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ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017

<   2009年 06月 ( 45 )   > この月の画像一覧

「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その8

今の臓器移植法改正の議論は、
「他人事」の議論である。

法の制定を急ぐ人たちが、
自分がドナーになったり、レシピエントになったり、
またはそれぞれの家族になったりすることを真剣に想定していない。

「死」について、リアルに考えていないのだ。

「死」は特殊な人たちだけに訪れるものではない。

いつ、どうなるか誰にもわからない。

生=死だ。

かあさんだって、ほのさんといういのちに向き合って
初めてわかったことがたくさんある。
そのことを、すべての人にわかって欲しいとは思わないし、それはムリな話だ。
むしろ、それを伝えていくことが、かあさんの責任である。

だが、誰もが生きている以上、
自分が生きているってどういうことなのか、
自分が死ぬってどういうことなのか、
考えられない人はいないはずだ。

死について語ることはタブーとされがちだが、
今こそ真剣に考えるべきだ。

わたしのいのちはわたしのものであって、誰のものでもない。
あなたのいのちはあなたのものであって、誰のものでもない。
わたしのいのちはわたしの意志であって、私の意志ですらどうにもできない。

そのいのちを、どのように法が定められるだろうか。

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by honohono1017 | 2009-06-09 00:44 | normalization

「長期脳死」番外編 本人登場の巻

かあさん、なんだか近頃ムツカシイこと言ってるけど、
兎にも角にも、主役はあたしよー!!

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ほのさんは、今日も一生懸命、生きています。

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by honohono1017 | 2009-06-08 18:27 | normalization

「長期脳死」の子を持つ母として思うこと その7

これだけたくさんの人のいのちの価値が問われる議論だというのに

4案を2日間で合計8時間の質疑で事実上打ち切りだって。

「改正が行われた場合、どのくらいの臓器移植が増えるか」の問いに対しては、

「学会の先生の個人的意見では年間70~150件」というあいまいな答弁。

もしかしたらドナーになる側かもしれないという立場で、

これほどまでに気を揉んでいるのに、

この法案さえ成立すれば、我が子のいのちが助かる、という方々は、

一体、このいい加減な議論をどんな気持ちで見守っているのだろうか。


助かるいのち、助からないいのち、治るいのち、治らないいのち、

どのいのちも、きちんと守れらるような法整備になれば…と当初は思っていたが、

いのちについてたくさんのことを考えるにつけ、

たとえ「臓器移植のため」を確立するためだとしても、

やはり、この尊いいのちについて、

法において、このちっぽけで愚かなニンゲンが定めることなど、

到底難しいのではないかという気持ちになった。

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by honohono1017 | 2009-06-07 21:43 | normalization

「長期脳死」はの子を持つ母として思うこと その6

かあさんも、こうやって自分の臓器移植法改正に対する意見を
書きはじめてしまった以上、
今の勉強不足ではいけないと思い、いろいろ調べていたのだが。

もう、本当に、自分がこれまで書いてきたこと、
なんだったんだろ…って思うことにぶちあったった。
以下…

「C案提出者など慎重派は、年齢制限解禁に反対するために、小児に特有の現象を持ち出した。

一つは「長期脳死」という現象だ。脳死になると通常は、数日で心臓が停止する。しかし、小児の場合、脳死状態と診断された後、1か月以上も心臓が動き続ける場合がある。

 こうした現象はA案を支持する日本移植学会も認めているが、同学会の寺岡慧理事長は
「いくら心臓が動き続けても、脳機能は二度と回復せず、必ず心臓も止まる」。
と強調している。
 「脳死診断後に脳機能が回復した例がある」という症例もあげる。しかし、世界脳神経外科学会副会長を務める神野哲夫・藤田保健衛生大名誉教授は「これは脳死というより植物状態。脳外科医の学会で、
脳死と診断された子供が回復した例は、1例も聞いたことがない」
と言い切る。小児の場合、大人の法的脳死判定で義務づけている無呼吸テストが実施されないことが多い上、時間を空けて2回必要な診断を省く場合も多く、不完全な診断になっている可能性がある。」


この日本移植学会寺岡彗氏のおっしゃる通り、
ほのさんは生まれたときに厳密な脳死判定を受けたわけではありません。

医学的に一度失われた脳機能は二度と回復しないとして、
ただ子どもには医学でははかり知れない力を持っていて、
生まれたばかりの時にはなかった反応が成長に伴って出ていることは、
間違いなく寺岡氏よりも、素人のかあさんの方がよく知っています。
医学はいのちに対して万能ではない。
そして、寺岡さん、あなたの心臓だって必ず止まるんですよ。

ほのさんの、成長に伴ってみられるようになった反応は、
おそらくは脳の機能によるものではなくて、神経反射的なものである可能性は大きいです。
でも、ほのさんの心臓は誕生してから1年と7ヶ月も動き続けています。
これらのことから、寺岡氏は、だから、ほのさんは厳密に「脳死」ではないんです、
とおっしゃるんでしょう。
で、だから、それが何なんだろうか、と思います。

ほのさんの状態が「脳死」ではなく「植物状態」であるとして。
でも、おそらくはととも微妙なところであるはずで、
厳密な判定をして、「脳死」と判断される子どもと、ほのさんの状態は、
わたしたち素人目にはきっと何もかわらないはずです。

子どもの脳死判定はすごく難しいから、そこが大事なんだよ、
その「脳死」と「植物状態」の見極めができないとだめなんだよ、と
偉いお医者さんたちやA案賛成の議員さんや、移植学会の方たちは口をそろえて言います。

でも、そのことを聞いて、そのボーダーラインに乗っているほのさんの親として、
ホントに、一体、この人たちは何をやりたいんだろう…と思います。

移植によってお子さんの命を救いたいという親御さんの気持ちも真実だと思うからこそ、
ほのさんの親でありながら、心を痛めつつも、
なんとかなんとか良い法律となるように…と思っていたけど、
移植学会は、病気で苦しむいのちを本当に考えているから、
移植を促進しようとしているのではないんじゃないかという
疑念を持たざるを得ないことを主張していると感じてしまいます。

そんなに難しい判定をして、
「やっぱり脳死じゃなかったよ」と言われたほのさんと、
「残念、脳死でした」と言われる子どもと、
その差って、一体何なんでしょうか。
「必ず心臓は止まる」と言って見たところで、何を主張されたいのか。
「お前はもう死んでいる」の世界ですか。


また、国立循環器病センターの橋本信夫総長は今月3日、A案提出者の自民党議員を通じて文書を配布。
「臨床的脳死と、法的脳死判定による脳死が混同、あるいはすり替えられて脳死として議論されている」
と指摘。

臨床的脳死と法的脳死判定…?

つまり、どういうことかというと…

ほのさんは、生後2週間で「脳死」に近い状態と宣告された。
おそらくこれは、法的脳死判定ではなく、だから法的判定に義務づけられた無呼吸テストなどを
省いた「臨床的脳死」である、と。
なぜ、この「臨床的脳死」診断をするかというと…
今後の治療方針などを決定するためだ、と。

もっと簡単に言えば、ほのさんのような子は「臨床的脳死」であるから、
議論の対象は「法的脳死」なのだから、
この臓器移植法改正に関してあ、なんの関係もない、ということでしょう。
「混同」「すり替え」ってことは、そういうことでしょう。

脳死に「臨床的」と「法的」が存在すると主張するなら、
そんなにややこしくて難しいのに、
一律、「脳死=人の死」にすることなんて、到底ムリなんじゃないのか。


法整備のためには、何を議論し、何を決定するか明白にするべきで、
そこには感情などを挟む余地はないのかもしれませんが。

ただ、この偉い先生方が白黒ハッキリしたことをおっしゃるように、
いのちに関することをスパッと決めていいのでしょうか?

かあさんは、移植法の世界的な水準についても、
そのほかいろんなムズカシイことわかかりません。
だけど、この1年7ヶ月、毎日毎日いのちと向き合ってきました。
いのちには、医学でわかることと、わからないことがある。
いのちは本当に尊く、
自分いのちであっても、自分の手でどうにかすることのできないところにあるものだと。
医学の発達によって救われたほのさんのいのちだからこそ、
医学はいのちに対して万能ではないということを、身を持って実感しています。

知識と権力のある方たちは、往々にして感情論を言われることを嫌います。
まして、法整備の場面です。
だけど、この問題は、
人権、倫理観、死生観、そういったものと切っても切り離せません。
そして誰もが、明日にでもドナーあるいはレピシエントになる可能性があるのです。
自分のいのちをこの問題の枠外の高みに置いて考えるのを辞めて、
いのちという原点に戻って考えてもらいたいです。

今すぐにでも移植を待っている方がいることを思うと心が痛みますが、
日本人には日本人の死生観があります。
それとどうにも折り合いがつかないのなら、
世界水準どうこうよりも、
日本の姿勢を世界に示せばいいのではないでしょうか。


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by honohono1017 | 2009-06-06 18:22 | normalization

「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その5

「ひとのこころはどこに存在するのか」

この問いに、直ちにこたえられる人はいるだろうか。

ひとに「こころ」という臓器は存在しない。

では、「こころ」=「脳」か?

「こころ」が痛むとき、胸が苦しい、と言う。

「こころ」があたかも心臓の辺りに存在するかのように。

では「こころ」=「心臓」か?

でも心臓という臓器にキモチは存在しない。


ニンゲンという生き物は、ただ単に臓器の集合体ではない。

色んなことを考える。

色んなキモチがある。

そして、ワタシノキモチは、時に、アナタノキモチになり、

アナタノキモチが、ワタシノココロに届く。

ひとりのニンゲンは、たくさんのひととの繋がりの中で存在している。

ワタシはワタシで、誰にも変わることができない。

ニンゲンの素晴らしさを、ひとつひとつのいのちの尊さを、

どうやったら伝えられるだろうか…



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by honohono1017 | 2009-06-06 16:36 | normalization

「長期脳死」の子をもつ母 として思うこと その4

夢のカフェブレイクを果たした後、
エナジー満ち溢れたかあさんは、お留守番のほのさんと訪問看護師Nさんの
二人の待つスイートなホームへ勇み足で帰宅。

このところのアタマを悩ます臓器移植法改正の問題で、
たくさんの問題や、
「長期脳死」の子を持つ親としてやらなければならないことが
山積みなのは、
ホントにほんとーにわかっているものの、
相手が大物なだけにどうしたらいいものか俄かに答えがでない。

しかし、思いついた小さなこと。

今日、看護師さんに、この間の臓器移植法改正の報道の録画を一緒に見てもらおう、と。
ほのさんの、傍らで。

「長期脳死」の子と家族の立場から、我らがはるにゃー&ママが出ているし、
心臓移植を待つ子とその親、
実際に子どもの臓器提供をした親、
三者が平等に取り上げられていたので。

看護師Nさん曰く、ちょうど昨日、訪問看護ステーション所長と、
子どもの臓器移植の話をちらっとしたところだったと。
そして、Nさん自身、臓器移植の話を聞くと思い浮かぶのは、ほのさんの顔だと。

わずか15分の報道であったが。

Nさんは実際に医療現場で働く現役ナースであり、
「長期脳死」の子の担当ナースであり、
まして、ほのさんのベッドサイドで、かあさんも見守る中での上映会。

これも結構、特殊なシチュエーションである。

Nさんは、「見る前も、見た後も、本当に難しい問題であり、答えが出ません」と
誠実な気持ちを話された。

Nさんは、重い心臓病のお子さんも、ほのさんも、両方の子を看ているのだから。


訪問看護は、ほのさんのような子どもたちには欠かせない(とかあさんは思っている)。
医療的ケアの必要な子どもたちだから、
吸引、気管カニューレの交換、人工呼吸器の扱い、その他いろんなことを家族の習得が必須。
だからとうさんかあさんができないことは何一つない。
だが、なにかをやってもらうためではなく、
もちろん、しばしの間、ケアをお任せしてかあさんが休息…というのも大きな目的ではあるが、
訪問看護は、医療と生活の両側面に立つことのできる貴重な機関であり、
また、かあさん的判断と、訪問看護の判断と、二つの目で看ることができる、というのが大きく。
職場が病院ではなく、各家庭であるということも大きな強みで、
その経験を持っているナースであるから心強い。

全国にいる訪問看護師の中で、ほのさんのような「長期脳死」の子を看ている方は
果たして何人いらっしゃるだろうか?
「小児」ということだけで受け入れを拒まれる訪問看護ステーションが多い中で、
「長期脳死」の子を看ているとなれば、本当にごく僅かだろう。

その中で、貴重な存在のNさんと、僅かな時間であったが、
この問題を共有することができた。
そのことで大きく何かが目に見えて変わるわけではなくとも、
きっと、目に見えない何かが変わると信じている。

小さいこと、小さく見えることの積み重ね。
それが大事。
どんなことでも、結局は人と人の繋がりあってのことだから。

まずは、ご縁あってほのさんのことを一緒に支えてくださる方たちと、
この難しい問題を一緒に考えていけたらと思う。

その一方で、「大きなこと」もやらなくちゃ…。
作戦ねって、ない知恵絞って、今晩は、寝る。

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by honohono1017 | 2009-06-05 21:42 | normalization

かあさんの脳、しばしブレイク

このところ、臓器移植法、脳死についてばかり、
文字通り、四六時中考えていた。 
何かを考え出すと、「ほどほど」ができないかあさん。
ヒジョーに難しい問題ということもあり、
気分が悪くなるほどだった。

そこで。
今日は訪問看護2時間の日。
看護師のNさんにお任せして、眠ろうと考えていたが、
このままでは、かあさん、顔に縦線が入るか(ほらほら、ちびまるこちゃんでよく…)
カビでも生えそうなので…
雨がぱらぱら降ってきたけど、
以前から気になっていたカフェへ…

自宅からわずか徒歩4分(5分とは気分的に違う近さで…)
この辺りは近頃マンションやアパートの建設ラッシュで。
このカフェも、新興住宅地の中に最近建ったオシャレマンションの1階にある。
自宅から駅に行くまでの途中にあるので、
何度も見ては入るかどうしようか迷い…。

ギャラリー併設と書いてあるから、
妙にガランと広くて珈琲を飲む空間としては落ち着かないのかな~とか、
飾ってある絵がセンスなかったらがっかりだな~とか、
色々思っていたのだが。

しかし今日は、かあさんも脳ミソリフレッシュしたいし。
他にこの辺りには良い喫茶店はないし…
ということで、勇気を出して入ってみた。

大きな油絵が掛かった細い廊下をとおり、お店の中へ。
まずはダウンライトのあたたかい光の、ちょうど良い広さのギャラリーが。
年配の団体のお客さんがオーナーらしき夫人と話している。
その横に、カウンターと、喫茶席がいくつか。
おー、カウンターがありますか。
かあさん的には、喫茶店にはカウンター席が必須で。
だって、マスターが珈琲を淹れる姿を見ながら過ごすの、いいじゃない。

でも、その奥に、外からも見えるサンルームのような席があったので、そちらへ。

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真っ白いスペースだけど、天井からも外の光が入るのと、
ウッディーな机といすのお陰で、すごく落ち着く。
それに、お庭のグリーンも見えて、すごーく素敵。
暖炉なんかもあったりして。

シフォンケーキや和菓子も勧めてくれたけど、
サイフォンでおとしているという珈琲のみオーダー。

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ここまで、文句のつけどころがなかったが、
珈琲カップがクラシックな喫茶店でだされるような、ブランドの柄物だったら、
ちょっとがっかりだな、と思っていたけど。
真っ白なカップで、おーっやるねー。
ってちょっと、かあさんミシュラン調査じゃあるまいし、何様、ええ、かあさまですわ。
しかも、Lotusのキャラメルビスケットがひとつ、ついてきた。
やるねー、うれしいねー。

かあさんの好みは、どちらかというと、若者のいうところの「カフェ」よりは
薄暗くて髭マスターで渋い珈琲店派だけど。
近所にこれだけのお店があるなんて、すごい!
珈琲は1種類だけだけど、味はなかなか。
しかも400円。

気をよくしたかあさん、お冷を注ぎにきてくれた女性に話しかけた。
お母様と2人で経営なさっているようで、
ギャラリーの絵はお母様が趣味で描かれた物だという。
今後は、色々な展示やミニコンサートなんかもやりたいと。

たった30分のブレイクタイム。
かあさんの脳もリフレッシュ。

ただひとつ、残念な点が。
バリアフリーじゃないんだよね。

だって、こんなに近所で、ほのさんを連れて行かない手はないでしょう。

もう少し通って、なんとか連れてこれるようにしよう…と企むかあさんでした。 

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by honohono1017 | 2009-06-05 17:06 | Life

「長期脳死」の子を持つ母として思うこと その3

ここのところずーっと臓器移植法改正問題について考えている。
頭が痛い。
気分が悪くなるほどだ。

その2までは「長期脳死」の子の親の立場として、
この子の生きる意志と、命の尊厳についてをメインに書いた。

だが、誤解されたくないのは、
今後子どもの渡航移植ができなくなり、
救いの場が無くなってしまったこともあり、
そのあたりのことをきちんと「法整備する必要がある」と考えていること。
すべてのいのちが平等に扱われるように、
きちんとした法律となるように、願っていること。

そう、昨日までは、「すべてのいのちに平等な法律」となるために、
かあさんができることは、ほのさんのような「長期脳死」の子どもの
生きる力をみなさんに話すことだと考えていた。
確かにそれも重要。

だけど、これはあくまで「臓器移植法」の改正であるから、
それぞれの立場の、一番歩み寄れる形を望むに越したことはないのだが、
それにはやっぱり限界がある。

15歳未満の臓器移植が認められるようになり、
「脳死=人の死」とされるのならば、
ほのさんたちがドナー候補となるのは間違いない。

だらば、この法案とは別に、
真っ先にドナー候補となるこの子たちの人権と生きる意志を守るための保障を求めるとともに、
この子たちが、普段、障害者自立支援法からも子育て支援からも漏れており、
いかに不自由な生活を強いられているかを訴え、
この子たちが病院にいても自宅にいても、生きやすいような
国としての対応を求めていくことが必要なのではないかと…。

あるひとつのことを、きちんと整備しようとしたら、
本当ならふたつ、みっつと、多方面の整備、調整が必要となるはずだ。
だが、それらすべてのことを、国がやるはずがない。
なにしろ、現状を知らないのだから。

何かを勝ち取るためには、やっぱり当事者家族が立ち上がらないといけない。
それは歴史をみてもよくわかる。

だけど、だけどだよ。
こんなちっぽけなかあさんに、いったい何ができる?
日々寝不足で、ほのさんの体調管理に24時間目を光らせ。
自分の好きなことも諦めたくない。

その上で、今、何ができるだろう。

ほのさんのたくさんのお友だち、そのお母さん、
そしてそのほか、ほのさんと出会ってくださったたくさんの方たち、
かあさんはどこへ向かったらいいでしょうか。

そして、子どもたちは、何を望んでいる?


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by honohono1017 | 2009-06-04 18:00 | normalization

「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その2

生まれる直前までかあさんのお腹の中で元気に動き回っていたほのさん。
それが臍帯断裂のため、ほのさんに酸素が行かず、
心配停止となり、蘇生したものの、脳に大きなダメージが。

生まれて約2週間後に、主治医のO先生からの宣告。
「脳波は平坦、萎縮も見られる。目は見えない、耳も聞こえない、今後目を覚ますことはない」と。
とうさんが聞いた「それは脳死ということですか?」と。
O先生は言った「大人と違い、子どもは脳死とは言いません。いのちの続く限り、元気に成長します」と。

人工呼吸器をつけられ、反応もないのに、元気に成長する…
それがいったい何を意味するのか…
かあさんは本当に子どもを生んだのだろうか?
ほのさんのいのちはこの世に存在するのだろうか?
わからない、全然わからない。
そんな重い問いを四方八方から常に突きつけられているような、
辛いつらい、毎日だった。

それでもNICUにいるほのさんに会いに、1日わずか1時間という短い面会に通い続けた。
NICUのそのドアを開けるまで、ほのさんの顔をきちんと見ることができるのか、
自信のない日もあった。
だが、ほのさんのベッドに近づくにつれ、その周りが明るく温かい空気に包まれているように思われ、
ほのさんはたくさんの機械がくっついているにもかかわらず、
自分の不運を嘆くどころか、いつもとても穏やかで楽しそうで、生き生きとしているのだった。
それは、明らかにほのさんの生きる意志だった。
健康な赤ちゃんのまなざしが、人の心を捉えるのは、まっすぐで心に直接入ってくるからだ。
それと同じく、ほのさんの意志も、とうさんやかあさんが感じ取ろうとして感じたものではなく、
ほのさんの方からまっすぐと、心の中に飛び込んでくるようなものだった。

だからこそ、O先生や担当看護師のTさん、スタッフの方々が、
とうさんとかあさんが思うように、ほのさんのいのちを尊び、
いつもほのさんが何を思い、どのようにしたいかと問いかけてくれたのだと思う。
また、皆さんのそのような姿を見て、とうさんやかあさんは、
あの宣告の日、ほのさんのいのちが自分たちの手の中にあると思ったこと、
自分たちの判断に委ねられていると思ったことは大きな過ちであり、
人の命は、たとえ親であってもどうこうできるものではないと思うようになった。
そして、私たち家族は皆、お家で一緒に過ごすことを望んでおり、
たとえどんなに苦労しようとも、ほのさんを連れて帰るのだと、迷わなくなった。

もしあの宣告の日、
医師が、病気で苦しむこの親に対して「臓器移植しか方法がありません」と言うのと同じように、
「これ以上良くならないので、どなたかに臓器提供するしかありません」と言われていたら…。

「ほのさんのような状態=人の死」というような法律がすでに存在していて、
まして、自分が親として置かれている状況、娘の状態が冷静に判断できない精神状態で、
もし、我が子の状態はこのままにしていても良くはならないのなら、臓器を提供することで
人助けができるのであれば…
と、どんどん親の気持ちは自然と臓器移植の方へ傾いていくだろう。


時間をかけて、こどもの「生」を受け入れ、
その「生」の価値と重みを感じ、
「生きる意志」を感じる機会を奪われるのではないだろうか?

ほのさんのように「長期脳死」で生き続けるいのちは、
「臓器移植」のために存在しているということなのか?

周産期医療の充実が叫ばる昨今、
まさにその周産期医療によって救われた命は、
臓器移植のために存在するのか?

これは人情論などではない。
そんなに大変な状況で、我が子を受け入れ、まして在宅で生活しているなんて、
偉いね、立派だね。
そうじゃない。
機械に頼らなければ生きられないいのちに、親が責任もって育てられないなら、
困ってる人に、臓器提供したほうがいいよ。
そういう話なのか?

ほのさんだって「人工呼吸器」によって生かされている以上、
臓器移植が不自然だとは言えない。
臓器移植という方法が医学で確立されている以上、それを整備する法律は必要だ。
それに「脳死=人の死」と決められたところで、
かあさんの目の前にいるほのさんのいのちの重みが軽くなるはずもなく、
価値が軽くなるわけもなく、
あったかくて、可愛くて、愛しいほのさんに何の変わりもない。

だが、この法律が定めようとしていることの重大さ、
親が親であるという理由だけで人のいのちの方向を決めるということの危険性、
助かるいのちと助けるいのちと、それに関係するたくさんの人たちの気持ち、
色んなことがどれだけ考えられているのか、考えられていないのか。

ほのさんのように、生まれながらにして「長期脳死」の状態の子が存在していることは
世の中にあまり知られていない。
治療法があるわけでもないから、支援者を募ったりすることもないし、募金を集めたりするわけでもない。
現にそういういのちが地域で暮らしているのにもかかわらず、
そういう子らに対する施策があるわけでもなく、
ただ「前例が無い」というだけで、本来なら該当するはずの現行法からも、
正当な理由なしに、はじかれるというような肩身の狭い思いを強いられているのだから。

その上、「そのいのち、死んでます」と法律で決められてしまったら、
ほのさんにとって、親にとって、重みが変わることのないいのちだから大丈夫、
というわけにはいくまい。
今よりもっと、生きにくくなる。
家になど帰れない。
病院にもいられなくなる。
臓器移植したくないならいいですよ、ただし、生きてもいられませんよ。
世の中は、医療は、そういう方向へ動いていく。


ほのさんと、出会ってくれたみなさん。
臓器移植法改正について、どのように思われますか。
ほのさんのような子どもたちのいのちは、何ですか。
とても難しい問いです。
それに対する答えがみつからなくとも、
みなさんの知っているほのさんについて、
みなさんの知っている方たちに、お話していただけませんか。
ほのさんのようないのちが存在していること。
一生懸命生きていること。
事実を、たくさんの人に知ってほしいです。
それが、それだけが、切なる願いです。

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by honohono1017 | 2009-06-04 03:06 | normalization

「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その1

これまで、書こう書こうと思ってなかなか書けずにいたこと。
今日はかあさんの記念すべき誕生日だし。
たくさんのお友達や、天国のはるにゃーに対する友情と敬意を表すためにも、
今日、書こう。

「臓器移植法改正」について。

「臓器移植法」は1997年にできた。
①臓器提供時において「脳死は人の死」である
②臓器提供は法的に有効な遺言の残せる15歳以上とする

つまり、現行法だと…
子どもの臓器移植はできないため、希望者は海外に渡航していた

ところが…
WHOが世界的な臓器不足と、臓器売買の問題などから、
先進国は渡航して臓器移植をすることを控えるようにとの見解を出した

そこで今回の改正の焦点は…
①脳死を一律に人の死とする
②15歳未満の子どもからの臓器移植をどうするか
ということ。

ほのさんはいわゆる「長期脳死」と言われる状態で、仮にこの法案が通れば、
ほのさんは「ドナー」となる。
「差し出されるべきいのち」と法的に定められるのだ。
そのような子を持つ親として、率直に叫びたい気持ちは山ほどある。
それはとりあえず置いておき、まず言わなければならないこと。

①どんないのちも平等に尊ばれるべきである。
「助かるいのち」も「助からないいのち」も、「治るいのち」も「治らないいのち」も、同じいのちである。

②そのいのちの中で臓器移植をすれば「助かるいのち」にだけ重きをおいて
法律を定めたところで、ドナーは増えないし、臓器移植は促進されない。
物事のある一側面しか見ずに重大な法律を決めるやり方では
「付け焼刃」でしかないし、結局はどのいのちも救われない。

③「改正臓器移植法」を通すならば、ドナーとなるいのちや、ドナー家族を守る施策も同時に整備せよ

現在の改正案を見るにつけ、ほのさんのような子どものいのちは「差し出されるべきいのち」として
扱われており、もっと言うならば「おたくの子、死んでるよ」ってことだ。
それに対する怒りや悲しみと、「臓器移植をしてなんとか我が子を助けたい」と思う親の気持ちが
同じくらい真剣であると思えば、「救えるいのち」を救う、ある一定の法律を整備する必要性は
客観的に認めざるを得ない。

だが、この法律がいのちを扱う以上、あまりにも大きな問題を孕み、倫理上の問題と法律制定の間でどのように折り合いをつけるか、もっと慎重に真剣にならなければならないはずだ。


「いのちは大切なもの」。
それは社会通念として多くの人のこころの中にある。だが、それはある程度ステレオタイプ的なものであり、
いのちの大切さについて真剣に考えたことがないというのが健康な証拠でもあるから仕方のないことだ。

「知らない」ということが何より怖い。
長期脳死の子を抱える、かなりマイノリティーな親として、当事者にしかわかり得ないことを、たくさんの人に話す義務がある。

だから、これからの話、長くなるよ。

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by honohono1017 | 2009-06-04 01:39 | normalization


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