ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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涙のわけ。

昨日からずっと、
気がつくと、
ほのさんが涙を流している。

普段も、力んだり苦しかったりすると、
涙を流して訴えるのだが、
穏やかにしている時も、
ふと見ると、
目尻から、今にも涙がこぼれんばかり。



今しがた、
ほのさんの小さい頃からのおともだちが、
お空に旅立ったと、
連絡を受けた。

もうどうにもやるせない気持ちと、
力強く生き抜いた小さいいのちへの賞賛の気持ちと、
胸が苦しくことばにならない。
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by honohono1017 | 2012-02-29 22:45

ほのさん心躍る、の巻。

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きょうも とっても さむいけど
あたしね、うれしいことが あったのよ

きょうは、あたらしい わんぴーすを
きせてもらったの。

どう、にあう?



ここのところぐぐぐん、と背丈が伸びてきたほのさんに、
久々に新しいシャツワンピを買ったのだけど、
これまた意外とピッタリで、
来年、着れるかどうか……というところ。

ほのさん的には、そんなことはおかまいなし。

そりゃあそうだ。

新しいお洋服は、心が躍るよね。

2月の終わり、
また明日は雪が降るかも、なんていうほど冷えてるけど、
嬉しそうなほのさんをみていたら、
ぽかぽかあったかな気持ちです。



ほのさんの心が躍る、もうひとつのわけ……。

昨晩、どどどーん、と
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こんなにおっきな、
まるで「プレゼント」を絵に描いたような、
プレゼントが届いたのです。

中身は……

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とっても華やかな、手作り吊るし雛!

金魚や、桃の花、手まり……
古典柄のステキな生地で、、一針一針、
心を込めて縫っていただきました!

箱から出して、
思わず、ほのさんとかあさん、

うわあっ!!

と言ってしまうほど、
女の子には心躍る華やかさ、可愛らしさ。

ほのさんは、

こんなおひなさまも あるのね

って、びっくりしてたよ。



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いまのほのさんのように、
かあさんも幼い頃は、
お雛祭りといえば、
きれいなおひなさまを飾って、
ケーキが食べれる時、
そんな風に思って、
無邪気に楽しみにしていた。

だが自分が親になって、
娘の雛祭りをお祝いするようになると、
なんだかそれはムショーに、
たいせつな行事となった。

ほのさんはじめてのお雛祭りは、
まだNICUにいたから、
綺麗なほのさんの雛人形をゆっくり見せてあげることもできなかったけど、
今思えば、
淋しくて、幸せな、お雛祭りだった。

それからの成長は著しく、
毎年元気におうちで迎えられ、
いろんなかたちのおひなさまをたくさん頂いて、
賑やかになっている。

ほのさんの健やかな成長と、
たくさんの方々に見守られていること、
かあさんは、感謝してかみしめながら、
ほのさんと、3月3日を心待ちにしている。


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by honohono1017 | 2012-02-28 16:50 | Life

エッセイご紹介、の巻。

今日はまた、真冬に戻ったかのような、
冷たい風が吹き荒れる、晴れ。

その風が潔く、
あれやこれを、吹き飛ばしてくれたようだ。


さて、今日は連載中のエッセイ、
「かあさんの“ほのかな”幸せ ~眠りっこ子育てetc.~」 のご紹介。



第15回 「栗毛は、いのちの繋がりの証」の巻。

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ほのさんの髪をとかしながら、
いのちの繋がりに思いを馳せます。
くわしくは こちら 


<第16回 「チームを動かす【ハッピーの力】」

先日自宅で開いた、ほのさんのカンファレンスから学んだこと。

ほのさんのチームに限らず、
【ハッピー】へ向かう力は、
あらゆる原動力となります。

くわしくは こちら


どうぞご覧ください。



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by honohono1017 | 2012-02-27 18:19 | Life

ほのさんに学ぶ、「ケア」についての考察 その2

三寒四温。
一雨ごとに、温かくなっていく。
さきほど、ほのさん うめがさいたよ
と、綺麗な写真をメールでいただいた。

ほのさんと見ながら、部屋の中に春の匂いが広がった。


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ほのさんから学ぶ、「ケア」についての考察 つづき。

(前回の記事はこちら

ほのさんは2008年7月に退院して以来、
訪問看護師さんやヘルパーさんなど、たくさんの方たちにお世話になって、
「ケア」を担ってきていただいた。

現在では、用手排尿や排痰ケア&吸引など、
ほのさんの一番難しく、一番大切なケアなど全てを、
ヘルパーさんにも担っていただいて、
とうさんとかあさんの負担は大きく軽減され、
睡眠時間もだいぶ確保できるようになった。

退院する時に、毎日がっちりと利用できる限りのサービスを組んで生活を始めたのは、
ほとんどの時間を、「おうちの中」という狭い空間の中で過ごす帆花にとって、
そこは彼女の「ちいさな社会」であり、
四六時中、かあさんと顔を突き合わせているのではなく、
できる限りたくさんの方に接してもらって、
かあさんとうさん以外の人からも「ケアされる」ことのできる子になって欲しい、
という願いからだった。

看護師さん、とか、ヘルパーさん、とか、
職種の区別ではなく、
○○さん、●●さん、という、「人」によって、
その人の声、手、触れ方などの違いを、
帆花がちゃあんとわかっていることや、
そうやってたくさんの方に接してもらうことによって、
かあさんを介さずに、自ら関係を築いている姿、
「ケア」が、単なる「ケア」ではなく、
「コミュニケーション」であるということを、
かあさんはこの在宅生活3年7ヶ月の間に、
ほのさんと、ほのさんの在宅チームの方たちから学んできた。

おうちにおいて、ほのさんを支援してくださる方たちは、
ほのさん一人に「関わる時間」、
というものを提供してくださっているのだと思っている。

もちろん、サービス内容には、
課題や援助目標に対して具体的な「ケア」などが組み込まれるわけだが、
難しい用手排尿や排痰などをきちんと担ってもらえるのは、
「関わる時間」の中で、じっくりとほのさんに向き合い、
ほのさんの声を聞き、
最も根本的な部分である、
「何のために行うのか」「どうしたらほのさんが苦しくないか」
というところから出発するからではないかと思う。

「関わる時間」、それはつまり、「コミュニケーション」だ。
そして、前に言ったように、「ケア」は「コミュニケーション」であり、
「おうちのほのさん」にとって、
「ケア」だけが浮き立たない理由、
生活の一部としてごく自然にあり、
「ケア」からほのさんを見ることなく、
「ほのさん」として関わっていただけている理由は、
そこなんじゃないかと思う。

一方で、そうはいっても、
不調に直結するような、難しいほのさんの「ケア」を、
不調にすることのないように行うために、
在宅チームのみなさんが、どんなに努力して行ってくださっているかも、
よく、わかっている。

ほのさんが小康を保ち、「バラ色生活」を送るためには、
「ケア」の質を保ちつつ、それでも「ケア」が浮き立たない、
という絶妙なバランスが必要で、
それが叶えられている、いまのほのさんは、
本当に幸せだと思う。

在宅医療って、そういうものなんだと思う。

ほのさんのhome は、つまり、
ほのさんの「小康」と「居心地の良さ」だ。

それを目指した在宅生活にあって、
「小康」を保つための具体的な「ケア」の仕方などを、
かあさんがチームの方たちに伝えたり、
一緒に考えてもらうことは、
「同じ方向を見ている」という確信があるので、
とてもスムーズに行うことができる。

先月、我が家にて、ほのさんのカンファレンスを行った。
在宅医のT先生、病院主治医A先生、
訪問看護師さん、訪問OTさん、
ヘルパーさん、
地域保健師さん、役所ワーカーさん、障害者支援センターワーカーさん、
総勢13名。

カンファの中で、退院時からずっとお世話になっているT先生が、

「僕たちは、ほのちゃんとお父さんお母さんの【ハッピー】の
お手伝いをしているんだよ」

と、3年前から往診のたびに話されていたことばを、
またおっしゃった。

すると、今回はじめて参加してくださった、
病院主治医A先生も、
「いつもみんなで同じ方向を見ていたい」
とおっしゃった。

先生方のそのことばは、
我が家にとっても、ほのさんのチームにとっても、
とても大切で、大きなことだった。



ほのさんは、この7月で退院4年になる。

幸い、体調は安定していて、
急な入院も年に1度ほど。
あとは、年に1回、検査を兼ねたレスパイトでお世話になるくらいで、
病棟でお世話になることが少ない。

昨年11月の痰詰まり入院の時にも痛感したことだったが、
朝から晩までかあさんが付き添って、
おうちと同じように、
いや実際は、痰詰まりで具合が悪いのだから、
普段以上に、排痰などはしなければならなかったし、
点滴が入って、水分量の変化などもあり、
用手排尿も、「決まった時間」ではなく、
とにかく、本人から目が離せない状況だった。

それで、へとへとになって帰宅し、
翌朝、病棟に到着すると、明け方痰が詰まりました、と、
入院時よりも悪い数値を聞く、という繰り返し。

もちろん、どんなに注意して念入りに排痰をしていても、
詰まることはあるのだから、
詰まったことに対して、というよりは、
「かあさんがいない時はどうなっているのか」
という気持ちがどうしても消せなかった。

もちろん、かあさんは、「母親」だし、
ほのさんが心配だし、
長時間、付き添うということは普通のことだ。

だが、「病院」に来て、
「治療」が必要だから入院していて、
「お母さんがいるから」といって放っておかれるというのは、
自分は何のためにこの子を入院させたのだろう、と悩んだ。

緊急入院をして、病名が付いて、治療方針が決まったら、
看護師さんは、それに基づいて「看護」を提供する。

在宅生活をしている子どもの母親が、
自分のこどものあらゆる「ケア」に精通していて、何でもできてしまうことと、
入院中にもその部分を母親が担わなくてはならない、
というのはまた別の話だと思う。

もちろん、付き添っている間に、
できることはできるのだから、かあさんがやろうと思うけれども、
「すべてお任せ」であるとするなら、
だとすると、ほのさんに提供される「看護」はどこにあるのだろう。

たとえばどうしても人手が足りなくて、
「おかあさんにお任せ」になってもいいと思う。
だがその場合には、病院において「責任を持って預かっている」という意識から、
「おかあさんが見ている時に、変わったことはありませんでしたか」と、
その間のことを把握しておかなくてはいけないと思う。

母親がなんでもできることは、あくまで「母親」であるという理由であり、
在宅でみるためには、「おかあさんが一番」にならなければならないし、
覚悟を持ってそれを決意し、その生活を送っている。

だが、治療目的で入院しているときには、
「病院」という場において、
「おかあさんが一番」ということを持ち出される意味がよくわからないし、
きちんとその道のエキスパート、
専門性のある看護師さんにきちんと見ていただきたいし、
それが、医師の治療と合わせて、
病院で提供される「医療」なのではないのか。


「おかあさんが一番」
と、病院で言われるたびに感じていたモヤモヤ感。

ずっと、はっきりしなくて、
少しわかったかな、と思っても、
きちんと表現する勇気がなかったこともある。

「おかあさんが一番」なのは、
「こどもにとって」なのだ。

それは、どの子にとっても、おなじこと。

かあさんが、ほのさんの入院中に、
このような状況の中で言われる「おかあさんが一番」に感じる違和感は、

「ほのさんにとって」と聞こえないところ。

あたかも、病院においても、
ほのさんという患者に対しての、「ケアの担い手」として、
(むしろ排痰なんて、「ケア」というよりも「治療」のような気もする……)
と聞こえてしまうこと、その状況。

ごくあたりまえの手技、看護を、お願いしたいという希望を、
何かとても高い希望、
母親並みの愛情がなければできないような、
そういったものに受け取られてしまうというすれ違い。

そのすれ違いがなぜ起こるのか、というところなのだ。



昨年11月に入院した際、
かあさんは看護師さんたちのカンファレンスに出させてもらって、
ほのさんのおうちでの生活の様子をお話したり、写真を見せたり、
おうちでどのようなことに注意して、
比較的安定した生活を送ることができているか、などお話した。

カンファレンス中、実際の「業務」から離れた、
普段、ほのさんがお世話になっている看護師さんたちの表情が、
ベッドサイドで見る表情と大きく違うことが、とても印象的だった。

ほのさんがどうやっておうちで暮らしているのか、ということに、
とても熱心に耳を傾けてくれて、

「私たちは、おかあさんがいない間、
おかあさんの役割ができるようにしたいと思っている」

など、色々な思いや質問などを聞くことができた。

いかに普段の看護師さんたちは、忙しく業務に追われているかということ、
そして、その中でも、どうしたら少しでも心地よく過ごすことができるか、
ということを考えてくださっていたのだということを知った。

そのカンファレンスでの看護師さんたちの様子を見て、
かあさんも、反省することがあったと思った。



かあさん自身の問題もある。

これまで、ほのさんを入院させた時に、
数々の難しい「ケア」があるということそれ自体に、
病院に対して、「申し訳なさ」みたいなものを、ずっと感じていた。

患者は、ほのさんだけではない。
看護師さんは忙しい。
順番もあるし、我慢も必要。
できることはなるべく、かあさんがしよう。

もちろん、そういう気持ちは当然のことだ。

だが、そのことと、
ほのさんの「悪化」を防ぐため、「治療」のため、
普段の「小康を保つ」ために必要不可欠なケアというものは別だ。

つまり、入院した際に「看護」と呼ばれる部分を要求することが、
自分が普段、おうちで全て担なっていることを、
あたかも全部やって欲しい、という無理な主張をしていることになるのではないかと、
かあさん自身もごちゃごちゃになっていたのだ。

別の子が泣いていたら、
ほのさんが目の前で痰を詰まらせてみるみるサチュレーションを下げていても、
自分がついているんだから、と、
いつも看護師さんを呼ぶことをためらった。

当然、看護師さんを呼ばなくてはいけない状況でも、
自分がいるのだから対応しなくては、
という気持ちもきっとあったに違いない。

在宅生活をするためにはどうしても身につけなくてはならなかったケアを、
母親が「できる」ために、
いつどうやって看護師さんを呼んだらいいかも、
わからなくなっていた。



患者家族にとっては、
病院に対して「お世話になっている」という気持ちがまず、ある。

ほのさんにおいては、どんなに調子が良くても、
「病院」は、これから先もずっと、
お世話になり続けなければならない場所だ。

だから、自ずと、「迷惑をかけたくない」という気持ちになる。

また、病院の対応がどうとか、という問題は全く抜きにして、
ほのさんが一旦入院してしまうと、
自分の手元から離れたという意味では、
表現は悪いけれど、「人質にとられている」ような心持ちはあって、
だからこそ、なるべくスタッフの方たちにお世話をかけたくない、
かあさんがめんどくさいことを言って、
ほのさんが嫌われるようなことには絶対になりたくない、
悲しいかな、そんな気持ちがいつも、してしまう。

そんな気持ちが働いてしまって、
かあさんの方にも、
「できる限り自分がやらなくちゃ」
という気持ちがあって、
どんどん強くなってしまっていたのだと思う。



この4年近くの間、
毎年1回は、救急車で運ぶような事態になった。

病院の人たちから見たら、
「単なる痰詰まり」かもしれない。
病院に到着する頃には、大抵落ち着いているから、
なおさらかもしれない。

おかあさん、こういう時はすぐに救急車を呼んでいいいんですよ、
と言われたこともあった。

4年前に退院するときも、
何かあったらいつでもすぐに救急車を呼んで来てくださいね、
そう言われていたし、
そうすればいいんだ、と割と簡単に考えていた。

でも実際は、下手したらいのちを落としかねない状況で、
ほのさんの状況を見ながら、いつ、救急隊に電話するか、
そのタイミングだって難しい。
病院と違って、かあさんしかいないのだから。

酸素を流して、揺すって起こして、吸引して、バギングして、
あらゆる手を尽くして、
この状態なら救急車に乗せてもだいじょうぶだ、と判断した時に、
電話をする。

救急隊を要請して、これでもう安心、とはいかない。
到着するまでに、必要な持ち物を全部ぬかりなく準備する。
その間も、ほのさんから目を話せない。

その上、救急隊もほのさんのような子には不慣れだと考えなければならない。
救急隊到着後、
まず、どうやってほのさんを救急車まで運ぶか、
バギングはどの程度の圧か、
呼吸器はどうやって運ぶか、
救急車の中ではバギングでいくのか、それとも呼吸器に繋ぐのか、
呼吸器に繋ぐとしたら電源はどうするか、
保温はどうやってするか、電源はとれるか、
冷静に、救急隊に伝えなければならない。
そして、やっとの思いで、救急車に乗せて
やっとの思いで、病院に到着するのだ。

ほのさんの急変のピークは、「家」で起きて、
その後に、運んでいるのだ。

本当は、救急車の中ではいつも、
我が子をこのまま失うのではないかという恐怖と、
自分のやったことと、判断はこれでよかっただろうかと、
もういろんな気持ちで本当に心細くて心細くて、
泣いてしまいたいと思う。
でも同時に、安全に救急車に乗せることができたんだから、
もうすぐ病院に着くんだから、
もう一安心なんだ、とも思う。

病院というところは、「最後の砦」なのだ。
そんな思いでたどり着くのだ。

そんな思いでたどりついた病院が、
「おかあさん、もう安心してくださいね」と、
ほのさんに必要な「治療」「看護」「ケア」……
もうそれはなんと表現してもいいのだけど、
そう言ってもらって預けられる場所であったらと思う。

そうしたら、やっとの思いでたどりついた病院は、
「おかあさんが一番」とか、誰が一番とか、そんなで議論は必要なく、
かあさんは、純粋に、ひとりの母親として、
こどもの「心配」に専念できる時間が少しでもできるのになあと思う。



こんな素直な気持ちを話したことはこれがはじめてだ。

病院に対する苦情とか、クレームとか、
そんな気持ちだったら、絶対に表現できないことだ。

自分自身でも、ここまではっきりと整理するまでに、
これまでのほのさんの在宅生活のすべてを費やしてきたわけだ。

それはつまり、
在宅生活が長くなったことで、
病院との距離も出てきた中で生まれた、、
「おうち」と「病院」の繋がりをどう築いていくか、
という課題だとも思っている。

在宅生活をどうやって安定させるか、
という課題の、
次のステップだ。

おうちでの生活が安定してきて、
その安定したおうち生活を継続していくためには、
その背後に「病院」という大きな「安心」が必要不可欠だ、
ということも、身に染みている。

ほのさんのチームは、
在宅、病院の区別なく、
全部をひっくるめて1つのチームだ、と思うようになった。

そんなことや、あんなことや、
これからは、病院とも、
何よりも大切な「コミュニケーション」を、
もっともっと持てるようにして、
ほのさんの「バラ色在宅生活」というものが、
「病院」や病院のスタッフの方々に支えられている、
ということを実感してもらいたいと思う。

病院と地域の「連携」などということはよく聞くけれど、
「連携」って何だ、と思うけれど、
ほのさんと我が家を支えてくださる全ての方たちに、
その「実感」を持ってもらえることなんじゃないかと思う。



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by honohono1017 | 2012-02-22 18:29

のんびり、出動待機中。

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先週の通院時、抗生剤を処方してもらった。

風邪引いたのか、痰が詰まり気味で。
これまでの経験から、早い時点で飲んでみたらどうかと、
試すような感じで。

薬の効果か、経過なのか、
2日目くらいから痰が出やすくなり、
量も減ってきて、やったぜ!
と思っていた。

薬も飲み切って今週始め、
また痰が出にくく、
便がスッキリしないせいか、力みがちで、
痰詰まり祭り開催。

そのご、下痢気味でも多量に出てから、
祭りは終息。

昨日あたりからは、
本格的にお腹の動きぐ悪く、
飲み残しも増え、
いましがた胆汁も。。


えっと、痰退治目的の抗生剤、
結局、お腹を壊しちゃったことで、
再び、痰...

おくすりも難しいのであります。

お腹を壊せば、痰も増える。

体は繋がっているわけですと、しみじみ。


時折、うーん、と大声で
たん、とって、
あるいは、ひーっ、と
うんちしたいから、たすけて、
とかあさんを呼ぶほのさん。


かあさんは、迅速な出動に備え、
(るはずが...)
ほのさんのベッドに突っ伏して居眠りしたり、
先日のB.Dに自分用にこっそり仕入れた、
貴腐ワイン漬けレーズンをチョココーティングしたヤツを、
コーヒーとともにやっとります。

(コレ、貴腐ワインが結構きます。
5粒程度でイイ気分...)

ほのさん、のんびりやろうじゃあないか。
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by honohono1017 | 2012-02-17 16:08

ほのさんから学ぶ、「ケア」についての考察 その1

このところずっと、
なんだかいろいろなことに追いつめられているような気がして、
どうにもならんかった。

確かに、なんとかしなければという問題があって、
どれも一朝一夕にはいかないものばかりで、
途方に暮れてしまうということもあったのだが、
その根本のほうを探っていくと、
かあさん自身の目がくもっていた、
ということに気がついて、
愕然とした。



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ほのさんは、4歳を過ぎた頃から、
本当に目を見張る成長をしている。

小さい頃には全くかかなかった汗をかくようになって、
だんだん体温調節が自分でできるようになってきたとか、
腹筋を使って形のある便を自力でできるようになったとか、
体調的な成長もある。

また、右手を自分で動かすようになったことは、
とても、とても大きなことだ。
「脳死に近い状態」と言われたほのさんにとっては、
ほんとうに、驚くことだ。

そして、こちらの問いかけに対して、
以前よりもことばを理解するようになったのか、
「いやだ」とか「そうじゃない」といった意思表示が
はっきりしてきたように感じている。

そして、そんな成長ぶりは、
かあさん一人ではなく、
ほのさんに関わってくださっている方々の口からも
聞くようになった。



実は、ほのさんのこんな成長に、
一番驚いているのはかあさんではないかと思っている。

ほのさんの「生きる意志」という、
ことばでは説明しがたい、だが確かにほのさんにあるものを見出してから、
かあさんは、
「ほのさんはなんでもわかっている」と思って、
そのように接してきた。

もちろん、何かをするときには必ず声かけをするし、
日常的なとるに足りない会話とか、
冗談を言い合ったり、
ふつうにしてきた。

そして、何より、
「ほのさんはどう思っているか」
ということをいつも考えて、
それを尊重するようにしてきたつもりだった。


だが、このところのほのさんの反応を見ると、
ほのさんはYESと言うだろう、という問いかけに
嫌がる反応をしたり、
はっきりとはわからないが、
「そうではない」というようなことを一生懸命言っているようなことが多くでてきて、
それはふつうに子どもの成長からいったら、
「自我がでてきた」ということなんだろうが、
今までこれだけ「ほのさんの自我を大切に」とこころがけてきたはずなのに、
それを、目の当たりにすると、

なんだか「こんなほのさんの成長を見ることができるなんて思っていなかった」自分がいることに気づき、
もちろん、この上ない親としての喜びを感じているのだが、
なんだか、ほのさんを「見くびっていた」ような気がして、
あの子に一番近いはずのかあさんが、と
ショックだったりもする。


そして、ほのさんが何か一生懸命言っているようなときに、
ほのさんが感じているであろう「もどかしさ」を思い、
かあさんも「わかってあげられないもどかしさ」を感じる。

人と人の、「ことば」を介するコミュニケーションは、
わかりやすい。

こういう理由で嫌です、
と言われたら、
ああ、この人はこの理由で嫌なんだ、
と、聞く側の腑に落ちやすいという意味で。

だが、ほのさんとのコミュニケーションは、
ことばを介さない。

表情や、リークを利用した、さまざまにトーンを変える声、
目の開き具合や眼球の動き、
顔の紅潮具合など、
ほのさんは全身を使って、
たくさんの情報をくれていて、
それらが合わさった「ほのさんの気持ち」が、
ことばを介さずに直接かあさんの心に飛び込んでくるのだ。

それは確かにかあさんに届いているし、
ほのさんそのものから(ことばなどを介さずに)届いたものなのだが、
受け取った「ほのさんのきもち」を誰かに説明するために、
ことばに変換しようとすると、
かあさんは本当にわかっているのだろうかと、
たちまちあやふやになってしまうのだ。

でも逆に。

たとえば、とうさんとかあさんのコミュニケーションの場合。

当然、ことばを介しているわけだが。

どうして○○だったの?
とかあさんが問えば、

●●だからだよ。
ととうさんが答える。

一見、とてもわかりやすく、
わかりあえているように思うけど、
●●ということばが、とうさんの気持ちそのものではなく、
もし、とうさんがかあさんだったら、
そのときの気持ちを●●ということばではなく、
別のことばを選んで表現するかもしれない。

ことばを介するコミュニケーションだって、
「わかりあえている」と思うのは過信だし、
相手の本当の気持ちなど、
そっくりそのまま理解することは難しいという前提がなければと思う。

そう思うと、
ほのさんの表現方法、
ほのさんとのコミュニケーションの取り方は、
特段むずかしいというものでもないわけで、
ほのさんだって、ことばを話す人だって、
伝えること、わかりあうことの難しさは同じだと思う。



だが、そんなことをはっきり確信するまでに、
ほのさんの母親でありながら、
かれこれ4年の年月が経っている。

ほのさんという子が、
どこへ行っても、誰と接しても、
そんな風に理解してもらえるようになるには難しいし、
簡単に説明することができる術を持たない自分も、
ほんとうに歯がゆい。

そして、そんな説明をしなければならない世の中は、
なんというか、
残念だ。




ほのさんという子を説明するのに、
フューチャーされがちなものに、
「ケア」というものがある。

この「ケア」ということばが、
結構なクセモノだ。

ほのさんは、毎日たくさんの「ケア」が必要だ。

排痰&吸引、
排尿のために膀胱を押す用手排尿、
胃チューブの交換、
体位交換、
気管切開部のガーゼ交換、
検温、
目を綺麗にして点眼&眼軟膏を塗る、目のケア、
口腔ケア、
清しき、
整容(爪切り、髪をとかす)
などなど。

それらすべてをひっくるめて「ケア」と呼んでいるわけだ。

もちろん、ほのさんのそれらの「ケア」は、
全部、とうさんとかあさんが行っている。

だが、それらの「ケア」をお手伝いしてもらおうと思うと、
誰でもがやっていいものではないものもあり、
看護師はOKだけど介護士はダメめとか、
それならそういった類の「ケア」を「医療的ケア」と呼ぼうとか、
いやいやそれじゃあ日常的に困るから、
介護士でもできるように法改正しましょうとか。

そもそも「ケア」は、
本人が生きていく上で必要なことであるにもかかわらず、
本人目線と言うよりは、
おうちで、病院で、学校で、
どの職業の誰が担当するかという分類から考えられたり、
それぞれの「ケア」をいかに安全にうまく行うかという、
「手技」としてのクローズアップがメインで、
そのことは、それらの「ケア」を必要とした、
ほのさんという「全体」をとらえることを逆に難しくしてしまうこともあるように思う。

そして、ほのさんを全体として、
つまり一人の人間としてとらえることをしなくなると、
そのことで「ケア」もうまくいかないということも起こるように思う。

わかりやすく言うと、
たとえば、用手排尿というケアをするとき。

人間の膀胱の位置はこの辺りかな、
と、まず解剖学の知識。

試しに押してみる。

出ない。

力が弱いのかと、もう少し強く押してみる。

出ない。

場所が違うかな、と少しずらしてみる。

出ない。



確かに、用手排尿は、
ほのさんのケアの中でも難しい。

だが、このやり方では、おそらく無理だ。

ほのさんに、どう?と聞いていないし、
力任せに押しても、
痛くはなくても「イヤ」かもしれない。
ほのさんに「だいじょうぶ?」と聞いて、
顔色を見て、
涙を流していないか、
顔が赤くなっていないか、
目をつりあげていないか、
本人の気持ちを聞いてみる。

そして、もし自分がされたらどうかと想像してみる。

息をして胸が膨らんだときに、
逆におなかを圧迫されたら出しにくいかもしれないから、
呼吸にあわせてやってみようか、とか。

あまり長く押し続けても苦しいだろうから、
小刻みにおしてみようか、とか。

おなかをマッサージしながらやったら安心するかもしれない、とか。

ついてに「のの字」を書いてみたら、便もでやすくなるかもしれない、とか。

おなかを押しすぎてカサカサになってしまったからクリームを塗ってあげよう、とか。

よしよし、がんばってるね、
って頭を撫でてあげよう、とか。


そんな風に「ケア」を通して、
「ケア」をしながら、
ほのさんと心を通わせていくことができるし、
ああ、ほのさんてこんな方法で気持ちをお知らせしてくれるのね、
と嬉しくなったりかわいくなったり、
本来、「ケア」はそんな機会なのだと思う。



たとえば病棟で、ほのさんのおしっこを出す、
ということが看護師さんのお仕事だとして、

「おしっこが出ない出ない」と、
出すことばかりを考えていたら、
ほのさんの気持ちはどっかに置き去りで、
「おしっこを出す」というケアをしているときに、

ああ、ほのさんは嫌がると顔を赤くするんだとか、
涙をながしちゃうんだとか、
ほのさんという子をわかるチャンスを逃してしまって、
ほのさん自身もひょっとしたら、
この看護師さんは「あたしのいうこときいてくれない」と
インプットしてしまうかもしれない。

ひとつの「ケア」は、
ほかの「ケア」にも通じる。


ひとつの「ケア」で、
ほのさんの嫌がる反応がわかれば、
ほかの「ケア」をしているときでも、
ああ、ほのさん嫌なのね、とわかる。

排痰ケアのとき。

痰が出やすくなるように、
胸と一緒に背中を動かす。

ずっと寝ていると当然、背中は固くなる。

「痰を出しやすくするため」だけではなく、
ほのさん、せなか、いたくなあい?
とマッサージしてやる。

もう少し手を伸ばして、腰の方までマッサージしてやる。

やっぱり固い。

そうだよね。ずっとよこになってるといたいよね。

と、肩もほぐしてやる。

「排痰のケア」は、排痰のためだけではなく、
少し想像力を持ってやることで、
全身がほぐれ、リラックスし、
「結果的に」痰が出やすくなる→ラクになる。


そんな風に、
「ほのさんのからだ」が成り立っているというあたりまえのことに気づくことで、
一つひとつバラバラの手技ととらえていた「ケア」は、
ほのさんの健康と快適さのためだと、
本来の目的を思い出すことになる。

そして、ほのさんがラクになって、
気持ちよさそうな顔をすると、
そうか、もっとやってあげよう、と思う。

「ケア」からは始まったほのさんとの関係は、
どんどん、どんどん広がっていく。


「ケア」は、ケアする人がケアされる人を知る機会でもあり、
ケアされる人が、自分のことを全身で伝える機会でもあるのだ。

そして、ケアされる人は、
ケアしてくれる人の「手」から、
たくさんのことを読みとって、
ケアしてくれる人がどんな人で、
自分のことをどう思っているのかを知る。

「ケア」は、「ケア」そのものでもあり、
ほのさんにとって、大切なコミュニケーションでもあるのだ。




また、「ケア」には、
「いのちを守る」という大切な役割をするものもある。

ほのさんにとって、
特に、排痰ケアは生きていく上で最も重要なものだ。

ほのさんは、生まれたときの脳に受けたダメージが大きかったものの、
特にそのほかの臓器に異常はない。

この4年間のほのさん史上、
ときおり小さな風邪を引いたりするが、
そのほかは、かあさんよりも元気なくらいだ。

ただ、そうして元気にしているためには、
この排痰ケアが欠かせない。

呼吸は脳が司っており、
その脳にダメージを受けたほのさんは、
人工呼吸器の助けを借りている。

決められた圧、回数で肺を膨らましているのだが、
自分で痰を吐き出すことができない。

「呼吸」と言うと、
「吸う」ということばかりを思い浮かべがちだが、
「吐く」ということもとても大切で、
そのときに肺の奥の方にある痰を気管のところまで、
無意識にだしているのだが、
それができないほのさんは、
呼吸器にあわせて「吐く」介助をしてあげたり、
体を右向き、左向き、仰向けなどのように動かして、
痰を移動させながら吸引しやすくする必要がある。
その一連の動作を「排痰ケア」と呼んでいる。

健康な人にしてみれば、
「痰」」を意識するのは風邪を引いたときくらいのもので、
普段その存在すら気づかないようなものだけど、
それだけ無意識に自力で処理する働きが体にあって、
その働きができないほのさんだけが、
痰が異常に多くて、取ってあげなければならないというわけではなく、
「痰がでる」ことは、みんなと同じことなのだ。

排痰ケアには、基本的なルールがある。

それプラス、「個別性」ということが大切だ。

ほのさんは、痰が少ない方だ。

だが、痰が少なくても、
吸引チューブの届く気管支のあたりまであがって来にくいので、
そこまであがってくるようにという介助が何より大切だ。

吸引してみて、痰が少ないからだいじょうぶ、
と放っておくとすぐに詰まって、
呼吸不全になってしまう。

そこの念入りな介助を日に何度もして、
吸引するときも、普通よりも深めにカテーテルを入れないと、
痰を確保できない。

つまり、教科書通りの知識プラス、
ほのさんの特徴を理解してケアにあたらないと、
せっかく時間をかけて行っても、
痰は取れないし、苦しいし、手間はかかるし、で、
何もいいことはないのだ。

きちんとした知識と、個別性を理解すること、
それも「ケア」の鉄則だろう。


「ケア」にもいろいろな性質のものがある。

「お世話」的なものと、
「いのちを守る」ためにきちんとやらなければならないもの。

それらをまとめて「ケア」と呼んでいることでの苦労もある。

たとえば、入院したとき。

ほのさんは、具合が悪くて入院するのは1年に1回程度。

そのほか、年に1回の検査を兼ねたレスパイとで、
それぞれ1週間くらいの滞在だ。

日に日に成長して、体も大きくなり、
また体調にあわせてケアの仕方も日々、
ほのさんと相談しながら変更しながらやっているので、
半年ぶりに病院にお世話になりに行ったときには、
スタッフの方の入れ替わりもあるし、
すぐにすべての方にケアをマスターしてもらうというのも正直難しい。

痰詰まりで入院していても、
かあさんがいなければ痰を出せない、
おしっこも出ない、となれば、
入院中はもちろん、朝から晩まで付き添って、
おうちにいるのと同じように「ケア」をし、
レスパイトいっても、
元気に家を出たのに、帰る頃具合が悪くなっては困るので、
毎日必ず「ケア」をしに行く。

そんな時に、必ずいわれることは、

「おかさんが一番だから」。

あるいは、

「おうちと同じようにはいかないよ」とか、
「おうちと同じことを望んでも無理だよ」とか。


言われる度に、
なんだかわからないけどモヤモヤしつつも、
そうだよなあ、と思ってきた。

おうち生活が長くなって、
ほのさんと過ごす時間も一番多いし、
何より「母親」であるのだから、
「かあさんが一番」だろうし。

おうちでは、かあさんが「ほのさん専属」でみているから、
なんでもすぐに気づくことができても、
病院では、ほかにたくさんのこどもたちがいるから、
おうちのようにいくはずもないし、
実際、「おうちと同じように」を望んでいるわけでもない。

だが、なんだかよくわからないけど、
その「おかあさんが一番」には、
ずっとずっとモヤモヤしていて、
なんどなくその文脈からして、
褒められているのではないことは確かだった。

昨年の11月に痰詰まりで入院したときも、
救急搬送する日の2週間前くらいからずっと、
日に何回も痰が詰まり、サッチュレーションを下げ、
バギングしたり、普段は使っていない酸素を使用したり、
片手で吸引、片手で胸を押す動作の繰り返しで、
かさんの左手は上がらなくなっていたし、
吸引が10分に1回くらい必要で、
ほとんど眠れない日々だった。

それで、結局左肺にほとんどエアーが入らなくなって、
入院となったのだが、
このときも、朝から晩までかあさんが付き添い、
その間はほとんどすべてのケアをおこなって、
ときおり看護師さんが、
「おかあさんお手伝いしますか」と行ってきてくれた。

面会時間が終わるまでに、
できる限り、ほのさんの肺をよい状態にして帰っても、
翌日、病院に着くと、
明け方、痰が詰まって、二酸化炭素が120になりました、
と報告を受けることが何度かあった。

付き添っている間にも、
酸素を流していても急激にサチュレーションを下げ、
看護師さんを呼びたくても見あたらず、
探している暇もなく、
なんとか復活させるということもあった。

そして、やっぱり、

「おかあさんが一番だから」

と何度も言われた。



家でみていても、
どんなに手を尽くしても、
どうしたって痰が詰まることはある。

だが、手を尽くして、
手を尽くして、もう限界で、
それで病院に連れていっても、
結局、日中は自分がみているような状態で、
それで、付き添えない時間帯に「痰が詰まった」と言われれば、
それはもうどうしようもなくやるせない気持ちになる。

看護師さんたちに、
ほのさんの排痰の効果的なやり方を覚えてほしくても、
まさに詰まっているときに、
かんごしさーん、と呼んで教える余裕などあるはずもなく。

詰まる→かあさんが対処→看護師さんに覚えてもらえない

という悪循環は入院中ずっと続き、
入院前の大変な経過もあったため、
結局、ほのさんの退院前日に、
かあさんが倒れる、ということになってしまった。

そして、
「おかあさん、やすんでくださいね」
と、声をかけてもらっていたことも、
すごく、辛かった。



ほのさんと生活をしていて、
一番、深刻な事態は、

「かあさんが倒れる」

ということだ。

このときは、ほのさんは入院中だったから、
かあさんが倒れても、まだセーフ、
ということに、本当だったらなるのだが。

この入院生活をみていたら、
ほのさんが唯一、預かってもらえる病院でさえ、
ほのさんが安心できるところではない、
ということを心底思い知って、
ずっとずっと、考えてきた。





「おかあさんが一番」に関するモヤモヤについて。


つづく。




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by honohono1017 | 2012-02-13 18:53 | Life

車窓から。

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きょうは、びょういん。

かあさんと、
うめのはな さいてるかしらん、
っていってたけど、
まだ、すこしはやいみたい。

ざんねんだわ。

でもきっと、もうすぐね。

きっといま、じゅんびしてるとこよ。
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by honohono1017 | 2012-02-09 13:34

ハマっても、足跡。

f0199379_16465184.jpg


立春も過ぎ、
寒さも少し緩む日があったりして、
暦ってすごいなと思う。

寒さのせいなのか、
いろんなことに追い詰められているせいなのか、
ずっと、心も体も縮こまっていた。

追い詰められているのではなくって、
自分で自分を追い詰めているだけだったりすることも、
ホントは多く。

ひたすら前だけじゃなくて、
右とか左とか、
ときには後ろだって、見ればいいのに。

見たほうがいいのに。

自分の尻尾を追っかけてるみたいな、
エンドレス。

毎回そうなんだけど、
そんな簡単なことも見えなくなって、
どうしようもなく、ハマる。

抜け出し方も、よーわからんが、
きっとだいじょうぶという、
根拠の無い楽観。



根拠か。

無くも、ないな。

足跡が、ついてきてる。



ほのさんの優しいお雛さまは、
今年も静かに、
ほの家を見守っている。





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by honohono1017 | 2012-02-07 17:22 | Life

おにはそと、ってゆーか、おにたいじ。

ほのさん、待ちにまった節分。


f0199379_21592747.jpg


はい、がんばって まめ にぎりしめて。

おにが くるよー。

それっ おには そとー!
(あたし がんばって やっつけるわ)

f0199379_2202731.jpg


それっ  おには そとー!
(なんか このおに しつこいっ)


f0199379_2275328.jpg


おには そとー!
(やった やっつけたわ)


f0199379_2243969.jpg


今年のおにの反省。

さあ、豆まきするわよ、ってなって
あたしたち、さんざん まってたんだから、

赤いタイツないの?
とか言ってないで、さっさとやる。

あ、でも、なかなか迫真の倒されっぷりだったから、
まあ、許す。




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by honohono1017 | 2012-02-03 22:13 | Event

「普通に生きる」ということ。

先日、「普通に生きる」という映画を観た。

すばらしかった。

重度心身障害児とよばれる子どもを抱える親たちが、
「福祉の受け手が担い手になればいい」と立ち上がり、
自らの手で「でらーと」という施設を作り上げる。

地域の中で「子どもの自立」を実現させていったことだけでなく、
親たち自身が自己実現していく姿も描かれており、
それはもちろん、
自分も、「超」がつく重症児を抱える親として観ても、
一人の人間として観ても、
とても素晴らしいテーマだったのだが。

それ以上に、
こどもたち一人ひとりの、
何ものにも代えがたい、輝く笑顔や、
そんな子どもたちと関るひとたちの様子がすばらしかった。


そして。

なんといっても、
子どもたちと親たちの、
何気ない、当たり前の、毎日の生活の場面が、
とても心に残った。

そこには、「ささやかな幸せ」が満ち溢れていた。



家族団らんの、食事の場面とか。

何気ない会話とか。

母親が、着替えをさせているところとか。

大きな体をおぶって、車に乗せるところとか。

そんな、何気ない日常のそこかしこに、

「いのち」とか、

「愛情」とか、

大切なものが、たくさん溢れていた。


f0199379_182754.jpg



ほのさんが、いすに座っている。
ひとりで、スイッチで遊んでいる。

かあさんは、台所で水を飲んでいる。




そういうことなんだ。


愛しい、日常。

普通に、生きている。





それから、ほのさんのこれからのこととか、
自分自身のこととか、

そうね、「自立」。

そんなことや、
いろんなことを考えて、
少し、苦しい。



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by honohono1017 | 2012-02-01 18:06 | Life


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