ほのさんのバラ色在宅生活 |
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「支援すること」と「支援されること」について、
また、深く考えた。 ここのところ、10月に開催を予定しているシンポジウムが、 もうすぐみなさんにお知らせできる形にまで準備が進んできた。 その中で、開催したいという意図に共感し、協力してくださるとおっしゃってくださる 多くの方たちと、ステキな出会いをした。 本当に有り難いことだ。 ほのとうさんは、対人援助職だ。 かあさんもかつては医療従事者で、学生時代は心理について学んだ。 ほのさんを授かってからは、まさに「支援される」立場になった。 そんななか、かあさんが今思うこと。 難しい言葉で、堅苦しく言えば、 「人権」 になるかなあ。 学習上、仕事上、そんな言葉は耳にタコができるほど聞いてきたが、 人権って、何? って聞かれたら、 そりゃあ、あんた、ほれ、人権でしょうよ… みたいな、抽象的な理解だった。 支援される人は、必然的に社会的に弱い立場の人だ。 支援する人は、それが職業だったり、ボランティアだったり、色々だ。 しかし、どんな場合においても大切なことがあると思う。 「支援する人と、支援される人が対等であること」 支援、云々はともかく、 人はみんなそれぞれ、価値がある。 存在している意義がある。 支えあって生きている。 支援が必要な人は、そうでない人より劣るわけではない。 支援が必要な人も、誰かを助け、支えとなり、社会を作る一員なのだ。 みな一様に「人権」がある。 だからこそ、助けが必要な人に「支援しよう」という発想が生まれる。 劣った存在に対する哀れみや施しとは違うのだ。 助けをかりることで「支援される人は」社会の一員として責任を果たし、 誰かの支えとなることができるのだろう。 そういった対等な立場で行われる「支援」だからこそ、 支援された方は、感謝の気持ちをもつ。 ありがとう、と言う。 かあさんは、ほのさんを我が家で育ててこの1年、 ほのさんを「自立」させることをいつも思ってきた。 変に思われるかもしれないが。 ほとんど自分でできることなどないほのさんだが、 かあさんはこれまで、ほのさんにたくさんのことを学ばされてきた。 ほのさんのいのちを通して、たくさんの素晴らしい出会いをした。 それは、もの言わぬほのさんの存在意義であると思う。 「障害者の人権」 などと言われても、うまく説明できないが、 「人権は」何ができて、何ができない、などということとは無関係だ。 いのちそのものなのかなあと、思う。 そう思えばこそ、 ほのさんはたくさんの方たちの支援を受けることで、 ほのさん自身も何かを返していけるはずだと信じている。 ほのさんが存在することで、世の中に何かを投げかける事だってできると思う。 うまく言えないが、 「支援すること」と「支援されること」ってそういうことかなあと思う。 だけど、「支援」が双方の関係の中でそのように行われるのは、非常に難しい。 支援する側は、「してあげる」という気持ちに陥りやすい。 支援される側は、「それはおかしい」と思うことがあっても、 「助けてもらっているから仕方ない」と思い、伝えることができない。 本来、お互いの存在を、尊厳を認め合うところから始まったはずの「支援」が そのような形になるのは、本当に残念でならない。 ほのさんが、毎日たくさんの方に支援される中で、 ほのさんとかあさんは、常に感謝の気持ちを忘れてはならないし、 支援される責任についても忘れてはいけないなあと、つくづく思う。 そんな思いで苦しんでいたところ、 思い切って、Tさんに相談してみた。 きちんとかあさんの話に耳を傾けてくださり、 お仕事の枠内できちんとした対応をとってくださった。 「支援」である。 そして、ほのさんとかあさんは、感謝した。 「支援」が仕事であれば、その中で 「できること」と「できないこと」をはっきりしてもらうことがまず何よりだ。 もうひとつ。 ほのじいさんから今日、教えてもらったことば。 「巧言令色、少なし仁」 巧みに飾った口先だけの言葉や、 人の気に入るような態度をとることは 他人を思いやり、おのれにうちかつ徳が少ない、 ということらしい…。 なるへそ。 ふむふむ。 人の道は、 深くて、遠い。 日々、之勉強。 ポチッとな↓ にほんブログ村 にほんブログ村
by honohono1017
| 2009-08-12 19:24
| normalization
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