
心に刻んで、
またみんなで元気に進んで行きたいと思います。
# by honohono1017 | 2014-04-07 17:14

大きな節目を前に。

立春を過ぎても大雪が降ったりして、
春の訪れを肌で感じられるのは、まだまだ先かな。
花粉はすでに飛んでいるけれどw

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ほのさんはと言えば、
節分、さあまめまきだー!
と言っても全く起きず、
えーいそれならばほのさんを鬼にしてしまえー、
ということで。

鬼にしたのに、鬼退治の豆を持たせてしまい、
いったいこの子、誰を退治するつもり?という図に……。

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頂いた、手作り恵方巻きを男らしくかじってみたり。


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はじめて、あさりのおつゆを飲んでみたり。

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あいかわらず、読書好きで。


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近頃のお気に入りは、このぶるぶるクッション。

寝ていることが多いので、どうしても背中が固くなりやすく、
背中が固くなると、痰もたまりやすくなるので、
そこでこのぶるぶるクッションが大活躍!

心拍が高く、大声を出しているときでも、
このクッションでぶるぶるしてあげると、
みるみる静かになってうっとりしてしまうほのさん。

そのうえ、この振動がとても良いらしく、
抹消にたまった痰がよく出るのです。

躍起になって痰を取ろうとすると本人も辛いけど、
体がほぐれて、本人がリラックスする、ということの大切さよ!
としみじみ思うかあさんです。




さて、近頃なかなか更新もできず、
ほのさんの逞しい成長や楽しいエピソードなんかも、
ひとつひとつ書き留めておきたいけれど、
なかなかそうもいかず。


この4月、ほのさんはピカピカの1年生になります。

本当に、はやい。

この間まで、まだ小さな赤ちゃんだと思っていたのに。

ほのさんは生後9か月でおうちに帰ってきたので、
この在宅生活も5年7か月になります。

ほのさんがおうちに帰ってきたころは、
ずっと病院リズムで過ごしてきたところが、
全てがおうちリズムになって、
なにもかもがはじめてのことで、
本当に無我夢中でした。

無我夢中の時は、
ほのさん以外のことにはほとんど目が向かず、
特に自分の体調なんかには。

気が付けば自分が救急搬送されたり、
毎週、点滴打ったりしていたこともありました。

いつも、とうさんや、
ほのさんを支えてくださっているみなさんに助けられて
なんとかそんな危機も乗り越えて。


その場その場はなんとか凌いできたけれど、
かあさんの体調はだんだん悪くなっていって、
もちろん、月日が経って、疲れがたまっていったということもあるのだけれど、
持病については、どんどんひどくなって、
最近では薬も効かなくなっていました。

どうにかしなければ、このままではいつかどうかなってしまうし、
それどころか、もう毎日が辛くてつらくて、
このまま自分がどうにかなってしまっても、
ほのさんを安心して預けられる場所もない、
という不安ばかりが募って、
もうなんというか、絶望的な気持ちで過ごしていました、人知れず。

自分にとっては、新しい朝が来ることは希望でもなんでもなく、
ただまた辛い1日が始まった、としか思えなかったのだけれど、
それでも、かわいいほのさんがいつも、
かあさん、かあさん、と、自分を必要としてくれて、
明るく優しいとうさんが何も言わず助けてくれて、
それだけがいつも、かあさんの支えとなってここまで来ました。

大きくなるにつれて強くなってきたほのさんだけれど、
元気におうちで過ごすために必要なケアに割く時間は圧倒的に増えて、
物理的にはかあさんの負担も増えていても、
ほのさんの存在そのものが、かあさんの希望であり、
だからこそ、自分の体が辛くてもがんばってこれました。

家族の力って、不思議です。

守っているつもりで、守られていて。



昨年秋に、大きく体調を崩して以来、
ずっと低空飛行を続けていたのだけど、
年明けにまたぐぐっと悪くなって、
さすがにもうどにも限界だな、と自分でも思ってました。

それでもこれまでのお薬は効かないし、
生活は変えられないしで、もうどにも八方ふさがりやーん、と思っていたところ、
とある東洋医学の先生を紹介してもらうことがあって、
2週間前に受診、早速治療が始まりました。

漢方を煎じて毎日飲んでいるのですが、
飲んで間もなくからすぐに体調が変わり始めました。

これまでは、症状を封じ込める治療をしてきたわけですが、
今回は完全、デトックス。

これまでずっと感じてきたあらゆる痛み、痒み、体の違和感、
そこからくる焦燥感、イライラ、不安なんかが、
本当にウソみたいにぐんとラクになって、
ああ、健康な人というのは、こんなにも爽快なのかと初めて知った気がしました。

約6年間、無我夢中で駆け抜けてきて、
このところ、体調に限界がきたこともあるけれど、
かあさんの気持ち的にやっと、自分の体調に目を向ける余裕がでてきた、
というところがおおいにあるのかなあと思っています。

あくまで「いま、ふりかえると」ということだけど。

やっぱり、ちょっとしたことで痰が詰まって、
本当に危険な状態になることも何度かあって、
毎日まいにち試行錯誤で、ほのさんに教わりながら、
効果的な排痰方法を探って、
たくさんの方たちがほのさんに関わってくださているけれど、
やっぱり「この子のいのちが自分にかかっている」という気持ち、
その緊張感というものは、
なかなかどうしてただの母親にとってはおっきなものでした。

いまでもそのことに変わりはないものの、
「成長する」ということは、なんと素晴らしいことか。
からだそのものが大きくなってきて、
肺も大きくなって、少しくらい痰があっても平気になって、
体力がついて、
どこかひとつ不調のところがあると、
全身状態が悪くなっていた小さいころとは違って、
「ちょっとお腹の調子がわるいけど元気」
「ちょっと痰が詰まっているけど元気」
「おでかけした翌日も元気」
という風になって。

ちょっとくらいつまづいても あたし へいき

そんな風に逞しくなってきてくれたことが、
どれほどかあさんを安心させてくれるようになったことか。

そんな風にしてほのさん、
4月には1年生になるわけです。


ますます活動的になって、
きっとおともだちもたくさんできて、
いろんなことを覚えていくほのさんを、
かあさんも元気に見守っていかなくてはならないから。

いまは希望を持って治療を頑張り、
希望をもって、毎日新しい朝を迎えています。



春に迎える、大きな節目。

気持ちも新たに、
みんな元気にスタートしたいです。
# by honohono1017 | 2014-02-18 14:31

新年。

新年。_f0199379_21303724.jpg


無事に迎えた新年。

年末年始、おじいちゃんおばあちゃんや
家族が集まったり、
夜更かしして遊んだりで興奮したのか、
ほのさんは何日も寝れなかったり、
そうかと思えば、ほとんど起きなかったりと、
すっかり生活のリズムを崩し。

やっと、朝が来て目覚めて夜はちゃんと寝る、
というサイクルになったと思ったら、
今度はお腹の調子を崩して冷や汗かき通し...

この何日かでようやく本調子になりました。

気付けば1月ももう終わり。

かあさんも、なんだか調子が悪く、
新年を迎えてから、
ほのさんの通院以外、一歩も外に出ていないという...


ノロだとかインフルエンザだとか、
いろんな菌が怖い季節。

それでも春の訪れをかすかに感じる、
暖かな日差しの届く日もあり。



今年は一年生になるほのさん。

のんびりゆっくり、準備して、
のんびりゆったり、進もうね。
# by honohono1017 | 2014-01-31 21:16


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