ほのさんのバラ色在宅生活 |
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6月最後の日、
とある講座に行ってきました。 NPO法人埼玉よりどころネット主催、 「重症障害の人を支えるネットワークの力」 と題われた、障害福祉の先進事例を学ぶ連続講座のひとつ。 講師は、李国本修慈さん。 以前、このブログにも書きましたが、 伊丹市で、有限会社しぇあーどと、NPO法人地域生活を考えよーかいの二つで、 制度を利用したサービスと、制度ではまかなえないところのサービスを組み合わせて、 地域での生活を24時間、隙間なく支えていらっしゃる、 とてもすごいお方です。 (今年の春に西宮で開かれた「ラーの会」の主催者のお一人でもあります) ほのさん&かあさんと、李国本さんとの出会いは、 かれこれ3年くらい前。 重症児のレスパイトケア施設をやられている先生に、 伊丹にもすごいところがあるよ、と教えていただいたのがきっかけ。 それ以来、一方的にホームページをのぞいては、 制度のことなどについての情報などを読んでは、 へー、そうなんだ……とか、 いろんな取り組みや催しについてのお知らせなんかを見ては、 すごいな、楽しそうだな……とか、 (ストーカーのように)いつも注視しておりました。 その後、SNSなどを通じて、 直接、やりとりをさせていただくようになって、 関西と関東ではありながら、 我が家はいつも、助けられてきました。 ほのさんとおうちで暮らすようになったこの4年、 いろんな壁にぶちあたるたびに、 いろんなことを考えてきたけれど、 その中の一つ、 「支援ってなんだろう」という、とっても難しい命題について、 李国本さんは、すごく大切な、根本的なところを、 まさに体現していらっしゃるなあ、と尊敬しています。 ほのさんは、世間的には「超重症児」なんて呼ばれる子です。 そもそも、「超重症児」という呼び名は何なのか、ということですが、 その定義は、本人の心身の機能の状態が基準になっているわけではなくて、 どれだけの「医療的介護」が必要か、ということで、 つまり、気管切開をしているか、人工呼吸器をつけているか、経管栄養をしているか、など、 いろんな「お世話」の必要の度合いをスコアであらわして、 何点以上が、「超重症児」です、 というようなことなわけです。 つまり、 「ほのさんは、超重症児です」 といったところで、 いろんな「お世話」が必要なんだ、 というような、「お世話する側」を中心とした情報がわかるだけであって、 それじゃあ、ほのさんが「どんな子なのか」ということは、 全く表していないわけです。 たとえば、同じ「超重症児」とよばれる子どもで、 人工呼吸器をつけているとして、 ほのさんのように、 特に病気は抱えていないのだけれど、 生まれたときの脳へのダメージによって、呼吸がうまくできずに、 人工呼吸器に助けてもらっている子どももいれば、 抱えている病気が原因で、呼吸に問題があって、 人工呼吸器に助けてもらっている子どももいます。 だから、実際に、「超重症児スコア」によって、 全く同じスコアであったとしても、 実際にその子のお世話をするに当たっては、 それぞれの状態はさまざまだし、 同じ機械を使っていたとしても、 気をつけなければならないところ、 注意しなくてはいけないところはそれぞれ違い、 また、当たり前のことだけれど、 それぞれの子どもの性格や好き嫌いなんかもあって、 そんな子どもたちを支援していくということは、 すごく難しいことだろうと思います。 話がそれましたが、 そんな、「超重症児」なんて呼ばれてしまう子どもたちが、 いまある制度から「漏れ」てしまうことは言うまでもありませんが、 そんな子どもたちの地域生活を実際に支えている様子を、 あらためて李国本さんご本人からうかがうと、 かあさんは、ほのさんと生活をしているだけに、 その苦労やら何やらがリアルに想像できる分だけ、 本当にスゴイなあ……とため息が出てしまいます。 いえ、ため息をついている場合ではなく、 そこで考えなければならないことは、 この「漏れ」をなくすということなわけです。 「ネットワーク」などと言いますが、 その、ネットだけに、「網」で掬い上げるとか、覆い包むとか、 そういうことでいいのだろうか、 と、李国本さんはおっしゃっていました。 本当に大切にしなければならない「ネットワーク」の意味……。 (ですから、講座のタイトル「重症障害の人を支えるネットワークの力」というのは、 李国本さんのお話の中で、本当に考えなければならないことの、 アンチテーゼのようにかあさんは感じてしまいましたが……) 例えば、ほのさんが何かをしようとして、 その際に何らかの手助けが必要だとします。 そんな時は、まず、どんな制度があって どれがそれに当てはまるかを調べます。 そして、問い合わせてみると、 「あてはまらない」と、なるとします。 実際に、よくあることです。 そんな状況にある選択肢は2つ ①残念だが、諦める ②そんなのおかしい、と怒る 我が家においては、①を選ぶことはまずないのですが、 ②を選択したときに落ち入りやすいことがあります。 なぜ、その制度が使えないのか、 というところに主眼をおいてしまいがちだ、ということです。 大切なのは、「制度」そのものではなく、 (もちろん、「制度」そのものから漏れる人がいないようにすることも大切ですが) その制度を使ってやりたいことの方、 つまり、本人の生活や活動そのものの方に意味があるということです。 実際に、ほのさんが「日中一時支援」に通い始める時に、 その「足」が、現行の制度からは漏れていて困りました。 どうして制度が使えないのかとか、 どうしたら使えるのかとか、 そういうことを考えていてもラチはあかず、 そこにはまると、 「ほのさんが通う」ということの意味をすっかり忘れてしまったりするのです。 母親である、かあさんさえも……。 なんで制度が使えないの? という議論と、 なんで通えないの? という議論とでは、 根本的なところが違うということに気付かされたのです。 障害があるから、「超重症児」だから、という理由で、 生活がままならなかったり、 通園、通学ができないとか、 贅沢をしようということではなく、基本的な活動ができないということは、 制度云々のことではないからです。 そうやって考えていけば、 「超重症児」だから制度から漏れる、などということではなくて、 ほのさんが通うにはどうしたらいいのか、 〇〇ちゃんが修学旅行に行くにはどうしたらいいのか、 と、それぞれの子どもの場合で、 それぞれに必要なことを考えていくことができ、 そこには「漏れ」は起こり得ないというわけです。 それが、既存の漏れる「ネットワーク」ではない、 染み渡る「つながり」なのかなあ、と。 そして、そう考えることは、 障害の有無にかかわらず、 その「いのち」そのものを大切にし、 その「いのち」が地域で育まれていくこと、 また、本人の意思や希望を大切にすることにつながるのだろうと。 かあさんは、そんな大切なことを、 遠く関西の地から教えていただいて、 これもまた、我が家にとってはとても大切な支援となっているわけです。 そんなわけで、また色々と考えさせられる機会となりました。 感謝です。 そんな、李国本さんのNPO法人「地域生活を考えよーかい」主催、 「誰もが暮らせる地域づくりフォーラム2012」 今、取り戻す「存在の価値」 誰にも在る「命のこと」について考えましょう が開催されます。 詳しくはこちら いのちに、あたかも優劣があるかのような出来事が多くある中で、 「存在することの価値」について、 かあさんも、お話させていただきます。 読んでくれてありがとう。 ポチッとな↓ も、お願い! にほんブログ村 にほんブログ村 このブログ「ほのさんのバラ色在宅生活」が 本になりました♪ 「ほのさんのいのちを知って」 絶賛発売中☆ 紀伊国屋書店 TSUTAYA ONLINE eb!STORE アマゾンでも入荷したみたい。送料無料ですので、ぜひ。 ↓ ↓ ↓ ↓ アマゾンで「ほの本」購入
by honohono1017
| 2012-07-03 12:52
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