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ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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あの日から、今日までのこと。

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1月14日、大雪。

ちょうどほのさんは、お風呂に入っているときに降り始め、
ゆきだ、ゆきだ!と大喜びしながら「雪見風呂」を堪能。

ところが、あれよあれよと積もって、
お風呂介助が終わってヘルパーさんが帰るころには、
もう相当積もってた……。

ほのさんは、当然、椅子に座って雪が積もる様子を眺めて、

なんだか おそとが あかるい!

と、近年まれに見る大雪を楽しんだ。

そのうち、高速道路が渋滞し始めて、
車の列が何時間もかけて次第に少なくなり、
しまいには通行止めになる様子も興味深げに眺めた。

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とうさんが作ってくれた雪だるまは、
ほのさんのあったかーいベッドの上ではみるみる溶けて。

一昨年、秋田の雪を送ってもらったときに、

ゆきがつめたい ってゆーか いたい

と知ったほのさんは、
この雪だるまを嬉しそうに見てはいたけど、
近づけると後ずさりでもしそうに、

さわらなくていいから あたしさわらないから……

と言っているようだった。


当然、翌日は道路事情も大混乱だったようで、
訪問してくださる看護師さんやヘルパーさんも、
我が家にたどり着くのに大苦労。

ほんとうにこんな時、訪問系のお仕事は大変。

まして、利用者さんの生活やいのちがかかっているとなれば。



時間でスケジュールの決まっているほのさんは、
5歳になった今でこそ、そんなに支障はなくなってきたけど、
生活のリズム=体調のリズム という側面がふつうの人よりは強いから、
いつもみなさんが訪問してくれるということのありがたさも身に染みた。

1日たった1時間半でも、看護師さんやヘルパーさんが看ていてくれる間に、
集中的にできる家事やそのほかの用事はたくさんあって、
かあさんにとってもその支援がどれだけ貴重かということも思い知った。

雪が降ろうと槍が降ろうと(?)、
ほのちゃんちにいかなきゃ、
そう思ってくれる気持ちに支えられている。



1月17日、ほのさん5歳と3か月の日。

とうさんかあさんは、ほのさんとほのおばちゃんに
プレゼントをもらった。

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ほのおばちゃんが、ほのさんとお留守番していてくれるので、
とうさんかあさんがこよなく愛する「くるり」の武道館ライブに行っておいでと、
チケットをくれた。

ほのさんと自分たちにとって大切な17日に……という気持ちもあったけど、
ほのさんは久々に会うおばちゃんと楽しそうにしてくれていたし、
おばちゃんの気持ちが何よりうれしく、
これまた久々の夫婦の時間を有難く過ごすことになった。


ほかのことなら「やっぱりいいや」「そこまでして」となることも多いけど、
くるりのライブとなると、それは別の話。

もう10年以上聞き続けていて、いろんな思い出もある。

ほのさんが生まれて、
慣れない在宅生活でストレスフルだった頃とか、
幾度か、本当にこの大切なほのさんを失ってしまうかもしれないという状況の時、
普段の何気ない生活の中で、
雨降りの日、
きれいな夕焼け富士山の日、
ほのさんのかわいらしいおしゃべりの声とともに、
くるりの音楽を聴かなかった日は多分1日もないな、きっと。

27曲3時間のライブで、ガッツ満タン、フル充電完了したとうさんとかあさんは、
たくさん雪が残る中、さむいさむいといいながら家路を急ぎ、
あったかい部屋の中であったかいほのさんのほっぺを触りながら

ただいま

と言ったときの、嬉しさといったら。


ほのさんはものすごくいい子にしていてくれたけど、

おそすぎるー

と言って少し怒っているようだったけど、
明らかに起こっているような顔をしないように頑張っているように見えた。




1月19日。
ほのさんのカンファレンス@ほのさんのお部屋

病院主治医、在宅医、病院相談室看護師、
訪問看護師、ヘルパー、区役所支援課、福祉用具業者
とうさん、かあさん、ほのさん、
総勢11名。

朝、
きょうは、ほのさんのだいすきなひとたちが
いっぺんに みんなきてくれて、
ほのさんのことを そうだんしてくれるからね、

と説明すると、楽しみにしている様子。

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司会の訪問看護師さんが1番に到着したときは、
嬉しそうにしていたのだけど、
立て続けにインターフォンが鳴って
1人、また1人と集まってくるうちに、
だんだん目が開いて、頬っぺたのお肉が緊張で吊り上る。

先ほどおしっこもすませたはずなのに、
そのうちに顔を赤らめて汗をかき、
念のためもう一度おしっこをさせたけど、
まったく出ず。

明らかに、緊張。

カンファレンスが始まって、
みんなの様子もいつもと違い、かしこまった雰囲気を感じたのか、
ほのさんもちょっと息を潜めた感じ。

そのうちに、時折、大きな声でアピールすることもあった。



今回のカンファレンスは、
病院とか在宅とか、そういう垣根を越えて、
ほのさんがどこにいても安心して安全に過ごせるように、
というテーマだった。

ほのさんが昨年、レスパイト中に酷い痰詰りになって、
ほんとうに危険な状態になって、
たくさんの人の助けで、それでもなんとか乗り越えて、
再びこのおうちに戻って来たあの日からこのカンファレンスの日まで、
どうしたらほのさんが安全に過ごせるのか、
親である自分が、医療とどう関わっていったらいいのか、
考え込んで悩まない日はなかった。

ほのさんに限らず、
誰でも、どこで過ごしていようとも、
具合が悪くなることはある。

日頃、ほのさんをみていても、
こちらがどんなに注意深く頑張ってケアしても、
体調が悪くなることがあるということはしばしばで、
かつてはかあさんも、自分の何が至らなかったのかと悩んだりした。

それで、そういう経験からいろんな工夫が生まれて、
うまくいくこともあったし、
それでも体調を崩すときは崩す、
それが人のからだであって、
生きている、ということなんだと学んできた。



ほのさんは、常にモニターがついている。

胸の音も、日に何回も聴診するし、
おしっこやうんちの回数、量やその状態、
摂取した水分の量、
痰の量や形状、
体温などなど、
いろんなことを細かく看ていて、
またその必要がある。

ふつうの人と違うところは、
それらを細かく看ている、ということだけで、
だからといって、ほのさんのからだそのものを「管理」しているということとは、
全く違う。

人のからだは、思い通りにはならない。

自分に照らしてみたって、
なんか今日はすぐれないとか、
なんでかわからないのにお腹が痛いとか、
あんなに寝たのに眠いとか、寝てないのに眠くないとか、
もうとにかく、自分のことなのにわからないことだらけ。

ほのさんだって、一緒なのだ。

だから、具合が悪くなることは、仕方ない。

でもそこで、悪くなったときにどうするのか、
普段はこれだけしていることを、その時はもっとこうするとか、
いろんなことに気を付けて工夫しないと、
致命的になる、ということなのだ。

そこなのだ。

どころが、
工夫といったって、ほのさんに適したことが書いてある教科書があるわけでもない。

あの時うまくいったことが、今度は効かないということもある。

毎日、試行錯誤の日々で、
本人に聞きながら、あれこれするしかない。

人のからだの奥深さとか、
ほのさんのからだの成長という名の変化とか、
本当にその時々で「むずかしいなあ」と深いため息を漏らしながら、
またそこに、喜びなども感じながら歩んできたのだ。



本人も慣れない場所で、おうちと違うところがたくさんあるとことろで、
久しぶりにほのさんに会う人が、
ほのさんのケアをしたり、変化に気が付いたりすることが、
どんなに難しいだろうと、
そのことを考えると、もっと深いため息が出る。

だが、難しいから仕方ないよね、では、
ほのさんのいのちは守れないし、
そういう環境で、そういう状況での難しさを認識しながら、
それでもなんとか安全を守れる方法を一緒に考えてほしい、というカンファレンス。


医療も介護も子育ても、
病院も在宅も、
いのちを守ること、
健やかに過ごすことを目指しているはずなんだけど、
その人たちが協力していくことを「連携」というらしいけど、
なんだか難しことがたくさんあるなあ。

それぞれの立場、その任務を果たす環境が異なれば、
「そうは言っても」
という気持ちが拭いきれなくなる。

その相違点に思いを馳せれば、
その次のことば、一歩が踏み出せなくなる。

それじゃあ、どうする?





かあさんの子育ては、
つくづく、しあわせだ。

たくさんの人に、
それぞれの視点からアドバイスをもらって、
実際に手助けしてもらっている。

そして、当の本人であるほのさんは、
精一杯生きようと、
毎日、喜んで過ごしている。

たくさんの人がそんなほのさんのいのちと、
かあさんの子育てを支えてくださる中で、
それはほのさんの望むことではないとか、
その方法では守れないとか、
感謝の気持ちの中でもそういう類のことを伝えられるのは、
伝えなくてはならないのは、
親としての役目だろう。

それは、先日のいのちの危機にも痛いほど実感した。

でもそれが度を過ぎれば「盲目的な親」になってしまう。

度を過ぎるところと、
ほのさんのいのちを守れるギリギリのところは、
果てしなく近いところのような気もしている。

親として、医療との関わりが本当に難しい。

かあさんが、ほのさんの体調に注意したり、
ケアを工夫しながらやっているのは、
「いのちを守る」という点においては、
医療職の人のそれと同じかもしれないが、
かあさんはただの「親」であり、
我が子を育てるにあたって、それが必要不可欠だという理由からだ。

だがその単なる「親」が、
ほのさんの大半の医療的側面を担っているという状況が、
なんだか面倒だ。

本当は、なんにも面倒なことはないはずなんだけど。

どの子にとっても、
おかあさんが一番なのは変わらないし、
医療的側面において「親」が一番なのは、
その子にとって何よりなんだから。


なんだか「ややこしさ」を感じているけど、
一つ、ハッキリしていることもある。

ほのさんが「生きたい」と思っている間、
その「ほのさんが生きること」に、
かあさんは親として、とことん執着し、
それを無我夢中になって叶えてあげよう、と。

誰よりも、あの子が「生きること」にこだわってあげたいと。




ほのさんは、「じぶん」と「せかい」を知り始めている。

思いを伝えたという気持ち、
伝わらないもどかしさ、
普段と違うことへの緊張、
緊張したあとの疲れ、
そうやっていろいろに揺れ動くこと、
その楽しさ、辛さ、
「生きること」がますます、ワクワクしているだろう。

そんなほのさんの、輝く一瞬をいつも見ているかあさんが、とうさんが、
ほのさんの「生きること」に、こだわらないでどうする。

「生きること」にこだわるのは、
わがままなんかじゃない。


そうやって真摯に生きている姿、
苦労しながら守っている姿を見せていくしかないのか、
それだけではだめなのか、
どうしたらいいのかわからないけど、
とにかく、ほのさんだけじゃなくて、
きっとみんな、一生懸命生きていて、
一生懸命自分の役割を担っているはずだ。

それならきっと、だいじょうぶ。



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ほのさんのいのちが特別なのではない。

「生きたい」と願う全てのいのちが、
その願いにとことんこだわって、
めいっぱい生きられる場所でないと。




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by honohono1017 | 2013-01-23 14:11 | Life
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