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ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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イライラの根底にあるモノの、正体。

異様な水様痰がおさまったと思ったら、
今度はミルクの飲み残しが目立ってきた、ほのさん。

風邪がお腹に来たのかな。。

下痢はしていないし、
「あれ、お腹すいた……」
とふと気付いて、残さず飲んでくれることに
期待しつつ(そんな単純じゃない……)。



かあさんは、今回の痰騒動で、
なんだかとても気持ちが落ちた。

ほのさんの状態をめぐって、
いろんなことがあったのだけど、
自分の気持ちがこんなに凹む原因は、
わかっているつもりだった。

だけど、わかっているようで、
わかっていなかったんだ、ということに
気付いてしまったりして。



先月の終わり、かあさんはある方から
お手紙をいただいていた。

一度、ほのさんの在宅生活を取材にいらした方で、
ほの本の感想などを書いて送ってくださったのだ。

取材を通してお話したときのも感じたことだったが、
とても真をついたことをおっしゃる方で、
頂いたお手紙にも、
読んで、ハッとするようなことが書かれていた。

だが、そこに書かれたことについて、
かあさんは、きちんと考える必要があるなあと思いつつ、
とても難しいことなので、
なんとなく「見てみぬフリ」を通してきた。

それで。

今回のほのさんの痰騒動で、
そのことを、どうしても考えざるをえなくなったというわけだ。



お手紙には、ほの本「ほのさんのいのちを知って」(エンターブレイン)の中の、
「いつものかあさん帰ったよ」115ページあたりに
書かれている、
「とうさんにあたる」
ということについて書かれていた。

「いつものかあさん帰ったよ」の内容は、
日曜日、「出かけてきていいよ」とかあさんに、
快く言ってくれる、とうさん。

なのに、体拭きをしてくれたはいいけど
「体温は下がっちゃった」、
ズルッと痰の音がしても、
いっこうに引く様子がない。

そんな、とうさんの様子を見て、少しイラッとするかあさんだが、
とうさんが悪いわけでもなく、
むしろ、とうさんは優しく「気分転換しておいで」と
言ってくれており、
なんだか、かあさんはやりばのない怒りを
どうすることもできずに出かけ、
結局は、とうさんとほのさんが恋しくなって帰ってくる…
という話。

それを読んで、
以前取材された別のお母さまの姿を思い出されたという。

ご主人がお子さんに対するやり方にイライラし、
看護師さんたちに対しても「完璧主義」なお母さま。

「頑張り屋さんですね」という言葉をかけると、
謙遜されながら目を伏せて
「当然です」と、おっしゃる。

そんなお母さまのご様子を見ていて、
「完璧主義」などということとは別に、
おかあさんの中に、もっと何か複雑な思いがあるのではないか、
と思うようになり、
今でも心に引っかかっているという。

そして、かあさんにも、
似たような感情が、
ひょっとしたらあるのではないでしょうか…
と、書かれていたのだ。


かあさんは、そのお母さまのお話を聞いて、
なんとも言えず、
切なく、
苦しく、
涙が溢れてしまった。



とうさんに「あたる」のは、
もちろん、かあさんにとって、
最も身近な、心許せる相手であるからで。

そして、時に、
ほのさんのお世話に関して、
「もうちょっと、ちゃんとして」と思うことは正直あり、
でも、それは、
かあさんの方が、ほのさんと一緒にいる時間が多く、
「母親」という生き物だからこそ
わかることも多くあり、
我が家のとうさん個人の問題、
というよりは、
「母親」と「父親」のことと、
捉えている。

今回は、その「母親」「父親」のことで、
ずいぶんと苦しい思いもした。

それは、同時に
とうさんにも、させていた、
と考えたほうがいいのだろうと、思う。

かあさんといる時にしか、
「3分おき吸引」のような異様な痰は出てこず、
いくら、昼間のほのさんの辛そうな様子をはなしても、
心配はしているのだろうが、
だからといって、普段より目を光らせて
注意してほのさんを見るでもなく。

「痰つまり」は命とりになり兼ねない事柄であるだけに、
その「心配度合い」のズレが、
かあさんには不安であり、
とうさんに対して「どうしてやってくれないの」
という思いではなく
「ほのさんが苦しくないように」
と思っているからなのだが、
「やってくれない」と責められているように、
受け取っているかもしれないとうさんを見ると、
二重に苦しくなった。


2週間近く続けば、
「昼間は大変だったね」と一言、
言って欲しい、という甘えもかあさんには出てきた。

そして、とうさんにはとうさんの
ストレスがあることもわかればこそ、
我が家の空気は、重たくなるのだ。


ほのさんの生まれてから、おうちへ帰るまでの
9ヶ月間の入院生活の中でも、
今、振り返ってみれば、
そんなにイライラすることもなかったかな、
と思うこともたくさんある。

病院はおうちではないし、
患者はほのさんだけではない、
ということは十分わかっていながらも、
あの時のかあさんがイライラしていたのは、
不快を表すほのさんの、その原因について、
かあさん自身も、まだ何もわかってあげられなかったということ、
ほのさんを生んだとはいえ、
母親としてお世話らしきことが、
なにひとつできていない、という、
「子育て」に対する絶対的な自身の無さというものが、
根底にあたのかもしれない、と思う。

在宅をはじめたばかりの頃も、
訪問看護師さんや、ヘルパーさんたちが
助けてくれるのに、
そのやり方一つ一つが気になって、
結局、自分でやったほうが早い、などと
イライラすることもたくさんあった。

あと2ヶ月で在宅生活2年を迎える今でこそ、
助けてくださる皆さんに、
心から感謝して、
信頼して、お任せし、
100%、かあさん自身のやり方である必要はない、
という余裕もできた。

それは、重症児を看ている在宅生活の自信、
というよりは、
かあさんの場合、
母として、
ほのさんを誰よりも理解してあげられるのは自分である、
という子育ての自信がでてきた、
ということのように思うのだ。



だが、どんなに疲れていようとも、
ほのさんのことに関して、妥協することができなかったり、
とうさんに対してイライラする気持ちが消えないのは、
なぜなのか。

母親と父親の違いも認識し、
自分は母親としての立場での、ある程度の自信も持て、
それなのに。

かあさんは、毎日毎日、
本当に神経をはりつめて、
ほのさんのサインをキャッチしている。

神経をはりつめて、というと
大変なことのように聞こえるが、
そういう意味ではなく。

何をしていても、神経だけはほのさんに対して開かれ、
耳を澄まし、
かあさんは、何をしていても、
ほのさんを「見ている」のだ。

文字通り、四六時中、ほのさんを「見て」いては
生活は成り立たないから、
何かをしながら、ほのさんを「見ている」。

掃除をしたり、ご飯を作ったり、
かあさんが本を読んだり、自分の時間を少しでも作るためにも、
ほのさんを「見ながら」、その生活を成り立たせるためには、
本当に、こまかいこまかい、
かあさんだけの決まりごとがある。

朝は、必ず
「ポットのお湯と、ほのさんの白湯のために、
やかんを火にかけながら、
ほのさんのミルクボトルを洗浄し、
同時に、お顔拭き用タオルを湿らせてレンジにかける」
などという、ルール。

「掃除機をかけに、ほのさんから離れて、寝室に行ったときに、
オムツなどのストックを出して来る」
などという、ルール。

それを毎日欠かさずやらないと、
使いたいときにモノは無く、
1日何時間あっても、用は済まないばかりか、
1日中、何かに追われるハメになる。

ルールにがんじがらめになっているようで、
そのルールに従って用事を済ませたほうが、
生活に余裕は出るわけだ。

それが、ほのさんとの生活の実際。

平日はそんな風に過ごしている我が家で、
とうさんの休みの日に、
何かを分担してやってくれる時に、
例えば「体拭いたら、体温下がっちゃった」という、
ちょっとしたことで、
かあさんは、
毎日毎日、細々とした決まりごとを自分で作って、
がんばって、がんばって、
楽しいほのさんとの生活を作っていることが、
一瞬にして、
ぜーんぶ、ひっくり返されたような気持ちになってしまうのだ。

普段、自分が気を配っている、
小さな小さな、
ひとつひとつのことが、
なんだか、バカらしくなって、
バカらしくなるけど、
そのバカらしくなるような、
小さな小さなことで、
この生活が成り立っていることもよくわかっているので、
余計に、情けなく、なる。

正確には、
「成り立たない」のでは、ない。

何か、どうでもよいことを少しくらい、
うっちゃっておいてもいいはずだし、
元来ずぼらなかあさんにしてみれば、
いのちとりにならない、
笑って済ませられる程度の、ほのさんに関することなら、
もう少し緩やかな気持ちを持ってできるはずなのに。

そうやって、
自分自身をがんじがらめにする、
正体。

それが、
何なのか。

お手紙にあった、お母さまの
「当然です」
ということば。

そう、
あたりまえ、
なのだ。

あたりまえであり、
これだけしても、
どれだけしても、
たりない。

ほのさんが、
いっしょうけんめい、
生きている前に、
たりない。


ほのさんを、こんな風に生んでしまったことを、
謝ることをしなくなったいま。

幸せいっぱいのバラ色在宅生活を送る、いま。

元気に産んであげられなかったという、
母親としての責任は、
かあさんの中から消えたのではなく、
ほのさんに対して
精一杯のことをしてあげることで、
そんな気持ちを昇華しているのに、
過ぎないのではないか。

かあさが、どんなにがんばって、がんばって、
ほのさんのために、
がんばって。

ほのさんが、何を思っているのか、
何をして欲しいのか。

楽しく歌を歌って、
おはなしして。

それでも、それでも、
ちからいっぱい、
楽しそうに、
健気に生きるほのさんに対して、
何もしてやれていない、
まだ、まだ……
という気持ちがあるのではないか。



そんなことを深く掘り下げて考える必要は、
ないのかもしれない。

考えても、仕方ない。

かあさんにとって、こどもは、
ほのさんきりだから、
元気なこども育てていたら、
何を思うのかもわからないし、
答えなど無い。



ただ、いわれの無いイライラを
そのだびにとうさんに向けるのも嫌だし、
いわれがあればいいということでもないのだが。

かあさんが頑張り屋なのではなく、
「おかあさん、頑張り屋だね」という言葉が辛く感じるのは、
かあさんが頑張るのは、当たり前、
ほのさんを元気に産んであげられなかったから…
と、むしろどこかで辛くなっていたのかなあ、って。

家族に対して、
病院や、在宅チームの支えてくださるたくさんの方たちに対して、
母親の厳しい目が向けられるのは、
「どうしてやってくれないの」とか、
「もっとちゃんとやって」とか、
そういうことではなくて、
母親としての自分自身に厳しく向けられたものなのかなあ、って。



自分の根底にある重い塊に気付いたところで、
どうにも暗い気持ちになった。

だけど。

それがどうだ。

どうしようもなくマイナス感情だけど、
それが原動力になって、
良い方向に向くためには、
いわれを知っておくことも
大切だ。


そして。

ほのさんは今日も、可愛く、
愛しい。

そして、とうさんも、優しい。

だから、今日も楽しい。

「母は、強し」だ。



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by honohono1017 | 2010-05-28 17:32 | Life
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