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ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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大野更紗さんとの出会い、そしてこれからのこと。

土曜日。

現在13万部突破したという、
「困ってるひと」の筆者である、
大野更紗さんと、対談する機会をいただきました。

まあ、対談、と言ってもね、
大野さんのアカデミックなお話をじっくり聴き、
合間あいまに、かあさんが少し口を挟む、というのがやっとの思い。。



かあさんの中で、大野さんは、
「理想の困ってるひと像」であったわけです。

困ってるのに、理想も何もないかもしれんのですけど。


聞いたこともない難病を発症し、
(その病名が確定するまでにも辛い症状を抱えながら彷徨い、)
世にも奇妙な症状と闘い、絶叫、壊れ、
それでも生きていくのだが、
その「生きていく」というそのこと自体の難しさにぶち当たり、
それでも道を切り開きつつ、
発信することをやめない……


冷静な分析と、ユーモアのちりばめられた表現から、
闘病記というよりは、
ひとつのエンターテイメントとしてたくさんの人に読まれているようだ。


「生きている」ということがリアルに感じられるその著書だが、
では一体、ホンモノの更紗嬢たるや、
いったい、どんなお方なのか知らん……と、
そりゃあ、この企画のお話を頂いたときから、
ワクワクしていたけど、
民主化問題でしょ、人権問題でしょ、研究者でしょ、
うわーアタマいいんだろうなあ、などと不安になりつつ、
そうはいっても1984年生まれの女子、
等身大の更紗嬢に少しでも触れられたら……と思っていた。



ホンモノの更紗嬢は、
そこは想像通り、
なんだかやたら腹が据わっていて、悟っていて、
何かひとつを伝えるにも、
それにまつわるさまざまなエピソードや知識がたくさんあるのがわかり、
捉え方がやたらアカデミックなのに、
ひとりの「困ってるひと」目線を絶対に欠かさない。

すげーな……

そんなため息が出まくり。

そして、笑う。
やたら、笑う。


わたしの将来の夢は「りょーよー」ですから。
「療養!」。

そう言って大きく笑ったお姿が、
とても印象的だった。


フツーに、生きているんだな。
そう、とてもフツーに。

でも、その「フツーに生きる」ということが
いかに難しい世の中か。

ましてや、世にも稀な難病という「クジ」を引いてしまい、
どうやって生きていくの?という状況の中で、
楽観もせず悲観もせず、
粛々と、生きる。

そして、話すことを決して辞めない。

話していけば、絶対に「伝わります」と言いきるのは、
社会に対して「恐怖」を抱くのではなく、
「信頼」を持っているからだという。


「困ってるひと」の生きにくい、
社会の不条理を誰よりも実感しながらも、
「信頼」を持っていられること、
それは一見、不思議なことで、
頭の下がる思いがするのだが、
それこそが、
「いのちがある」ということ、そのものなんじゃないかなと思った。


彼女の言うことは、とてもシンプル。

「頑張ってる人をみたら、とにかく助けてください」と。

そんなシンプルだけど、大切なこと、
あんまり聞くこともないけど、
シンプルなことは、
直接、心に届くのだ。



帰り際、
大野さんはごく自然に、
握手してくださった。

それがね、すごく、グッときた。

うまくいえないけど、
それが、大野さんの、社会に対する「信頼」、
わたしも、あなたも、生きていこうね、
いっしょに、いきていこうね、
そんな思いのあらわれに感じられたのだ。



対談の内容は、
かあさんが現在、エッセイの連載をさせていただいている
民医連新聞の新年号に掲載されますので、
そちらを、ぜひ。




そんな素敵な大野さんとの、ステキな出会いも、
ほんとうに、不思議なめぐりあわせ。

大野さんが難病のクジを引いていなかったら、
ほのさんが眠りっこのクジを引いていなかったら、
あの土曜日のひとときはなかったわけで。

かあさんは、大変ちっぽけではありつつも、
ぼそぼそとブログでつぶやいてきたことも、
やってきてよかったな、と思う瞬間だったわけです。

そして、こうしてたくさんの方が読んでくださるということ、
そこでまたステキな出会いがたくさんあるということ、
本当に、嬉しく、感謝しています。


ほのさんとの「バラ色在宅生活」は、
毎日まいにち、このマンションの一室の限られた空間の中で、
おなじことの繰り返しのようにみえて、
実は日々変化していて、成長していて、
いろんな気持ちが生まれ、
涙もあるし、笑いもあって、
生きること、そのものです。

そこで考えるいろんなことや、
ぶち当たる壁、たくさんの問題は、
ほのさんのようないのちに限られたことではなくて、
そこから見える、普遍的な何かがあるようにも思っています。

自分の知らなかった世界、
眠りっこの子育てをする母親になって、
はじめて気付かされたこと、
社会のしくみのおかしさ……
それらをここから発信することで、
読んでくださった方たちが「何か」を考えるきっかけとしてくれたら、
そんな思いもあります。

そしてその逆も、大切なことです。
かあさんが思うことを書いて、
それに対するみなさんのお考えを聞く。
自分とは違う意見の中に、ハッとさせられることがたくさんあります。

頂いたコメントは、
コメントの内容にかかわらず、
コメント主さんから指定されたとおり、
公開、非公開、の設定もそのまま、載せてきました。


しかし、折りしも、震災直後から、
「税金の無駄使いだ」
「助けてもらってるのをあたりまえに思ってるのか」
というようなコメントが、とても多くなってきました。

その多くは非公開の指定でしたから、
かあさんにだけ伝えたいのか、
見られたくないのか、
真剣に読んでくださっている方の目に触れることもなくて、
よかったのです。

そのうちに、
いま、ここに自分では書けないような、
本当に吐き気のするようなことばも書かれました。
それは、このブログの管理人として、
当然、公開するべきではないと思ったし、
自分だけが読んできました。

世の中には、いろんな考えの方がいます。
色んな考えがあっていいのです。

だから、それが「ひとつの考え」としてみなせないような非常識なものは、
それはもう、どうでもいい。

それでもかあさんが、前回の記事を書き、
読者の方たちに嫌な思いをさせてしまうことを承知で、
「不適切」と思われるコメントも公開したのは、
どうしてもそうしないと伝わらないことがあるのかもしれないと思ったからです。



震災以降、
「ほのさんに税金を使うなら、
被災した元気なこどもたちに」とか、

「いま日本がこんな状況の時に、
ほのさんみたいな子が助けてもらえなくても当然だ」


というようなコメントが、
わりと普通に、と言いますか、
特に酷いことばを使うでもなく、
結構たくさんくるようになりました。


あるいは、

「健康なこどものいのちたっで、守るのは大変なんだから」

「ほのさんは訪問看護もヘルパーも受けられてるんだからまだまし。
うちは受けられない」

と、いうような。


震災で、大津波の被害を目の当たりにし、
原発事故で故郷を追われる人たちがでて、
日本中、節電ムード、
何かできることないかな、役にたちたいな、
とりあえず被害のない人たちは我慢しよう、
そんな感じになりました。

かあさんも、自分の手で守っていると思っていたいのちが、
当たり前のように使っていた電気ひとつなければ、
いのちに関る問題だし、
当たり前に送ってきた在宅生活を送ることができないと知り、
愕然としました。

日本中の人が、震災以降、
何かを感じ、何かが変わったのではないかと思います。

でも、本当にみんなが同じように確認しなくてはならなかったことは、
どのいのちも等しく大切だということで、
こんなときは、こっちのいのちのために、
こっちのいのちが犠牲になっても仕方ないじゃないか、
というような切捨てではなかったはずなのです。

事故や天災や何やらが起こるたび、
それらの収束のため、復興のため、
みんなが協力してできることをしなくてはならないけれど、
そのために、だれかのいのちが犠牲にさせられたりするのだとしたら、
結局、犠牲になる人は一番弱い人になるわけだし、
結局、弱い人はいつの時代にも、
「生きること」すらままならない、ということになってしまうのだから。

しょうがないよね、犠牲になっても……

そんなふうに言われても仕方がない人が、
この世の中にいるのでしょうか。
それも、本人に責任などなく、
たまたま引いてしまった「クジ」のために。

他の誰が引いてもおかしくない、
「クジ」のために。



そこで、いつ、誰が、どんな「クジ」を引いてもいいように、
それでも困らずに「生きていく」ことが保障されるようなシステムになっている、
それが「社会保障」なのではないのだと思うのです。

みんなが困らないようにすること、
自分がもし生きていくことに困るような状況になったら、助けてもらえる安心感、
となりのひとが生きていくことに困ったら、みんなで助けましょうという、連帯感。

それをきちんと保障するのが国の仕事のはずで、
そこがきちんとしていたら、本当はそこに「不公平感」なんて、ないはずです。
だって、保障されていることに不公平だと思うなら、
じゃあ、あなた、すすんで人工呼吸器つけますか、
という話になってしまいます。


それなのに、

「ほのさんはそれだけ助けてもらって、ぜいたく」

と言われるからには、
ほのさんとは違う状況で、何かしらの保障が必要なのに、
それがなされていない人たちがたくさんいるのではないかと思うのです。

「保障」というレベルにまではいかないまでも、
毎日の生活にとても「困ってる」という状況の人たちが。

困ってる状況というのは人それぞれだし、
どれが大きくて、あなたのは小さいですよ、なんて言えるものでもないです。

かあさんは、あくまでほのさんの「事例」のおはなしをしていますから、
ひょっとしたら同じこどもで、
難病指定などから漏れていて、訪問看護が受けられない、とか、

あるいは、こどもは全く健康だけれども、
おとうさんは家族のために仕事が忙しく、
誰からも子育ての手助けを受けられなくて、
とてもとても参っている、とか。

まあとにかく、
匿名の状況もわからない方たちだから、
あくまで想像でしかないのだけれど、
「不公平だ!」というのなら、
何かしら困ってるんじゃないのかな、と。




困ってるひとが、何に困ってて、
困ってるから助けてください!とか、
こうしてください!とか言うのは、
なかなか大変なことです。

(「困ってるひと」を連発して、大野さん、ごめんなさい……)

だって、困ってるさなかにあっては、
「困ってるなう」、と発信することはなかなか難しいし、
だいたいにおいて、困ってるときって、
自分が何に困ってるのかを把握することそれ自体、難しいことですし、
それがわかったところで、その立場にない人に伝えることも、
これまた難しいことです。

その上、困ってる人、その本人が「困ってる」と声をあげることには、
なかなかどうして「リスク」が伴うのです。
どうしてかなあ。

「助けてもらってるくせにまだ言うのか」と言われることもあるだろうし、
「エラそうだ」とか、
文句を言ってるとも思われがちです。

でも、本当は、
困ってる人にしか、その状況は伝えられないし、
例えば、使っている制度が使いにくければ、
使いにくい!と言えるのは、使っているその人しか本当はいないはずです。

使ってる人が「使いにくい」と言うのは、文句でもなんでもなく、
それは言うべきことで、
そう言っていくうちに、制度のムダがなくなったり、
いいものに変わっていくのではないかと思うのです。

本当は、困ってる人がためらうことなく、
困ってるから助けてください、
ということができる社会でなくてはならないと思うのですが、
いまは、そんな社会になっていないのではないでしょうか。

「社会」というと、なんだそれ、となってしまうかもしれませんが、
わたしたち一人ひとりが生活しているところのはなしです。

わたしたち一人ひとりが、社会をつくっているわけです。

困っている人たちをきちんとその責任において保障するような国になっていない今、
社会をつくっている一人ひとりが、
本当に困っていることがあるのなら、
勇気を出して誰かに言ってみたり、
そこから目をそらさないで、
なんとか取り組んでみようと頑張ってみない限り、
その困っている原因は、
簡単には取り除かれないし、

ましてや、みんな困ってるんだから、
我慢しようよ、

わたしも困ってるけど我慢してるんだから、
あなたも我慢しなさいよ、じゃあ、
一体、この世に授かったいのちは、
なんのためですか。

みんなで我慢大会するよりも、

誰もが我慢することなく、
安心して過ごせるようになるように、
そのために頑張るほうが、素敵じゃないですか。

結局は、一人ひとりがどんな風な心持ちで、
どんな風に生きて、
自分以外のいのちとどうかかわっていくか、ということが
いずれは制度になったり、
国をつくったりするんだと思います。



かあさんは、「社会」などというものに対する明確な考えもなく、
薄ぼんやりと生きてきたけれど、
ほのさんといういのちを授かって、
ただひたすら「生きる」ということのすばらしさ、
難しいからこその尊さ、

ほのさんのいのちと同じように、
自分のいのちも、
家族のいのちも、
みなさんのいのちも、
どれもみんな尊いのだという大切なことに気付かされたのです。

だから、
かあさんはこれからも、
自分がやるべきだと思うことを、

ほのさんが、
かあさん、おねがい。

と言っていることを、

これまでとおりに、
迷いながらも、やっていくつもりです。

かあさん自身は強くないけれど、
大切だとおもっていることは、とても強く、
同じように願っている人たちがたくさんいることも強い。


そして、できることしか、できないのです。

わたしは、ほのさんのかあさんだから、
ほのさんの困ってることについて、
ほのさんの家族として困ってることについて、
ほのさんにかかわる環境のことについて、
これからも真剣に取り組んでいきます。

これは、ひとつには、
可愛い大切な、娘に対する愛情であり、

ひとつには、
わたしが社会をつくる一員としての責任だと思っているからです。

そうして、
ほのさんのバラ色在宅生活は、
これからも続いていきます。



かあさんも、
大野さんのように、
社会に対して、「恐怖」ではなくて、
「信頼」を持って生きていける大人を目指します。

そうして、ほのさんにも、
「信頼」を持って、生きていって欲しい。

みんなが、「信頼」しあっていきていけるようにしたいです。




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