ほのさんのバラ色在宅生活 |
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『病気というのは「経過」だから、
はじまりが一番悪いとは限らない』 そんな言葉が身に沁みている。 11月頭に、左肺痰詰まりで12日間入院したほのさん。 お家に帰ってから、その原因の肺はすこぶる回復したのだが、 そのほかの体のあちこちに不調が出て、 思わずかあさんが、 「入院する前より全身状態が悪くなってる……」 と愚痴った時に、 在宅医のT先生に言われた言葉。 本当に、その通り。 はじまりは肺だったのだけど、 そのために行った治療の影響とか、 その悪くなったところをカバーしようとよそが頑張ったせいとか、 とにかく、ひとつがコケると、 全部がコケる。 そして、バランスを崩した体は、 すぐには元に戻らない。 それが「経過」というものなのだ。 その「経過」をただ見守り、 原因究明というよりは、 起きている不調が一大事にならないようにと微調整をすることしかできず、 それがなんとも辛い。 経過を見守る辛さと、 本人の辛さとを一緒にしてはいけないと、思いつつ……。 肺のコンディションが悪くなると、 痰などが邪魔をして、肺が膨らみきらないので、 人工呼吸器から送り込まれる空気と圧が肺の中に入りきらず、 飲み込んでお腹に入ってしまうことがある。 そのせいなのか、 はたまた、抗生剤を使ったことで腸内の細菌バランスが崩れて、 普段から動きの悪いお腹が、 さらに動かなくなって、 便が出にくくなり、ガスも溜り…… お腹がはちきれんばかりに張って苦しいからなのか、 普段はまったくといっていいほどかかない冷や汗をかき通しで、 汗に水分を持ってかれるので、 余計に便は硬くなって出にくくなり。 常に力みがちなために、 分泌物も増えて、吸引もかなり頻回になり…… このエンドレスな悪循環。 かあさんにできることと言ったら、 できるだけ水分を増やしてあげること、 お腹をマッサージしてあげること、 浣腸、ブジー…… まあ、とにかく対処療法的なことしかなく、 水分を増やせば余計にお腹かが張って、 冷や汗の量も増え…… と、一体何をやっているのかわからないという袋小路に迷い込み。 そんなことをしていたのだが、 先日、ついにおしっこが出なくなって、 これはいよいよ脱水か…… と青ざめたのだが、 皮膚はいたってピチピチ、 相変わらず冷や汗をドバットかいているということは、 体の中に水分はあるものの、 おしっこに回らないのだろうと、 予想はつくものの、 「おしっこが出ない」という事態の最悪さ加減に負け、 土曜日だというのに訪問看護師さんや、在宅医の先生を呼び、 大騒ぎしたところで、 結局、ジョーっと出るおしっこ……。。 そう、理屈はわかっている。 いたちごっこに思えても、 いくらお腹が張ったとしても、 脱水を避けるためには、水分を増やすしかないし、 増やせば汗が増えるのも必然で。 脱水になっていないかどうかの大きな指標となる、尿量。 それを毎回、用手排尿(膀胱を手で押す)するたびに確認するのだが、 お腹自体が張っているため、押すことも難しく、 張ったお腹を押される辛さを思えばこちらも辛く、 結局いつも、膀胱が張るほどおしっこは溜まらなかった。 その感覚が怖く、 理屈を考えれば深刻な脱水になっているのではないとわかるのだが、 そんな状況を見守り続けてちょうど1週間あたり、 不安はピークに達していた頃、 夜中0時から、翌日午後1時まで尿が出ないということになったのだった。 夜間は注入をしないので、 おしっこが造られる量も少ないし、 夜通し汗をかいていたこともあり、 朝とお昼の注入をいれ終わった頃、 やっと無事、おしっこが出たわけだ。 結局、先生と看護師さん、 急いで帰ってきたとうさんと5人で作戦会議となり、 「水分を増やしてあげるしかない」 という至ってシンプルかつこれまでと同様の作戦が再確認されるという……。 注入中は、お腹が膨れてくるので、 汗の量も増え、本人にとってもかなりの負担そうだと話すと、 決まった注入の時間の合間あいまに、 シリンジで少量ずつ、手動で注入していってあげようということに。 当初は胆汁なども引けていたので、 ミルクを薄めたり、ソリタ水に変えてあげていたりしたが、 飲み残しも少なくなってきたので、 注入スピードを落としつつ、 強制的にお腹を動かすためにも、通常のミルクの濃さに戻していこう、とか。 本当に、できることと言ったら、 ちっちゃくて細かい、調整ばかり。 でも、それが、 本当に、ほんとうに、大切で。 かあさんの頭で考えられないことではないし、 結局、やってることは変わらないとしても、 先生や看護師さんが一生懸命、一緒に考えてくださる心強さと言ったら! その後も、作戦を微妙に変えつつ、 ほのさんの様子と相談しながらいろんな手を打って。 そして、昨日。 やっと、自力排便があったのでした! すると、不思議なことに、 髪の毛までびしょびしょにしていた冷や汗もほとんどかかなくなり、 ああ、やっぱりお腹が辛かったのか……と。 浣腸やブジーなどをして、 どうも硬い便やガスが行列しているだろうということはわかっていたけど、 普段から下痢しがちなほのさんに、 下剤を使って強制的にお腹を動かす、という最終手段も選択肢として持っていられるように、 T先生が処方しておいてくださったけど、 見守る辛さに負けず、 本人の力が復活するのを待って、 ほんとうによかったなあ……と。。 下剤を使っていたら、 今度は下痢が止まらず、 水分が一気に体外に出て脱水…… ということだって考えられるし、 簡単に薬を使うとか、 何かを大きく動かしてしまう危険性も身に沁みた。 あとで振り返るといつもそうなのだが。 見守り続けることに心が折れそうになる頃、 先生に相談したり、緊急受診したりする。 必要だと思われる微調整はそれ以前にちゃんとできていて、 心が折れかける頃には、 ほのさんの調子は上向き加減になっていて、 ひょっとしたらそのちょっとの良い徴候にかあさんも気付いていて、 弱音を吐いたり、「念のため受診」の余裕が出ているのかもしれない。 18fr.という極太のネラトンカテーテルを、 おならを出すために、 ほのさんのおしりにいれることは、 これでこの子がラクになるのなら!と、 それほど怖がらずにできるのに、 ああ、なんと「見守る」ことの、ムズカシさよ……。 人間のカラダは、 本当によくできている。 そして、ほのさんの元気になろうとする力を、 また、まざまざと見せつけられた。 もうひとつ。 ここで、かあさんの考え方を修正しておかなくてはいけない。 毎年11月、ほのさんは痰詰まりで搬送されている。 そのたびに、排痰の方法を変えてみたり、 頻繁に体位交換を行ってみたり、 いろんな、考えられるだけの努力を重ねてきた。 そして、今年。 これだけ努力して、これだけ頑張って、 もしまた、痰詰まりで搬送するようなことになるのだとしたら、 もうそれは、どうしようもないな…… そんな風に思うほど、手を尽くしていると思っていた。 だが、結局、 うちでは回復させられないどうしようもない事態になった。 そのことを振り返って、 「これだけやっていてもこうなるのなら、 もうどうしていいか、わからない」 と、ちょっと(かなり)泣き言を言った。 在宅医のT先生に。 そしたらT先生、きっぱりと 「おかあさん、その考え方は間違ってるよ」と。 優しくでもかなりハッキリ言われたもんで、 どどどーゆーことですかー、ってなって。 「僕達はさ、できることを、できる限り、やりましょうよ、 ってことで、やってきてるんでしょ。 できる限りのことをして起こる事態というのは、 起こるんだから。」 と。 ……。 いや、本当にほんとーに、その通り。 できることをできる限り、 力の限りやっていて起こることというのは、 起きてしまうんだし、 どうしてもしなきゃいけないことは、 「防ぐこと」 じゃあ、ないということ、か。 このままじゃ、「防ぐこと」ばかりを考えて、 起きてしまった時にしなくてはならないことを 見落としかねなかったのかも、と。 ほんとうにちょっとした考え方の話なんだけど、 それはいざというときや、 重要な判断を迫られた時に軸となる、 大切な大切なことなのだ。 病気は、経過。 退院したら終わり、ではない。 そして、 これからも、 できることを、 できるかぎり……なのだ。 奥が深いぜ、在宅生活。 こうして11月が、瞬く間に過ぎてゆくー。
by honohono1017
| 2011-11-24 17:40
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