ほのさんのバラ色在宅生活 |
![]() あたし、げーりー、 なおったみたい。 つらかったけど、がんばったわー。 朝から楽しいバスタイムを過ごしたほのさん。 お腹が落ち着くと、 不思議と痰の調子も良くなり、 久々に穏やかな時間。 ほのさんが、お風呂上りのミルクを飲んでいる間、 DVDを観た。 「殯の森」 (河瀬直美2007年) 「殯(もがり)」とは、 敬う人のいのちを惜しみ、 しのぶ時間のこと。 また、その場所の意。 語源に、 「喪あがり」喪があけるの意味があるという説も。 おそらく、その土地に古くから伝わる、 死者を見送る行列の映像からはじまる。 そして、場面はうつり、 のどかで小さなグループホーム。 そこで暮らすしげきが、 33年前に亡くなった妻の姿を追い求め、 それに寄り添う職員の真千子が、 共に墓参りに出かける。 セリフもほとんどなく、 墓参りの途中で迷った深い森の中でのシーンがほとんどで、 それを観て何を思うかは人それぞれだと思うが、 「人の死」というものの、 抽象的で感覚的なものが描かれているように思った。 冒頭のグループホームでのシーンで、 お坊さんのお話を聴く、という時間があった。 そこで、「私は生きているのか」という問いを、 認知症を患うしげきが、お坊さんに、 独り言のように話す。 すると、お坊さんは、 『「生きている」には2つある。 ひとつは、「ごはんを食べていますか」「おいしいですか」ということ。 これは、ほとんどの人が「はい」です。 そして、これとは違うもうひとつが、 「なぜか生きている気がしない」 「生きている意味がわからない」 「めあてがわからない」、 つまり、「生きている実感がない」という意味。 「虚」ということ。 生きているのかどうか朦朧としている、ということ。 では、その「虚」をどうカバーするのか。 手を握ってみてください。 あたたかいですか。 エネルギーが伝わっていくのがわかりますか。 それが、「生きていることの実感」なのです。 生きているというのは、「実感」なのです。』 このように諭した。 「息をしているのかどうか」という、 生物学的ないのちと、 「生きている実感がある」という、 人間らしいいのち。 しげきは、亡き妻の姿を追い求め、 幻ばかりをみては、 自分の生きるめあてを失っている日々のように見えるが、 妻の「殯」の場所を訪ねることで、 生きいきと、 自分の生を感じたのかもしれない。 また、そのしげきの「殯」の時を共有することで、 我が子を亡くす、 という辛い経験のある真千子も、 次第に自分のいのちを実感したに違いない。 愛するひとと、 さまざまなことを共有する時間も、 その人を失ってから、 思う時間も、 どちらも尊い、時だろう。 残された人が、 逝ってしまった人となお、 「殯」の時を、 共有しているように、 実感するのだから。 ほのさんと、 手を繋ぐ。 あたたかい。 ふたつのいのちの、 実感。 読んでくれてありがとう。 ポチッとな↓ も、お願い! ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 このブログ「ほのさんのバラ色在宅生活」が 本になりました♪ 「ほのさんのいのちを知って」 絶賛発売中☆ 紀伊国屋書店 TSUTAYA ONLINE eb!STORE アマゾンでも入荷したみたい。送料無料ですので、ぜひ。 ↓ ↓ ↓ ↓ アマゾンで「ほの本」購入
by honohono1017
| 2011-06-16 14:29
| Life
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