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ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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「救児の人々」を読んで。

さきほど読み終わった本。

救児の人々 医療にどこまで求めますか
熊田梨恵 著 ロハスメディカル

NICU卒業生のこどものお母さん、
NICUや重度心身障害児施設の医師などに
インタビューした内容がまとめられており、
色々な視点から考えることができる。

この本の中で、一貫してある著者の問題意識、
「私たちはどこまで医療に求めるのか、求めることが許されるのか」。

2008年10月に起きた、
墨東病院事件をきっかけに、周産期医療を追い始めた著者。

「この現代社会の病巣ともいえるような、
国民の倫理観や死生観の欠如、
自分たちが社会を構成する一員であるという意識と
想像力の欠如、
それを助長させる社会構造、
それらが新生児医療に凝縮されていた。」とある。

まさに、その新生児医療によって救われたほのさん。
いろいろと問題があることは、
当事者家族として目の当たりにしてきてから、わかる部分も多いが、

「私たちは医療にどこまで求めるのか、求めることが許されるのか」
という問いについては、最後までわからなかった。

わからなかった、というのは、
そのような問題意識を持つに至った著者の思考については理解するのだが、
かあさんの思うこととは、違う、ということ。

墨東病院事件後、国の議論の内容は、
救急患者を受け入れやすいように、
NICUを現在の1.5倍の約3000床にすること、
NICUの後方病床として、GCUや小児科病棟、重心施設などを
整備すること、だった。

これは、著者の指摘するように、問題の根本的解決ではありえない。

しかし、
「何がなんでも助けてほしい、
とてつもなく困難なケースでももれなく救って欲しい、
なんて、私たち求めていないですよね。
実際にそれを実現しようとしたら、
もっと医療者の労働環境が過酷になったり、
税金や保険料もあがりますし……」
というのには、
自分のこどもが、突然いのちを奪われかねない状態になったら、
そんなことは言えないのではないかと、思った。

親の立場にならなければわからない……
とか、著者を個人的に非難するものではない。

ただ、自分や、大切な我が子、家族が、
いつ死ぬかわからない、というリアルな状況は、
想像するにも容易いものではないし、
「死生観の欠如」と指摘されるような世の中で、
国民的合意を得て、
この新生児医療を「どこまでやるか」なんて、
決められっこない。

そして。

「医療にどこまで求めるか」という問いは、
ほんとうに、危険なものだと、
恐ろしく思う。

「どこまで求めるか」というのは、
結局、生まれて間もない小さなあかちゃんに、
そこまでしていいのか……
と言ってしまうので、

自分の子供が実際にそのような状況になった時に、
何を選択して、どうするのかは親に委ねられるとしても、

「そこまですることがいいことなのか」と言ってしまえば、
「そこまで」して生きている「いのち」は一体何なのか、
ということになってしまうと思うし、
一旦、そのような議論が始まってしまったら、
「そこまで」しても生きたい、と思うことが
許されなくなってしまう危険があると、思う。

一度、開発された医療技術は、すでに存在するから、
医療は「不可逆的」で、
まして、救急の場面で、
できることに、手を尽くさない、ということはおかしいと思う。

いや、おかしいと思う、と言ってしまうと、
それを望まない人を否定することになるから、
それも、おかしい……。

ある医師は、
「僕らはいつか赤ちゃんが笑顔でお家に返れるかもしれないと思えるからこそ、
小さな体に針をさしたり、様々なチューブを差し込んだりします。
でも、救命や、無事な退院の可能性が極めて低くなりつつあるときは、
僕ら医療者が、赤ちゃんの苦しい時間を長引かせていないか、
弱った体に暴力をふるっているのではないかと思えてしまう瞬間もありますよ。
(中略)
「やり過ぎ」の医療も「やらな過ぎ」の医療と同様に非倫理的ではないかと。
でも、どこからが「やり過ぎ」かという答えはないですね。」
と語っている。

「やり過ぎ」も「やらな過ぎ」も、
万人に共通のものではありえないし、
強制できるものでもないということか。



もうひとつ、大きな問題。

「医療が発達すると障害や後遺症を持つ人が増える」という説。

以前、かあさんが学生さんたち向けに講演したときも、
現役医学部6年生(来春、医師として勤務予定)の学生さんが、
「新生児科の実習に行ってみて、
たくさんの未熟児ちゃんや重症な赤ちゃんを見て、
この子たちを救っても、結局、脳性麻痺の子を増やすだけだ、
と思ってしまっていた。」
と、心のうちを話してくれたことがあり、
かあさんとしては、
これから医者になろうという若者が、
すでにそのような意識を持っているということに驚愕した。

この本の中で、ある医師は、こう語った。

「世間的にあたかも集中治療を行うことが後遺症を
作り出してしまっているかのように言われる風潮には危惧を感じる。
これは大きな誤解。これは周産期医療に限ったことではなく、
集中治療を始める、という時点、その状態の時に、
その人はもう、後遺症なり障害を持って生きていくという可能性を
持っているということ。そういう人は、いまも昔も変わらずいる。
だから、一定の割合で後遺症を持つ人は世の中に存在している。」

「じゃあ、適度な医療が行われれば、後遺症の発生を
減らせるのかといえば、現実はそんな簡単なものではない。
もし医学の進歩が後遺症の発生を増加させている側面があるのだとすれば、
それは「治療対象」が広がったという面においてか。
でも、これだって、治療対象としての線引きは容易なものではない。」


この議論て、結局、
どうしたら後遺症を無くせるのか、という前向きなものではなくて、
後遺症をおった人たちを、どこかお荷物的なものとして見ているものの、
そうとははっきり言えず、
でも、じゃあその人たちをどう社会として支えていくか、
ということもはっきりと深めてはいかない。

後遺症をおう人を出さないために、
じゃあ、治療をやめるんですか、
究極的には、そういう、はなしだろう。

ほのさんが「後遺症」をおったこどもで、その母となって、
はじめて気付くことだ。



かあさんは、この本を読んで、
ある光景を、思い出した。

ほのさんが重症仮死で生まれて、NICUに運ばれ、
かあさんがひとり(正確にはとうさんと、ふたりで)、
産科病棟で過ごした、産後の入院生活のこと。

元気に生まれた赤ちゃんに、授乳する、
自信に満ち溢れた、母親たち。

一方、急なことでなにがなんだかわからず、
赤ちゃんを取り上げられてしまったような、
授乳することもできない、かあさん。

そこには、くっきりと線引きがされていた。
二度と、消すことのできない、線。

昨日まで、
同じ、「妊婦」同士だったはずなのに。

実際、そのお母さんたちが何を思っていたかはわからないが、
かあさんの手元に赤ちゃんがいないのは、
一目瞭然であり、何かあったことは、すぐにわかる。

元気な赤ちゃんの母親と、
あかちゃんに「何かあった」母親、
という線引きは、
やがて、
健常児の母親と、
障害児の母親、という線引きになるのだろう。

かあさん自身、
ほのさんがお腹の中にいる間、
赤ちゃんの体重が思うように増えないという理由で、
かなりの期間、入院していたはずなのに、
自分の赤ちゃんに異常があるとか、
生まれてくるときに危険な目にあうとか、
まして、いまのような子育てをするようになるなんて、
夢にも思わなかった。

自分自身は、
いまいる方ではなく、
線の「向こう側」にいると、
信じて疑わなかったのだ。

同じ妊婦だからと言って、同じ母親だからと言って、
出産で危険な目にあったり、
障害を持ったこどもの母親になる確立がありますと言われても、
やっぱり、自分がその立場になりうると、
リアルに思うことは難しいと思う。

かつて、かあさん自身も、
「向こう側」の母親だと思っていたように。



そんな、別の種類の母親になったのだと思い知らされた出産から、
不思議なことに、かあさんは、ほのさんのことを
「障害児」だと思ったことがなかった。

人から、「障害を持ったお子さん」といわれ、
ハッとしたのをよく覚えているが、
でもよく考えれば、
自分のこどものことを「障害児です」と思っている母親の方が少なく、
世間的に「障害児」であるといわれ、
「障害児の母」を強いられるから、
ああ、うちの子は障害児なんだと思うのかもしれないな、と思う。

健康なこどもと違って、「障害」があるこどもに対しては、
独自の施策、教育、施設などがひつようであるからこそ、
区別のために「障害児」と呼ぶのであるから、
そのこどもたちを「障害児」と呼ぶからには、
きちんとした、継続した支援が整えられるべきだ。

そうでなければ、ただの、差別。



お産とはおめでたいだけではなく、
とても危険が伴うぬことであり、
障害を持った子供が生まれることもあるということを、
もっと広く認識してもらうということも、
確かに必要かもしれない。

しかし、あのときのかあさんが、
そのようなことを十二分に知った上で、お産に望み、
ほのさんといういのちを授かっていたとしたら、
混乱せずに済んだろうか?

すぐにも、ほのさんの生きる意志を見出すことが出来たろうか?

いくら「可能性」を教えられていたとしても、
まさか自分が、自分の子が……となるだろう。

だとすれば、必要なのは、
やはり、そうして生まれてきたこども、
救われたいのちの「その後」を支える社会システムと理解。

自分もいつかは「歳をとるから」という大前提において、
高齢者を支える仕組みが、社会的合意を得ているのに、
たまたまその「確率」にあたったこどものいのちを、
「そこまでして救うのか」といわれたり、
救われたその後は、勝手にやりなさいといういまの現状では、
あまりにひどすぎるのではないだろうか。

かあさんが、客観的に言うのもおかしいが、
救われたいのちが、救急医療の場面だけでなく、
社会一般にも尊いものとして、
元気なこどものいのちと同じように大切なものとして、
地域で育てていくシステムがきちんとしていれば、
そのような確率にあたった母親たちを苦しませる大きな一因が、
取り除かれるのではないかと思う。

ほのさんが生まれて、少したって、
機械によって生かされているのではない……
と自分自身は気付きながらも、
ほのさんが1日NICUにいることでかかる医療費や、
長期入院のために空かない病床のニュースなどを思うたびに、
自分の人間としての、母親としての思い、信念を、
この子たちにはあまり優しくない世の中で、
貫いていこうという一歩を踏み出すことは、
やはり勇気のいることだった。

いまでも、ほのさんとの豊かで幸せな子育てを、
豊かで幸せたるものにするための気力と体力、
それを世の中に伝える勇気は、
ふと立ち止まると、
いや、立ち止まって考えてしまっては、
いけないような気もするぐらいだ。

自分に無理をしているというのではない。

感じている幸せは、そこにある。

だからこそ、その幸せを伝えたいし、
伝えることで、何かが変わるかもしれないとも思う。



本の中でも、
高齢者の万が一のときの話はしやすいが、
自分の子供がまさかNICUに入るとは思いにくいし、
だからこそ、家族が話し合ったり、理解しあったりする場があれば…
というくだりがある。

そして、そのためにはもっと、一般社会の中に障害者が身近にいて、
障害者と健常者が交流できるしゃかいになっていないといけない、
いまの教育環境ではなかなか障害のある子と接する機会がないから…と。

この間、何度かかあさんが行っている講演の中でも、
多く出る感想が、
「ほのちゃんのような子が楽しく生活していることを、
もっと広く伝えていって欲しい」とか、
「こどもたちは、ほのちゃんのような子と接する機会が無い。
だから、理解しようにも理解できない。
ほのちゃんをかわいそうな子と思ってしまっても無理は無い。」
「どんどん、外に出てきて欲しい」
というものがある。

もっともだと、思う。

でも、あれ?と思う。

障害者は、健常者との生活を望んでもできなくて、
仕方なく、わけられてしまうことも多いわけだ。

別に、こっそり、人知れず生きているわけでもなかろう。

出て行きたくとも、出て行けない事情もある。

でも、出て行かないことには、
何を思って生活しているのか、
どんな生活をしているのか、
それを知ってもらわないことには……
と思うからこそ、出て行く。

でも、そのことが、どれだけ苦労が伴うか、
大変なんだよって、言いたい気持ちもある。

出て行く努力、伝える努力は、
ほのさんと、我が家がするものだ。

世の中が、「それをしろ」という限り、
我が家のような生活は、世間の人にとって「人事」であって、
きっと距離は縮まらない。

そして、そんなちょっとしたズレも、
「ほのかあさん以前」の、
かつての自分は、気付かなかったのだから。




妊婦たらい回し事件以降、
国が「周産期医療」のみを手厚くしようとしていることは、
確かにおかしい。

「周産期以降」、その後の受け皿がないのだから。

大金と多くの手によって救われた「いのち」が、
あるとき、行き場がなくなったら、
それは知らない人から見たら、
お金ばかりかかる、厄介者、となるだろう。

必要なもの。

NICUから、安心して在宅へ移行できるような、
在宅視点、退院指導。

地域での受け入れシステム。
基幹病院と、地域小児科医院、訪問看護、訪問介護、
訪問リハ、歯科、地域保健所、行政窓口……の連携。

それらをコーディネートする、ケアマネ的存在。

安心して預けられ、本人たちの楽しみもある、
入所、通所のレスパイト施設。

親の手の必要の無い、送迎システム。

医療的ケアのてきる介護職の要請。

夜間帯、あるいは長時間利用できる、
滞在型訪問看護、訪問介護。

長期入院や入所などよりも、
在宅での経済的負担が増えないようなシステム。

どこの病院からも、必要な医療衛生材料が、
必要十分な量、供給されるようなシステム。

それらを年齢に関係なく、
必要な人が、どこに住んでいても受けられるような制度。


そして。

一番、大切なこと。

「いのち」が尊いものであるということ。

どこまで医療に求めるのか、ではない。
「いのち」あっての、医療だ。

どんなに小さくても、
どんな状態でも、
親が混乱しても、
世間が何を言っても、
そのこどもの「いのち」は「いのち」に他ならない。

NICUが、たとえ異質な空間であり、
見慣れない人にとって「人間の領域」とは思えないとしても、
そこに誕生した「いのち」は、
光、希望、はじまり。

著者は、産婦人科病院で事務をなさっていたそうだ。

「新生児室の空気は、
生命力と澄んだ空気に満ちていて、
行くだけで元気になった気がしたし、
夜は暗いはずの室内が明るい気すらした。
気がしていただけではなくて、
生まれたばかりの命には、
疲れた私を癒してしまうほどの強くて温かい力に、
本当にあふれていたのだと思う。」
と書かれている。

このことは、
かあさんが、ほのさんを生んで間もなく、
自分自身は鬱になり、治療もはじめ、
真っ暗闇のトンネルの中にいるような気持ちで、
毎日NICUのほのさんのところに通って行き、
ほのさんのベッドサイドに近づいていくにつれ、
まさに、感じていたこと、
そのときは何と呼んだらいいかわからなかった、
不思議な力、
「生命力」と、同じものだと思った。

NICUにいる赤ちゃんたちは、
何も特別ではないと、いまは思う。

元気な赤ちゃんと同じ。
あどけなく可愛らしく、
光り輝き、
人を惹きつける。

赤ちゃんは、どこまで治療を望むか、
意思表示できないから……と言う。

でも、むしろ、
すでに、答えはあるのだと思う。

「赤ちゃんである」ということ。

「はじまり」である、ということ。

両親が親としての責任において、
何を望むかは、それぞれの価値だ。

だが、赤ちゃんが赤ちゃんである以上、
生きることを望んでいるだろうし、
そのことを思って、
将来の笑顔を思って、
治療に取り組むNICUの医師たちがいてくだされば、
「必要のない医療」など、提供されないと思うし、
「必要のない医療」は、ないと思う。

ほのさんは、
NICUを卒業し、在宅2年生。

立派な、卒業生。
恩師への感謝も、忘れない。

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by honohono1017 | 2010-08-31 17:36 | News/Report
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