ほのさんのバラ色在宅生活 |
|
ほのさんとの在宅生活を綴りはじめて3ヶ月が経ちました。
それで、思いもよらなかったステキな出会いがたくさんあって、 ありがたいことに、お家にいながらにして、 いろんな人生におけるいろんな考え方をうかがうことができます。 その中で思ったこと。 当初、かあさんがこのブログを始めたのは、 同じような境遇にある方たちだけではなく、 ほのさんのような「超重症児」と呼ばれる子どもとその家族とはまったく無縁な方たちにも 興味をもって読んでもらえるように… そして、ほのさんみたいな子でもお家で暮らせるんだ~、 ということを知ってもらいたい。 そしてそのことで、願わくば、ひとりでも多くのこのような子どもたちが 在宅で暮らせるような社会になっていけば… という思いがあったわけです。 だけど、今日、ハッとしてしまいました。 すべての子どもたちが、お家に帰ることが、それだけが本当の幸せなのかと。 決して、そういう風に思っていたわけではないのだけれど…。 たまには、重症な子どもを入院させっぱなしで、 会いにも行かない親がいる。 ただ、かあさん自身は個人的にその母親に「なんであんたは自分の子を受け入れられない!」 なんて言えないし、言う権利もない。 おきざりにされたいのちがかわいそうだなって、 せっかくのいのちなのになって。 そういうケースは例外にして。 不運にも医療や機械を頼らなければならず、 だけれども必死な小さないのちに対して、 親たちがそのいのちを、我が子として 受け入れ、 愛し、 育む という行為は 病院であろうと在宅であろうと、なんら変わりがないということ。 そのことを、まずたくさんの方に知っていただかなくてはいけなかったと思う。 連れて帰りたくても、状態が安定しない。 連れて帰りたくても、支援が頼めない。 たとえ、いのちの危険があってもお家で一緒に過ごしたい。 いつでも医療の目が届く病院で、過ごさせたい。 調子が良いときはお家で、状態が悪くなったら病院で。 どの考え方も、わが子のいのちを思う親の気持ちに差はないと思うのです。 なぜか。 たとえ、どんなに状態が安定していても、 24時間の見守りとケアが必要なほどの子どもたちであるから。 それをお家でできるから偉い、できないからダメな親…という簡単なことではないということ。 たとえ、病院においておくことが子どもの状態にとってベストだと判断した場合でも、 それが親たちにとってどれだけ苦渋の決断であるか、 病院にいるわが子を「子育て」する辛さ、難しさ、 矛盾、葛藤、怒り、悲しみ…。 ほのさんのような子どもたちにとって「医療」とは、 「具合が悪くなったときに必要」な非日常ではなく、 「常に傍に必要」な日常なのです。 もっと言えば、「元気」でも医療が要る。 でも、機械によって生かされているのではなく、 この子らが生きているのは、 間違いなく、 この子らの意志です。 それなのに、 病院の都合で帰れと言われたり、帰るなと言われたり、 モノのように扱われたり、 帰れば帰ったで、 役所や関係機関に「なんで帰ってきた」と言われる。 挙句、臓器まで差し出さなきゃならないのか。 かあさんが、このブログを通じてほのさんとの生活を綴るのは、 在宅生活至上主義からではなく、 ある家族のひとつの生活スタイルをとおして、 「超重症児」と呼ばれる子どもたちの抱えている問題を、 ありのまま伝えたい。 そして、たくさんの方に知っていただくことで、 それぞれの子どもたち、家族たちが、 それぞれが望む方法で、穏やかで楽しい生活が送れるようになりますように、 という願いからです。 いのちに重い も軽いもない、と言われながらも、 こんなにも、ただ生きることに純粋に頑張る子どもたちが、 なぜ、あちこちで軽んじられるのか。 今、ほのさんが在宅において、 どれだけたくさんの人に愛され、大切していただいているか。 いろんなことを、ありのまま、これからも書こうと思います。 ほのさんと、相談しながら。 ポチッとな↓ にほんブログ村 にほんブログ村
by honohono1017
| 2009-05-21 01:22
| Life
|
以前の記事
カテゴリ
最新のトラックバック
お気に入りブログ
ライフログ
タグ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||