ほのさんのバラ色在宅生活 |
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かあさんも、こうやって自分の臓器移植法改正に対する意見を
書きはじめてしまった以上、 今の勉強不足ではいけないと思い、いろいろ調べていたのだが。 もう、本当に、自分がこれまで書いてきたこと、 なんだったんだろ…って思うことにぶちあったった。 以下… 「C案提出者など慎重派は、年齢制限解禁に反対するために、小児に特有の現象を持ち出した。 一つは「長期脳死」という現象だ。脳死になると通常は、数日で心臓が停止する。しかし、小児の場合、脳死状態と診断された後、1か月以上も心臓が動き続ける場合がある。 こうした現象はA案を支持する日本移植学会も認めているが、同学会の寺岡慧理事長は 「いくら心臓が動き続けても、脳機能は二度と回復せず、必ず心臓も止まる」。 と強調している。 「脳死診断後に脳機能が回復した例がある」という症例もあげる。しかし、世界脳神経外科学会副会長を務める神野哲夫・藤田保健衛生大名誉教授は「これは脳死というより植物状態。脳外科医の学会で、 脳死と診断された子供が回復した例は、1例も聞いたことがない」 と言い切る。小児の場合、大人の法的脳死判定で義務づけている無呼吸テストが実施されないことが多い上、時間を空けて2回必要な診断を省く場合も多く、不完全な診断になっている可能性がある。」 この日本移植学会寺岡彗氏のおっしゃる通り、 ほのさんは生まれたときに厳密な脳死判定を受けたわけではありません。 医学的に一度失われた脳機能は二度と回復しないとして、 ただ子どもには医学でははかり知れない力を持っていて、 生まれたばかりの時にはなかった反応が成長に伴って出ていることは、 間違いなく寺岡氏よりも、素人のかあさんの方がよく知っています。 医学はいのちに対して万能ではない。 そして、寺岡さん、あなたの心臓だって必ず止まるんですよ。 ほのさんの、成長に伴ってみられるようになった反応は、 おそらくは脳の機能によるものではなくて、神経反射的なものである可能性は大きいです。 でも、ほのさんの心臓は誕生してから1年と7ヶ月も動き続けています。 これらのことから、寺岡氏は、だから、ほのさんは厳密に「脳死」ではないんです、 とおっしゃるんでしょう。 で、だから、それが何なんだろうか、と思います。 ほのさんの状態が「脳死」ではなく「植物状態」であるとして。 でも、おそらくはととも微妙なところであるはずで、 厳密な判定をして、「脳死」と判断される子どもと、ほのさんの状態は、 わたしたち素人目にはきっと何もかわらないはずです。 子どもの脳死判定はすごく難しいから、そこが大事なんだよ、 その「脳死」と「植物状態」の見極めができないとだめなんだよ、と 偉いお医者さんたちやA案賛成の議員さんや、移植学会の方たちは口をそろえて言います。 でも、そのことを聞いて、そのボーダーラインに乗っているほのさんの親として、 ホントに、一体、この人たちは何をやりたいんだろう…と思います。 移植によってお子さんの命を救いたいという親御さんの気持ちも真実だと思うからこそ、 ほのさんの親でありながら、心を痛めつつも、 なんとかなんとか良い法律となるように…と思っていたけど、 移植学会は、病気で苦しむいのちを本当に考えているから、 移植を促進しようとしているのではないんじゃないかという 疑念を持たざるを得ないことを主張していると感じてしまいます。 そんなに難しい判定をして、 「やっぱり脳死じゃなかったよ」と言われたほのさんと、 「残念、脳死でした」と言われる子どもと、 その差って、一体何なんでしょうか。 「必ず心臓は止まる」と言って見たところで、何を主張されたいのか。 「お前はもう死んでいる」の世界ですか。 また、国立循環器病センターの橋本信夫総長は今月3日、A案提出者の自民党議員を通じて文書を配布。 「臨床的脳死と、法的脳死判定による脳死が混同、あるいはすり替えられて脳死として議論されている」 と指摘。 臨床的脳死と法的脳死判定…? つまり、どういうことかというと… ほのさんは、生後2週間で「脳死」に近い状態と宣告された。 おそらくこれは、法的脳死判定ではなく、だから法的判定に義務づけられた無呼吸テストなどを 省いた「臨床的脳死」である、と。 なぜ、この「臨床的脳死」診断をするかというと… 今後の治療方針などを決定するためだ、と。 もっと簡単に言えば、ほのさんのような子は「臨床的脳死」であるから、 議論の対象は「法的脳死」なのだから、 この臓器移植法改正に関してあ、なんの関係もない、ということでしょう。 「混同」「すり替え」ってことは、そういうことでしょう。 脳死に「臨床的」と「法的」が存在すると主張するなら、 そんなにややこしくて難しいのに、 一律、「脳死=人の死」にすることなんて、到底ムリなんじゃないのか。 法整備のためには、何を議論し、何を決定するか明白にするべきで、 そこには感情などを挟む余地はないのかもしれませんが。 ただ、この偉い先生方が白黒ハッキリしたことをおっしゃるように、 いのちに関することをスパッと決めていいのでしょうか? かあさんは、移植法の世界的な水準についても、 そのほかいろんなムズカシイことわかかりません。 だけど、この1年7ヶ月、毎日毎日いのちと向き合ってきました。 いのちには、医学でわかることと、わからないことがある。 いのちは本当に尊く、 自分いのちであっても、自分の手でどうにかすることのできないところにあるものだと。 医学の発達によって救われたほのさんのいのちだからこそ、 医学はいのちに対して万能ではないということを、身を持って実感しています。 知識と権力のある方たちは、往々にして感情論を言われることを嫌います。 まして、法整備の場面です。 だけど、この問題は、 人権、倫理観、死生観、そういったものと切っても切り離せません。 そして誰もが、明日にでもドナーあるいはレピシエントになる可能性があるのです。 自分のいのちをこの問題の枠外の高みに置いて考えるのを辞めて、 いのちという原点に戻って考えてもらいたいです。 今すぐにでも移植を待っている方がいることを思うと心が痛みますが、 日本人には日本人の死生観があります。 それとどうにも折り合いがつかないのなら、 世界水準どうこうよりも、 日本の姿勢を世界に示せばいいのではないでしょうか。 ポチッとな↓ にほんブログ村 にほんブログ村
by honohono1017
| 2009-06-06 18:22
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