ほのさんのバラ色在宅生活 |
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こんにちは。 きょうから 4がつ。 あたしは、あたらしい かーでぃがんと おずぼんで うきうきしているわ。 あっという間にやってきた、新年度。 ほのさんも、身長112㎝ 体重14,4㎏と めきめき成長中。 この2か月間、 ほのさんの長い不調と、アクシデントによる不安定な支援体制が続き、 なかなかハードな日々を過ごしております。 かあさんの疲れ&不調により、 先週お休みしてしまったリハビリも、 今日は元気に。 やる気に満ち溢れ、 リハビリのS先生を大声で出迎え、 ベッド上で体をほぐしてもらっている間も、 うーん、とか、 うんうーん、とか、 ふんっ、とか、 さまざまに変化を付けながらお話しする様子を見ていると、 かあさんの疲れなどでお休みしてしまったことが、 ほんとうにすまなかったね……と思うほど。 近頃のほのさん、左足の親指を驚くほどはっきり動かすのだが、 今日は珍しく、左足のひざの裏あたりの筋肉がつぱっていたようで、 S先生に、 ほのちゃん、ひだりあり、がんばってうごかしてたのかな? と言われていた。 このところ、右胸の肋間が取りにくく、 動きが悪くて痰が溜まっている様子だったので、 S先生に丁寧に動かしてもらっている間も、 早くいすに座らせろ、と言わんばかりに、 S先生の問いかけにタイミングよく大声で返事をしていた。 ようやくいすに座ると、 パソコンを起動させて準備してくれる先生を急かすかのように、 このやる気に満ちた、真剣な顔! 今日も、右手首にピエゾセンサースイッチを付けて、 伝の心(という意思伝達のためのソフト)に接続。 小指側の手首のあたりにセンサーを付けるのだけど、 この付ける場所がとってもビミョーで、 うまくつけられないと、 ほのさんが手を動かしていても、その筋の動きを拾ってくれない。 拾ってくれない、ということは、 ほのさんが入力したいと思う文字のところにカーソルが来て、 その瞬間に、ほのさんがちゃあんと手を動かせていても、 センサーが感知しないために、入力できない、ということになってしまう。 また、センサーの貼り付ける位置だけではなく、 手を置く場所、位置によっても、 ほのさんが手を動かしやすいかどうかに関係してくるので、 なかなか難しい。 ほのさんが右手を動かすことに気づいてから、 もう1年以上が経つが、 その間に、ほのさんが日々成長して、 腕の長さも随分長くなってきたので、 どこにクッションをいれて支えるかとか、 手を何の上に乗せるかとか、 この間までうまくいっていたことも、 成長とともにうまくいかなくなったりもして。 ↑この写真で、右手を乗せている緑色のものは、 ほのさんが紙粘土を自分で捏ねて作ったものだけど、 すでに手の方が大きくなってきてしまった…… 仮に、そのようなセッティングがすべてうまくいったとして。 まず、ほのさんが思っていることを、 「ことば」にして、 その「ことば」を「文字」に変換し、 それを一文字ひともじ入力していかねばならず、 五十音図の入力したい文字上にカーソルが来たときに、 タイミングよく手を動かす、という作業は、 なかなかどうして、難しい。 ほのさんは、この難しいチャレンジに取り組んで、 もうすぐ3か月が経つ。 最初は、自分が手を動かすと、文字が入力できる、 ということに、ものすごーく興奮気味たっだ。 回を重ねるごとに、その興奮がおさまり、 確実に「自分でやる」という感覚をモノにしていった。 どうすれば入力できるかがしっかりとわかるようになると、 セッティングがうまくいかないことで、 「動かしているのに反応しない」というもどかしさを感じていった。 ぶんぶんと手を動かしているのに、 まったくセンサーが感知せず、 なんでなの! という風に、大声をあげて目を吊り上げている様子は、 なんとかうまくセッティングしてあげたい、という気持ちと共に、 そのもどかしさこそがチャレンジの醍醐味だぞ!と 褒めてやりたい気持ちでいっぱいになる。 とうさんやかあさん、いつも関わってくださる方たちと、 ほのさんはうまく意思疎通をして生活をしている。 だが、はじめましての人から見たら、 ほのさんは「何にもわからない子」に見えて当然だし、 ほのさんも、そんな風に扱われると、 いっこうにおしゃべりも出ず、 いつもみたいにお返事すればわかってもらえるのに……と思うのだが、 本人だって、「聞いてもらえない相手」に向かって話すことほど、 骨が折れて、悲しいことはないだろう。 だから、ほのさんがどんな人にも通じるような、 意思表示の方法を身につけてくれたらどんなにいいだろう、と思わないはずがない。 たった一言、 「はい」とか「いいえ」だけでも、 ほのさんが意思表示できたら。 医学上、生まれてすぐの時点では、 「なんにもわからない子」とされていたほのさんが、 たとえばパソコンを使って、 「はい」「いいえ」と言えたなら、 世間はきっと驚くのだろうし、 キセキだと言って、感動の物語になるのかもしれない。 でもね。 ほのさんには、ほのさんの「セカイ」がほのさんの内に必ずある。 この5年間、ほのさんの内なる「セカイ」、キモチと呼ぼうか、 それと、ことばを介さないコミュニケーションでやりとりしてきた。 ほのさんの全体から発せられるそのメッセージを、 周りのみんなが受け取って、 受け取った側が、その返事を「ことば」に変換して、 ほのさんに返事をしてきた。 だから、ほのさんは、5年間ずっと、 周りから聞こえてくる「ことば」に耳を澄ましてきたのだ。 いま、ほのさんがパソコンを使ってやっていることは、 いままで自分が「ことば」を使わずに発してきたメッセージを、 「ことば」に変換すること、 そしてその「ことば」を文字にして入力すること、なのだ。 そうして考えてみたら、 5歳の小さな女の子が取り組んでいるのは、 それは本当にほんとうに、難しいこと。 かあさんにしてみたら、 それを彼女が成し遂げるかどうかということではなく、 そのチャレンジそのものが、毎回感動的だ。 ほのさんが毎回取り組んでいるとき、 ひょっとしたら、こちらが考えているゴールを目指していないかもしれない。 それでも、うまくいったりいかなかったりすることで、 確かに「感じること」をしている。 いろんなことを、「感じること」で、 目指しているゴールとはまた別の、 思いもよらない何かを身についたりするものだ。 今日は、前半張り切りすぎたのか、 いつもより早く、10分ほどで集中力が途切れた。 ほのさんは、とってもわかりやすい。 集中力が切れると、 ウソみたいに急に腑抜けた顔になって、 気力のない声に変わる。 今日なんて、急にまったくしゃべらなくなって、 スースーと寝息のようになってしまっって、 ほーのーさーん、たいじょうぶー? と大声で問いかけてしまった。 ベッドに戻ってヤクルトを飲みながら一休みしているほのさんに、 かあさんは思わず、独り言のように言った。 ほのさん、あなたがいま、とりくんでいることは、 とってもむずかしいことなのよ。 うまくいかなくっても いいの。 あせらず、だんだん、でいいんだから。 けっきょく、これができなくたって、 ほのさん、あなたはきっと、 べつのすばらしい 「なにか」を ものにするように なるんだから。 かあさん、そう しんじてるのよ。 新年度。 ほのさんの力強く頼もしい、チャレンジする姿に、 かあさんは、心からそう思ったのだ。
by honohono1017
| 2013-04-01 17:29
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