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ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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ほのさんに学ぶ、「ケア」についての考察 その2

三寒四温。
一雨ごとに、温かくなっていく。
さきほど、ほのさん うめがさいたよ
と、綺麗な写真をメールでいただいた。

ほのさんと見ながら、部屋の中に春の匂いが広がった。


ほのさんに学ぶ、「ケア」についての考察 その2_f0199379_18291491.jpg


ほのさんから学ぶ、「ケア」についての考察 つづき。

(前回の記事はこちら

ほのさんは2008年7月に退院して以来、
訪問看護師さんやヘルパーさんなど、たくさんの方たちにお世話になって、
「ケア」を担ってきていただいた。

現在では、用手排尿や排痰ケア&吸引など、
ほのさんの一番難しく、一番大切なケアなど全てを、
ヘルパーさんにも担っていただいて、
とうさんとかあさんの負担は大きく軽減され、
睡眠時間もだいぶ確保できるようになった。

退院する時に、毎日がっちりと利用できる限りのサービスを組んで生活を始めたのは、
ほとんどの時間を、「おうちの中」という狭い空間の中で過ごす帆花にとって、
そこは彼女の「ちいさな社会」であり、
四六時中、かあさんと顔を突き合わせているのではなく、
できる限りたくさんの方に接してもらって、
かあさんとうさん以外の人からも「ケアされる」ことのできる子になって欲しい、
という願いからだった。

看護師さん、とか、ヘルパーさん、とか、
職種の区別ではなく、
○○さん、●●さん、という、「人」によって、
その人の声、手、触れ方などの違いを、
帆花がちゃあんとわかっていることや、
そうやってたくさんの方に接してもらうことによって、
かあさんを介さずに、自ら関係を築いている姿、
「ケア」が、単なる「ケア」ではなく、
「コミュニケーション」であるということを、
かあさんはこの在宅生活3年7ヶ月の間に、
ほのさんと、ほのさんの在宅チームの方たちから学んできた。

おうちにおいて、ほのさんを支援してくださる方たちは、
ほのさん一人に「関わる時間」、
というものを提供してくださっているのだと思っている。

もちろん、サービス内容には、
課題や援助目標に対して具体的な「ケア」などが組み込まれるわけだが、
難しい用手排尿や排痰などをきちんと担ってもらえるのは、
「関わる時間」の中で、じっくりとほのさんに向き合い、
ほのさんの声を聞き、
最も根本的な部分である、
「何のために行うのか」「どうしたらほのさんが苦しくないか」
というところから出発するからではないかと思う。

「関わる時間」、それはつまり、「コミュニケーション」だ。
そして、前に言ったように、「ケア」は「コミュニケーション」であり、
「おうちのほのさん」にとって、
「ケア」だけが浮き立たない理由、
生活の一部としてごく自然にあり、
「ケア」からほのさんを見ることなく、
「ほのさん」として関わっていただけている理由は、
そこなんじゃないかと思う。

一方で、そうはいっても、
不調に直結するような、難しいほのさんの「ケア」を、
不調にすることのないように行うために、
在宅チームのみなさんが、どんなに努力して行ってくださっているかも、
よく、わかっている。

ほのさんが小康を保ち、「バラ色生活」を送るためには、
「ケア」の質を保ちつつ、それでも「ケア」が浮き立たない、
という絶妙なバランスが必要で、
それが叶えられている、いまのほのさんは、
本当に幸せだと思う。

在宅医療って、そういうものなんだと思う。

ほのさんのhome は、つまり、
ほのさんの「小康」と「居心地の良さ」だ。

それを目指した在宅生活にあって、
「小康」を保つための具体的な「ケア」の仕方などを、
かあさんがチームの方たちに伝えたり、
一緒に考えてもらうことは、
「同じ方向を見ている」という確信があるので、
とてもスムーズに行うことができる。

先月、我が家にて、ほのさんのカンファレンスを行った。
在宅医のT先生、病院主治医A先生、
訪問看護師さん、訪問OTさん、
ヘルパーさん、
地域保健師さん、役所ワーカーさん、障害者支援センターワーカーさん、
総勢13名。

カンファの中で、退院時からずっとお世話になっているT先生が、

「僕たちは、ほのちゃんとお父さんお母さんの【ハッピー】の
お手伝いをしているんだよ」

と、3年前から往診のたびに話されていたことばを、
またおっしゃった。

すると、今回はじめて参加してくださった、
病院主治医A先生も、
「いつもみんなで同じ方向を見ていたい」
とおっしゃった。

先生方のそのことばは、
我が家にとっても、ほのさんのチームにとっても、
とても大切で、大きなことだった。



ほのさんは、この7月で退院4年になる。

幸い、体調は安定していて、
急な入院も年に1度ほど。
あとは、年に1回、検査を兼ねたレスパイトでお世話になるくらいで、
病棟でお世話になることが少ない。

昨年11月の痰詰まり入院の時にも痛感したことだったが、
朝から晩までかあさんが付き添って、
おうちと同じように、
いや実際は、痰詰まりで具合が悪いのだから、
普段以上に、排痰などはしなければならなかったし、
点滴が入って、水分量の変化などもあり、
用手排尿も、「決まった時間」ではなく、
とにかく、本人から目が離せない状況だった。

それで、へとへとになって帰宅し、
翌朝、病棟に到着すると、明け方痰が詰まりました、と、
入院時よりも悪い数値を聞く、という繰り返し。

もちろん、どんなに注意して念入りに排痰をしていても、
詰まることはあるのだから、
詰まったことに対して、というよりは、
「かあさんがいない時はどうなっているのか」
という気持ちがどうしても消せなかった。

もちろん、かあさんは、「母親」だし、
ほのさんが心配だし、
長時間、付き添うということは普通のことだ。

だが、「病院」に来て、
「治療」が必要だから入院していて、
「お母さんがいるから」といって放っておかれるというのは、
自分は何のためにこの子を入院させたのだろう、と悩んだ。

緊急入院をして、病名が付いて、治療方針が決まったら、
看護師さんは、それに基づいて「看護」を提供する。

在宅生活をしている子どもの母親が、
自分のこどものあらゆる「ケア」に精通していて、何でもできてしまうことと、
入院中にもその部分を母親が担わなくてはならない、
というのはまた別の話だと思う。

もちろん、付き添っている間に、
できることはできるのだから、かあさんがやろうと思うけれども、
「すべてお任せ」であるとするなら、
だとすると、ほのさんに提供される「看護」はどこにあるのだろう。

たとえばどうしても人手が足りなくて、
「おかあさんにお任せ」になってもいいと思う。
だがその場合には、病院において「責任を持って預かっている」という意識から、
「おかあさんが見ている時に、変わったことはありませんでしたか」と、
その間のことを把握しておかなくてはいけないと思う。

母親がなんでもできることは、あくまで「母親」であるという理由であり、
在宅でみるためには、「おかあさんが一番」にならなければならないし、
覚悟を持ってそれを決意し、その生活を送っている。

だが、治療目的で入院しているときには、
「病院」という場において、
「おかあさんが一番」ということを持ち出される意味がよくわからないし、
きちんとその道のエキスパート、
専門性のある看護師さんにきちんと見ていただきたいし、
それが、医師の治療と合わせて、
病院で提供される「医療」なのではないのか。


「おかあさんが一番」
と、病院で言われるたびに感じていたモヤモヤ感。

ずっと、はっきりしなくて、
少しわかったかな、と思っても、
きちんと表現する勇気がなかったこともある。

「おかあさんが一番」なのは、
「こどもにとって」なのだ。

それは、どの子にとっても、おなじこと。

かあさんが、ほのさんの入院中に、
このような状況の中で言われる「おかあさんが一番」に感じる違和感は、

「ほのさんにとって」と聞こえないところ。

あたかも、病院においても、
ほのさんという患者に対しての、「ケアの担い手」として、
(むしろ排痰なんて、「ケア」というよりも「治療」のような気もする……)
と聞こえてしまうこと、その状況。

ごくあたりまえの手技、看護を、お願いしたいという希望を、
何かとても高い希望、
母親並みの愛情がなければできないような、
そういったものに受け取られてしまうというすれ違い。

そのすれ違いがなぜ起こるのか、というところなのだ。



昨年11月に入院した際、
かあさんは看護師さんたちのカンファレンスに出させてもらって、
ほのさんのおうちでの生活の様子をお話したり、写真を見せたり、
おうちでどのようなことに注意して、
比較的安定した生活を送ることができているか、などお話した。

カンファレンス中、実際の「業務」から離れた、
普段、ほのさんがお世話になっている看護師さんたちの表情が、
ベッドサイドで見る表情と大きく違うことが、とても印象的だった。

ほのさんがどうやっておうちで暮らしているのか、ということに、
とても熱心に耳を傾けてくれて、

「私たちは、おかあさんがいない間、
おかあさんの役割ができるようにしたいと思っている」

など、色々な思いや質問などを聞くことができた。

いかに普段の看護師さんたちは、忙しく業務に追われているかということ、
そして、その中でも、どうしたら少しでも心地よく過ごすことができるか、
ということを考えてくださっていたのだということを知った。

そのカンファレンスでの看護師さんたちの様子を見て、
かあさんも、反省することがあったと思った。



かあさん自身の問題もある。

これまで、ほのさんを入院させた時に、
数々の難しい「ケア」があるということそれ自体に、
病院に対して、「申し訳なさ」みたいなものを、ずっと感じていた。

患者は、ほのさんだけではない。
看護師さんは忙しい。
順番もあるし、我慢も必要。
できることはなるべく、かあさんがしよう。

もちろん、そういう気持ちは当然のことだ。

だが、そのことと、
ほのさんの「悪化」を防ぐため、「治療」のため、
普段の「小康を保つ」ために必要不可欠なケアというものは別だ。

つまり、入院した際に「看護」と呼ばれる部分を要求することが、
自分が普段、おうちで全て担なっていることを、
あたかも全部やって欲しい、という無理な主張をしていることになるのではないかと、
かあさん自身もごちゃごちゃになっていたのだ。

別の子が泣いていたら、
ほのさんが目の前で痰を詰まらせてみるみるサチュレーションを下げていても、
自分がついているんだから、と、
いつも看護師さんを呼ぶことをためらった。

当然、看護師さんを呼ばなくてはいけない状況でも、
自分がいるのだから対応しなくては、
という気持ちもきっとあったに違いない。

在宅生活をするためにはどうしても身につけなくてはならなかったケアを、
母親が「できる」ために、
いつどうやって看護師さんを呼んだらいいかも、
わからなくなっていた。



患者家族にとっては、
病院に対して「お世話になっている」という気持ちがまず、ある。

ほのさんにおいては、どんなに調子が良くても、
「病院」は、これから先もずっと、
お世話になり続けなければならない場所だ。

だから、自ずと、「迷惑をかけたくない」という気持ちになる。

また、病院の対応がどうとか、という問題は全く抜きにして、
ほのさんが一旦入院してしまうと、
自分の手元から離れたという意味では、
表現は悪いけれど、「人質にとられている」ような心持ちはあって、
だからこそ、なるべくスタッフの方たちにお世話をかけたくない、
かあさんがめんどくさいことを言って、
ほのさんが嫌われるようなことには絶対になりたくない、
悲しいかな、そんな気持ちがいつも、してしまう。

そんな気持ちが働いてしまって、
かあさんの方にも、
「できる限り自分がやらなくちゃ」
という気持ちがあって、
どんどん強くなってしまっていたのだと思う。



この4年近くの間、
毎年1回は、救急車で運ぶような事態になった。

病院の人たちから見たら、
「単なる痰詰まり」かもしれない。
病院に到着する頃には、大抵落ち着いているから、
なおさらかもしれない。

おかあさん、こういう時はすぐに救急車を呼んでいいいんですよ、
と言われたこともあった。

4年前に退院するときも、
何かあったらいつでもすぐに救急車を呼んで来てくださいね、
そう言われていたし、
そうすればいいんだ、と割と簡単に考えていた。

でも実際は、下手したらいのちを落としかねない状況で、
ほのさんの状況を見ながら、いつ、救急隊に電話するか、
そのタイミングだって難しい。
病院と違って、かあさんしかいないのだから。

酸素を流して、揺すって起こして、吸引して、バギングして、
あらゆる手を尽くして、
この状態なら救急車に乗せてもだいじょうぶだ、と判断した時に、
電話をする。

救急隊を要請して、これでもう安心、とはいかない。
到着するまでに、必要な持ち物を全部ぬかりなく準備する。
その間も、ほのさんから目を話せない。

その上、救急隊もほのさんのような子には不慣れだと考えなければならない。
救急隊到着後、
まず、どうやってほのさんを救急車まで運ぶか、
バギングはどの程度の圧か、
呼吸器はどうやって運ぶか、
救急車の中ではバギングでいくのか、それとも呼吸器に繋ぐのか、
呼吸器に繋ぐとしたら電源はどうするか、
保温はどうやってするか、電源はとれるか、
冷静に、救急隊に伝えなければならない。
そして、やっとの思いで、救急車に乗せて
やっとの思いで、病院に到着するのだ。

ほのさんの急変のピークは、「家」で起きて、
その後に、運んでいるのだ。

本当は、救急車の中ではいつも、
我が子をこのまま失うのではないかという恐怖と、
自分のやったことと、判断はこれでよかっただろうかと、
もういろんな気持ちで本当に心細くて心細くて、
泣いてしまいたいと思う。
でも同時に、安全に救急車に乗せることができたんだから、
もうすぐ病院に着くんだから、
もう一安心なんだ、とも思う。

病院というところは、「最後の砦」なのだ。
そんな思いでたどり着くのだ。

そんな思いでたどりついた病院が、
「おかあさん、もう安心してくださいね」と、
ほのさんに必要な「治療」「看護」「ケア」……
もうそれはなんと表現してもいいのだけど、
そう言ってもらって預けられる場所であったらと思う。

そうしたら、やっとの思いでたどりついた病院は、
「おかあさんが一番」とか、誰が一番とか、そんなで議論は必要なく、
かあさんは、純粋に、ひとりの母親として、
こどもの「心配」に専念できる時間が少しでもできるのになあと思う。



こんな素直な気持ちを話したことはこれがはじめてだ。

病院に対する苦情とか、クレームとか、
そんな気持ちだったら、絶対に表現できないことだ。

自分自身でも、ここまではっきりと整理するまでに、
これまでのほのさんの在宅生活のすべてを費やしてきたわけだ。

それはつまり、
在宅生活が長くなったことで、
病院との距離も出てきた中で生まれた、、
「おうち」と「病院」の繋がりをどう築いていくか、
という課題だとも思っている。

在宅生活をどうやって安定させるか、
という課題の、
次のステップだ。

おうちでの生活が安定してきて、
その安定したおうち生活を継続していくためには、
その背後に「病院」という大きな「安心」が必要不可欠だ、
ということも、身に染みている。

ほのさんのチームは、
在宅、病院の区別なく、
全部をひっくるめて1つのチームだ、と思うようになった。

そんなことや、あんなことや、
これからは、病院とも、
何よりも大切な「コミュニケーション」を、
もっともっと持てるようにして、
ほのさんの「バラ色在宅生活」というものが、
「病院」や病院のスタッフの方々に支えられている、
ということを実感してもらいたいと思う。

病院と地域の「連携」などということはよく聞くけれど、
「連携」って何だ、と思うけれど、
ほのさんと我が家を支えてくださる全ての方たちに、
その「実感」を持ってもらえることなんじゃないかと思う。



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