ほのさんのバラ色在宅生活 |
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生まれる直前までかあさんのお腹の中で元気に動き回っていたほのさん。
それが臍帯断裂のため、ほのさんに酸素が行かず、 心配停止となり、蘇生したものの、脳に大きなダメージが。 生まれて約2週間後に、主治医のO先生からの宣告。 「脳波は平坦、萎縮も見られる。目は見えない、耳も聞こえない、今後目を覚ますことはない」と。 とうさんが聞いた「それは脳死ということですか?」と。 O先生は言った「大人と違い、子どもは脳死とは言いません。いのちの続く限り、元気に成長します」と。 人工呼吸器をつけられ、反応もないのに、元気に成長する… それがいったい何を意味するのか… かあさんは本当に子どもを生んだのだろうか? ほのさんのいのちはこの世に存在するのだろうか? わからない、全然わからない。 そんな重い問いを四方八方から常に突きつけられているような、 辛いつらい、毎日だった。 それでもNICUにいるほのさんに会いに、1日わずか1時間という短い面会に通い続けた。 NICUのそのドアを開けるまで、ほのさんの顔をきちんと見ることができるのか、 自信のない日もあった。 だが、ほのさんのベッドに近づくにつれ、その周りが明るく温かい空気に包まれているように思われ、 ほのさんはたくさんの機械がくっついているにもかかわらず、 自分の不運を嘆くどころか、いつもとても穏やかで楽しそうで、生き生きとしているのだった。 それは、明らかにほのさんの生きる意志だった。 健康な赤ちゃんのまなざしが、人の心を捉えるのは、まっすぐで心に直接入ってくるからだ。 それと同じく、ほのさんの意志も、とうさんやかあさんが感じ取ろうとして感じたものではなく、 ほのさんの方からまっすぐと、心の中に飛び込んでくるようなものだった。 だからこそ、O先生や担当看護師のTさん、スタッフの方々が、 とうさんとかあさんが思うように、ほのさんのいのちを尊び、 いつもほのさんが何を思い、どのようにしたいかと問いかけてくれたのだと思う。 また、皆さんのそのような姿を見て、とうさんやかあさんは、 あの宣告の日、ほのさんのいのちが自分たちの手の中にあると思ったこと、 自分たちの判断に委ねられていると思ったことは大きな過ちであり、 人の命は、たとえ親であってもどうこうできるものではないと思うようになった。 そして、私たち家族は皆、お家で一緒に過ごすことを望んでおり、 たとえどんなに苦労しようとも、ほのさんを連れて帰るのだと、迷わなくなった。 もしあの宣告の日、 医師が、病気で苦しむこの親に対して「臓器移植しか方法がありません」と言うのと同じように、 「これ以上良くならないので、どなたかに臓器提供するしかありません」と言われていたら…。 「ほのさんのような状態=人の死」というような法律がすでに存在していて、 まして、自分が親として置かれている状況、娘の状態が冷静に判断できない精神状態で、 もし、我が子の状態はこのままにしていても良くはならないのなら、臓器を提供することで 人助けができるのであれば… と、どんどん親の気持ちは自然と臓器移植の方へ傾いていくだろう。 時間をかけて、こどもの「生」を受け入れ、 その「生」の価値と重みを感じ、 「生きる意志」を感じる機会を奪われるのではないだろうか? ほのさんのように「長期脳死」で生き続けるいのちは、 「臓器移植」のために存在しているということなのか? 周産期医療の充実が叫ばる昨今、 まさにその周産期医療によって救われた命は、 臓器移植のために存在するのか? これは人情論などではない。 そんなに大変な状況で、我が子を受け入れ、まして在宅で生活しているなんて、 偉いね、立派だね。 そうじゃない。 機械に頼らなければ生きられないいのちに、親が責任もって育てられないなら、 困ってる人に、臓器提供したほうがいいよ。 そういう話なのか? ほのさんだって「人工呼吸器」によって生かされている以上、 臓器移植が不自然だとは言えない。 臓器移植という方法が医学で確立されている以上、それを整備する法律は必要だ。 それに「脳死=人の死」と決められたところで、 かあさんの目の前にいるほのさんのいのちの重みが軽くなるはずもなく、 価値が軽くなるわけもなく、 あったかくて、可愛くて、愛しいほのさんに何の変わりもない。 だが、この法律が定めようとしていることの重大さ、 親が親であるという理由だけで人のいのちの方向を決めるということの危険性、 助かるいのちと助けるいのちと、それに関係するたくさんの人たちの気持ち、 色んなことがどれだけ考えられているのか、考えられていないのか。 ほのさんのように、生まれながらにして「長期脳死」の状態の子が存在していることは 世の中にあまり知られていない。 治療法があるわけでもないから、支援者を募ったりすることもないし、募金を集めたりするわけでもない。 現にそういういのちが地域で暮らしているのにもかかわらず、 そういう子らに対する施策があるわけでもなく、 ただ「前例が無い」というだけで、本来なら該当するはずの現行法からも、 正当な理由なしに、はじかれるというような肩身の狭い思いを強いられているのだから。 その上、「そのいのち、死んでます」と法律で決められてしまったら、 ほのさんにとって、親にとって、重みが変わることのないいのちだから大丈夫、 というわけにはいくまい。 今よりもっと、生きにくくなる。 家になど帰れない。 病院にもいられなくなる。 臓器移植したくないならいいですよ、ただし、生きてもいられませんよ。 世の中は、医療は、そういう方向へ動いていく。 ほのさんと、出会ってくれたみなさん。 臓器移植法改正について、どのように思われますか。 ほのさんのような子どもたちのいのちは、何ですか。 とても難しい問いです。 それに対する答えがみつからなくとも、 みなさんの知っているほのさんについて、 みなさんの知っている方たちに、お話していただけませんか。 ほのさんのようないのちが存在していること。 一生懸命生きていること。 事実を、たくさんの人に知ってほしいです。 それが、それだけが、切なる願いです。 ポチッとな↓ にほんブログ村 にほんブログ村
by honohono1017
| 2009-06-04 03:06
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