ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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大野更紗さんとの出会い、そしてこれからのこと。

土曜日。

現在13万部突破したという、
「困ってるひと」の筆者である、
大野更紗さんと、対談する機会をいただきました。

まあ、対談、と言ってもね、
大野さんのアカデミックなお話をじっくり聴き、
合間あいまに、かあさんが少し口を挟む、というのがやっとの思い。。



かあさんの中で、大野さんは、
「理想の困ってるひと像」であったわけです。

困ってるのに、理想も何もないかもしれんのですけど。


聞いたこともない難病を発症し、
(その病名が確定するまでにも辛い症状を抱えながら彷徨い、)
世にも奇妙な症状と闘い、絶叫、壊れ、
それでも生きていくのだが、
その「生きていく」というそのこと自体の難しさにぶち当たり、
それでも道を切り開きつつ、
発信することをやめない……


冷静な分析と、ユーモアのちりばめられた表現から、
闘病記というよりは、
ひとつのエンターテイメントとしてたくさんの人に読まれているようだ。


「生きている」ということがリアルに感じられるその著書だが、
では一体、ホンモノの更紗嬢たるや、
いったい、どんなお方なのか知らん……と、
そりゃあ、この企画のお話を頂いたときから、
ワクワクしていたけど、
民主化問題でしょ、人権問題でしょ、研究者でしょ、
うわーアタマいいんだろうなあ、などと不安になりつつ、
そうはいっても1984年生まれの女子、
等身大の更紗嬢に少しでも触れられたら……と思っていた。



ホンモノの更紗嬢は、
そこは想像通り、
なんだかやたら腹が据わっていて、悟っていて、
何かひとつを伝えるにも、
それにまつわるさまざまなエピソードや知識がたくさんあるのがわかり、
捉え方がやたらアカデミックなのに、
ひとりの「困ってるひと」目線を絶対に欠かさない。

すげーな……

そんなため息が出まくり。

そして、笑う。
やたら、笑う。


わたしの将来の夢は「りょーよー」ですから。
「療養!」。

そう言って大きく笑ったお姿が、
とても印象的だった。


フツーに、生きているんだな。
そう、とてもフツーに。

でも、その「フツーに生きる」ということが
いかに難しい世の中か。

ましてや、世にも稀な難病という「クジ」を引いてしまい、
どうやって生きていくの?という状況の中で、
楽観もせず悲観もせず、
粛々と、生きる。

そして、話すことを決して辞めない。

話していけば、絶対に「伝わります」と言いきるのは、
社会に対して「恐怖」を抱くのではなく、
「信頼」を持っているからだという。


「困ってるひと」の生きにくい、
社会の不条理を誰よりも実感しながらも、
「信頼」を持っていられること、
それは一見、不思議なことで、
頭の下がる思いがするのだが、
それこそが、
「いのちがある」ということ、そのものなんじゃないかなと思った。


彼女の言うことは、とてもシンプル。

「頑張ってる人をみたら、とにかく助けてください」と。

そんなシンプルだけど、大切なこと、
あんまり聞くこともないけど、
シンプルなことは、
直接、心に届くのだ。



帰り際、
大野さんはごく自然に、
握手してくださった。

それがね、すごく、グッときた。

うまくいえないけど、
それが、大野さんの、社会に対する「信頼」、
わたしも、あなたも、生きていこうね、
いっしょに、いきていこうね、
そんな思いのあらわれに感じられたのだ。



対談の内容は、
かあさんが現在、エッセイの連載をさせていただいている
民医連新聞の新年号に掲載されますので、
そちらを、ぜひ。




そんな素敵な大野さんとの、ステキな出会いも、
ほんとうに、不思議なめぐりあわせ。

大野さんが難病のクジを引いていなかったら、
ほのさんが眠りっこのクジを引いていなかったら、
あの土曜日のひとときはなかったわけで。

かあさんは、大変ちっぽけではありつつも、
ぼそぼそとブログでつぶやいてきたことも、
やってきてよかったな、と思う瞬間だったわけです。

そして、こうしてたくさんの方が読んでくださるということ、
そこでまたステキな出会いがたくさんあるということ、
本当に、嬉しく、感謝しています。


ほのさんとの「バラ色在宅生活」は、
毎日まいにち、このマンションの一室の限られた空間の中で、
おなじことの繰り返しのようにみえて、
実は日々変化していて、成長していて、
いろんな気持ちが生まれ、
涙もあるし、笑いもあって、
生きること、そのものです。

そこで考えるいろんなことや、
ぶち当たる壁、たくさんの問題は、
ほのさんのようないのちに限られたことではなくて、
そこから見える、普遍的な何かがあるようにも思っています。

自分の知らなかった世界、
眠りっこの子育てをする母親になって、
はじめて気付かされたこと、
社会のしくみのおかしさ……
それらをここから発信することで、
読んでくださった方たちが「何か」を考えるきっかけとしてくれたら、
そんな思いもあります。

そしてその逆も、大切なことです。
かあさんが思うことを書いて、
それに対するみなさんのお考えを聞く。
自分とは違う意見の中に、ハッとさせられることがたくさんあります。

頂いたコメントは、
コメントの内容にかかわらず、
コメント主さんから指定されたとおり、
公開、非公開、の設定もそのまま、載せてきました。


しかし、折りしも、震災直後から、
「税金の無駄使いだ」
「助けてもらってるのをあたりまえに思ってるのか」
というようなコメントが、とても多くなってきました。

その多くは非公開の指定でしたから、
かあさんにだけ伝えたいのか、
見られたくないのか、
真剣に読んでくださっている方の目に触れることもなくて、
よかったのです。

そのうちに、
いま、ここに自分では書けないような、
本当に吐き気のするようなことばも書かれました。
それは、このブログの管理人として、
当然、公開するべきではないと思ったし、
自分だけが読んできました。

世の中には、いろんな考えの方がいます。
色んな考えがあっていいのです。

だから、それが「ひとつの考え」としてみなせないような非常識なものは、
それはもう、どうでもいい。

それでもかあさんが、前回の記事を書き、
読者の方たちに嫌な思いをさせてしまうことを承知で、
「不適切」と思われるコメントも公開したのは、
どうしてもそうしないと伝わらないことがあるのかもしれないと思ったからです。



震災以降、
「ほのさんに税金を使うなら、
被災した元気なこどもたちに」とか、

「いま日本がこんな状況の時に、
ほのさんみたいな子が助けてもらえなくても当然だ」


というようなコメントが、
わりと普通に、と言いますか、
特に酷いことばを使うでもなく、
結構たくさんくるようになりました。


あるいは、

「健康なこどものいのちたっで、守るのは大変なんだから」

「ほのさんは訪問看護もヘルパーも受けられてるんだからまだまし。
うちは受けられない」

と、いうような。


震災で、大津波の被害を目の当たりにし、
原発事故で故郷を追われる人たちがでて、
日本中、節電ムード、
何かできることないかな、役にたちたいな、
とりあえず被害のない人たちは我慢しよう、
そんな感じになりました。

かあさんも、自分の手で守っていると思っていたいのちが、
当たり前のように使っていた電気ひとつなければ、
いのちに関る問題だし、
当たり前に送ってきた在宅生活を送ることができないと知り、
愕然としました。

日本中の人が、震災以降、
何かを感じ、何かが変わったのではないかと思います。

でも、本当にみんなが同じように確認しなくてはならなかったことは、
どのいのちも等しく大切だということで、
こんなときは、こっちのいのちのために、
こっちのいのちが犠牲になっても仕方ないじゃないか、
というような切捨てではなかったはずなのです。

事故や天災や何やらが起こるたび、
それらの収束のため、復興のため、
みんなが協力してできることをしなくてはならないけれど、
そのために、だれかのいのちが犠牲にさせられたりするのだとしたら、
結局、犠牲になる人は一番弱い人になるわけだし、
結局、弱い人はいつの時代にも、
「生きること」すらままならない、ということになってしまうのだから。

しょうがないよね、犠牲になっても……

そんなふうに言われても仕方がない人が、
この世の中にいるのでしょうか。
それも、本人に責任などなく、
たまたま引いてしまった「クジ」のために。

他の誰が引いてもおかしくない、
「クジ」のために。



そこで、いつ、誰が、どんな「クジ」を引いてもいいように、
それでも困らずに「生きていく」ことが保障されるようなシステムになっている、
それが「社会保障」なのではないのだと思うのです。

みんなが困らないようにすること、
自分がもし生きていくことに困るような状況になったら、助けてもらえる安心感、
となりのひとが生きていくことに困ったら、みんなで助けましょうという、連帯感。

それをきちんと保障するのが国の仕事のはずで、
そこがきちんとしていたら、本当はそこに「不公平感」なんて、ないはずです。
だって、保障されていることに不公平だと思うなら、
じゃあ、あなた、すすんで人工呼吸器つけますか、
という話になってしまいます。


それなのに、

「ほのさんはそれだけ助けてもらって、ぜいたく」

と言われるからには、
ほのさんとは違う状況で、何かしらの保障が必要なのに、
それがなされていない人たちがたくさんいるのではないかと思うのです。

「保障」というレベルにまではいかないまでも、
毎日の生活にとても「困ってる」という状況の人たちが。

困ってる状況というのは人それぞれだし、
どれが大きくて、あなたのは小さいですよ、なんて言えるものでもないです。

かあさんは、あくまでほのさんの「事例」のおはなしをしていますから、
ひょっとしたら同じこどもで、
難病指定などから漏れていて、訪問看護が受けられない、とか、

あるいは、こどもは全く健康だけれども、
おとうさんは家族のために仕事が忙しく、
誰からも子育ての手助けを受けられなくて、
とてもとても参っている、とか。

まあとにかく、
匿名の状況もわからない方たちだから、
あくまで想像でしかないのだけれど、
「不公平だ!」というのなら、
何かしら困ってるんじゃないのかな、と。




困ってるひとが、何に困ってて、
困ってるから助けてください!とか、
こうしてください!とか言うのは、
なかなか大変なことです。

(「困ってるひと」を連発して、大野さん、ごめんなさい……)

だって、困ってるさなかにあっては、
「困ってるなう」、と発信することはなかなか難しいし、
だいたいにおいて、困ってるときって、
自分が何に困ってるのかを把握することそれ自体、難しいことですし、
それがわかったところで、その立場にない人に伝えることも、
これまた難しいことです。

その上、困ってる人、その本人が「困ってる」と声をあげることには、
なかなかどうして「リスク」が伴うのです。
どうしてかなあ。

「助けてもらってるくせにまだ言うのか」と言われることもあるだろうし、
「エラそうだ」とか、
文句を言ってるとも思われがちです。

でも、本当は、
困ってる人にしか、その状況は伝えられないし、
例えば、使っている制度が使いにくければ、
使いにくい!と言えるのは、使っているその人しか本当はいないはずです。

使ってる人が「使いにくい」と言うのは、文句でもなんでもなく、
それは言うべきことで、
そう言っていくうちに、制度のムダがなくなったり、
いいものに変わっていくのではないかと思うのです。

本当は、困ってる人がためらうことなく、
困ってるから助けてください、
ということができる社会でなくてはならないと思うのですが、
いまは、そんな社会になっていないのではないでしょうか。

「社会」というと、なんだそれ、となってしまうかもしれませんが、
わたしたち一人ひとりが生活しているところのはなしです。

わたしたち一人ひとりが、社会をつくっているわけです。

困っている人たちをきちんとその責任において保障するような国になっていない今、
社会をつくっている一人ひとりが、
本当に困っていることがあるのなら、
勇気を出して誰かに言ってみたり、
そこから目をそらさないで、
なんとか取り組んでみようと頑張ってみない限り、
その困っている原因は、
簡単には取り除かれないし、

ましてや、みんな困ってるんだから、
我慢しようよ、

わたしも困ってるけど我慢してるんだから、
あなたも我慢しなさいよ、じゃあ、
一体、この世に授かったいのちは、
なんのためですか。

みんなで我慢大会するよりも、

誰もが我慢することなく、
安心して過ごせるようになるように、
そのために頑張るほうが、素敵じゃないですか。

結局は、一人ひとりがどんな風な心持ちで、
どんな風に生きて、
自分以外のいのちとどうかかわっていくか、ということが
いずれは制度になったり、
国をつくったりするんだと思います。



かあさんは、「社会」などというものに対する明確な考えもなく、
薄ぼんやりと生きてきたけれど、
ほのさんといういのちを授かって、
ただひたすら「生きる」ということのすばらしさ、
難しいからこその尊さ、

ほのさんのいのちと同じように、
自分のいのちも、
家族のいのちも、
みなさんのいのちも、
どれもみんな尊いのだという大切なことに気付かされたのです。

だから、
かあさんはこれからも、
自分がやるべきだと思うことを、

ほのさんが、
かあさん、おねがい。

と言っていることを、

これまでとおりに、
迷いながらも、やっていくつもりです。

かあさん自身は強くないけれど、
大切だとおもっていることは、とても強く、
同じように願っている人たちがたくさんいることも強い。


そして、できることしか、できないのです。

わたしは、ほのさんのかあさんだから、
ほのさんの困ってることについて、
ほのさんの家族として困ってることについて、
ほのさんにかかわる環境のことについて、
これからも真剣に取り組んでいきます。

これは、ひとつには、
可愛い大切な、娘に対する愛情であり、

ひとつには、
わたしが社会をつくる一員としての責任だと思っているからです。

そうして、
ほのさんのバラ色在宅生活は、
これからも続いていきます。



かあさんも、
大野さんのように、
社会に対して、「恐怖」ではなくて、
「信頼」を持って生きていける大人を目指します。

そうして、ほのさんにも、
「信頼」を持って、生きていって欲しい。

みんなが、「信頼」しあっていきていけるようにしたいです。




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by honohono1017 | 2011-11-29 16:34

どうでもよくて、どうでもよくない「呼び名」のはなし。

河北新報が11月24日、とても興味深い記事をあげている。

河北新報社が全国遷延性意識障害者・家族の会などを対象に
実施した調査を分析した結果などの内容だ。

以下。


「植物状態」家族7割超拒否感 偏見に傷つき苦しむ ⇒ 詳しくはこちら

遷延性意識障害 全国アンケート(上)追いつめられる家族 ⇒ 詳しくはこちら
遷延性意識障害 全国アンケート(下)制度に不満、漂流続く⇒ 詳しくはこちら

12時間超介護4割 遷延性意識障害・全国アンケート    ⇒ 詳しくはこちら


「遷延性意識障害」とは、少し難しい言葉だが、
そもそも、どういう意味なのか。

日本脳神経外科学会によれば、
以下のような定義になっているという。

1.自力移動が不可能である。
2.自力摂食が不可能である。
3.糞・尿失禁がある。
4.声を出しても意味のある発語が全く不可能である。
5.簡単な命令には辛うじて応じることも出来るが、ほとんど意思疎通は不可能である。
6.眼球は動いていても認識することは出来ない。

以上6項目が3ヶ月以上続いた場合を「遷延性意識障害」とする。



遷延性意識障害と脳死の違いは、
ざっくり言えば、生命維持を司っている「脳幹部」が生きているかどうか、
の違いらしい。

脳幹部の機能を失っている脳死の場合は、
通常は10日以内に心停止に至るとされており、
ただし、、30日以上脳死状態が続く場合を、
【遷延性脳死】(長期脳死)と呼ぶ……

などとされていて、
正直、よくわからない。

(脳死は本来、10日以内に心停止に至るはずなのに、
脳幹部の機能が失われていても、30日以上いのちが続く場合、
「脳死」の定義を見直すことをせずに、
「のびのびになっている」という意味の「遷延性」をくっつけちゃったり、
じゃあ、遷延性脳死は、遷延性意識障害にふくまれるんですか、とか、
定義って、なんなの、と心底思うのだが……)

遷延性意識障害は、一般的に「植物状態」などとよばれ、
記事の中にもあるように、
偏見や社会の理解不足に8割以上の家族が苦しむ実態も明らかにされ、
7割以上が「植物状態」と呼ぶのはやめて欲しいと訴えているという。

偏見や社会の理解不足が、
回復の可能性を失くしてしまったり、
必要な医療・福祉サービスが受けられない原因となってしまうことは、
本当に避けなければならないことだと思う。

アンケート結果の中にも、
周囲から受けた差別的発言の具体的な事例が書かれていたが、
それは我が家にとっても、身に覚えのあるような言葉たちだった。

あくまで、医学的な定義が、
その人たち、その人の家族たちの暮らしを脅かし、
生きているということそれ自体を批難されたり、
ただでさえ難しい生活を、さらに助けを少なくしているような実態は、
あってはいけないのはずなのだが、
この調査のようにはっきりとわかってしまうと、なおさら辛い。


実際に、それは、我が家も体験していることだが。
(ほのさんの場合、脳幹部の機能も失われているらしいので、
「植物状態」というよりも、もっと辛辣なこと、言われます)



そもそも、病気や障害の中でも、
「意識があるかないか」というラインは、
他人から見た時に、大きな違いとなっているように思う。

つまり、
「意識がない」とか「意思疎通ができない」場合、
「生きているといえるのか」
という議論に発展しやすいと思うのだ。

確かに、「人間らしさ」とは何か、
というようなことを考え出すと話は難しくなってくるが、
じゃあ逆に、意思表示ができない、
厳密には、みんなと同じようにことばで意思表示ができない人は、
生きているとはいえないのか、ということになる。

これは非常に難しい問題だ。
ほんとうに。



ほのさんは、ことばをしゃべることができない。
身振り手振りで表現することもできないし、
目や手や足をわずかに動かすことはよくあるが、
本人の意思で動いているのかどうかはわからない。

だが、ことばをしゃべらなくても、
身動きができなくても、
ほのさんは涙を流したり赤い顔をして苦痛を訴えることができるし、
楽しく活動的なときには、大きなリーク音でおはなしし、頬を紅潮させる。

それらのほのさんなりの表現は、
私たち家族のやりとりを可能にしてくれているし、
伝え合っているのだが、
それを言えば、
「ほんとにそうなの?」「脳がダメなのに?」
と、とたんに批難されてしまう。

もちろん、ほのさんなりの表現が、
医学的根拠に基づいていないし、
一度会っただけではわかりにくいこともあるし、
現に、かあさんだって、ほのさんの母親とならなければ、
例えば遷延性意識障害の方が、ご家族と心のやりとりをしながら暮らしていると聞いても、
批難はしないまでも、俄かには信じられないだろうし、
そう思うことで、ご家族が心慰められるのだろう、
なんて思っていたかもしれないのだ。

ことあるごとに、ほのさんの様子や、
私たち家族の生活について、
そういった批難を受けるたび、悲しい思いをしつつも、
そのほのさんなりの表現方法や、彼女の生きる意志なんてものを、
はい、これがそうですと、
手にとって見せることもできないし、
誰にでも伝わるように説明できるわけでもなく、
なんとも言い難い思いをしてきた。

ウソでも、なんでもないのに。

ほのさんの、私たち家族の、
真実なのに。




だが、いまいちどよく考えてみる。

意識がなく、意思表示ができないと「されている」人の、
日頃、家族が汲み取っているもの、
心を通じ合わせている方法を、
みんなに説明する必要があるだろうか、と。


それを、誰でもが理解しない限り、
ほのさんを含め、そういった人たちが生きていてはいけない、
などと言うことになるんだろうか。


困ったことに実際、そんな風に言う人もいるのだ。

意思表示もできない人が、
生きている価値などない、
早くラクにさせてあげろ、
医療費ばかりかかって、税金のムダ……と。

一つひとつ、反論するのもどうかと思う言われようもあるのだが、
それでもひたすら生きている人たちに、
その病気や障害の「自己責任論」を押し付けているのだろうと思う。



ほのさんは、産まれる時に、へその緒が切れて、
生まれながらに、脳の機能を失った。
そのほかの臓器は、まったく健康。

へその緒が胎盤からもげてしまった例は、
世界でも非常に珍しいという。

原因はわからない。

母親にも、父親にも、もちろん本人にも、
原因は、ない、という。

そう、ただの確率の問題。


もし仮に、誰かの体のどこかに何かの原因があったとしても、
その原因がある体に生まれたことは、
それもまた、確率の問題。

誰でもその可能性があるのだ。

何かの罰でもなければ、バチが当たったのでもない。

それなのに、
あたかもその責任が本人や家族にあるかのように言われる。

本人は、与えられたいのちを精一杯生き、
とうさんとかあさんは、我が子のいのちを精一杯育む。

ほんとうに、あたりまえのことだ。

それなのに、みんなと同じように生きていけない人を差別して、
できないことを批難して、
一体何のためになる?

この世の中に、誰の頼りにもならず、
純粋に自分の力だけで生きている人が
本当に存在するのだろうか?

誰かを排除しようとすることは、
いずれ、自分が排除されるかもしれないということだし、
誰かが住みにくい社会は、
自分も住みにくい社会だとは思わないだろうか?


「遷延性意識障害」も、「脳死」も、「障害」も、
どの呼び名も、
その病態を現すためのことばであり、分類であり、
どれも全部、
実は、自分とおんなじ人間のことだ。

カテゴリーや病名や、その病気の部位などが、
その病気はかわいそうだ、
こっちの人はそれじゃあ生きててもしょうがない、
などと同情されたり、生きる権利を否定されたり、
人々の勝手な判断に用いられるのはおかしいことだ。

そもそも、自分以外のいのちについて、
とやかく言える人って、
どんな人なの。
そんなエライ人がどこにいるの。

生きている意味とか、
人生が辛くて素晴らしいとか、
それは自分のいのちを精一杯生きていて、
一生懸命毎日を過ごしている人が、
自分のいのちに照らして考えることであって、
ちょっと垣間見たくらいの誰かをとっ捕まえて、
高みから判断するようなことじゃないと思う。

自分の価値観で、
人のいのちの重みを測ろうとしても無駄だ。


この世にいのちを授かって、
縮こまって日陰で生きていかなくちゃいけない人なんていないはず。

いのちを授かった以上、
辛くても生きていかなくてはならない、
それが人間の使命なのだから。



少し、話がそれた。



先日、札幌市の「重症心身障がい児者の在宅支援に取り組む会」と
「札幌地区重症心身障害児者を守る会」が、

「重症心身障害児・者の在宅生活の改善を求める要請書」と署名をたずさえて
国会と厚生労働省に訴えに行かれたそうだ。

要請の内容は、
訪問看護の充実、相談体制の充実、療育の充実、
移動支援事業の拡充、短期入所施設の拡充などだ。

それぞれに該当する担当部署から回答というか返事というか……
が、その場のやりとりの中であったようだが、

訪問看護時間数と回数を増やしてほしい、という要望に対しては、

「別に制限などしていない」
ということだったらしい。

ほのさんのように人工呼吸器をつけていると、
2ヶ所の訪問看護ステーションを利用できたり、
長時間訪問や、状態によっては毎日の訪問が可能だったりするのだが、
実際にそれと同様の訪問が必要な状態でも、
病名などが該当しないと、利用できない場合などもあり、
困っている子どももたくさんいるというのに。

お金を自費で出せば、(制度利用でなければ)
利用できますよ、ということなのだろう……。

結局、国は、在宅小児の実態を、
その数さえも調査していないためにきちんと把握していないのだ。

国は憲法で生きる権利を保障しているというのに、
その具体的な制度を作ることはおろか、
実態を把握することすら怠っているといのは、
一体どういうことなんだと思う。

いま、日本にはたくさんの問題が山積している。
まったなしで解決しなければならないことも、震災の影響などであるだろうが、
問題というのは基本的にどれもみんなきちんと着手していかなくてはならないもので、
どっちのが重要とか、優先とか、比べるもんでもないと思う。
そしてコストについて論じることはその問題の本質からそれがちだ。



かあさんが、在宅生活を送る重症小児の問題について言うのは、
たまたまウチノコが該当者であるからであって、
そのことを今一番に優先してもらわないと困る、と言っているのではない。

困ってる人が、困ってる状況の中で、
自ら声をあげていかなくてはならない状況というのは、
ホントはどうなの、
ホントに生きる権利って保障されてるの、
と思うけど。

この世の中の人は、きっと多かれ少なかれ、
その内容に違いはあれども、
問題を抱えながら生きていて、
その人にとってはその問題がイチバン辛いわけだ。

それぞれの人が自分の問題と向き合って真剣に考えれば、
他人の抱えている問題についてとやかく言ったり、
差別するようなことは言えないと思うし、
自分の問題が、また違う別の問題と繋がっていたりして、
あるいは、全然考えてもみなかったようなところに解決の糸口があったりして、
結構、この世の中も捨てたもんじゃないのかもなんて思ったりする。

一人ひとりが真剣に
「幸せになりたい」と願えばいいのに、
「みんなが幸せになればいいのに」
と願えばいいのに。




障害者と呼ばれる人と、健常者と呼ばれる人と、
その間に境界線なんてない。

境界線がないどころか、
同じ人間で、同じところで生きているのだ。

そう思えないのなら、
思えない、思いたくない「なにか」が、
自分の中にあるのだと思う。

その「なにか」から逃げたり、
それを、人に向けたりしても、
何の意味もない。

誰かが、痛いだけだ。




本当は、大切なことがわかっていれば、
呼び名なんてどうでもいいはず。




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by honohono1017 | 2011-11-25 14:40 | normalization

奥が深いぜ在宅生活、の巻。

『病気というのは「経過」だから、
はじまりが一番悪いとは限らない』

そんな言葉が身に沁みている。

11月頭に、左肺痰詰まりで12日間入院したほのさん。
お家に帰ってから、その原因の肺はすこぶる回復したのだが、
そのほかの体のあちこちに不調が出て、
思わずかあさんが、

「入院する前より全身状態が悪くなってる……」

と愚痴った時に、
在宅医のT先生に言われた言葉。



本当に、その通り。

はじまりは肺だったのだけど、
そのために行った治療の影響とか、
その悪くなったところをカバーしようとよそが頑張ったせいとか、
とにかく、ひとつがコケると、
全部がコケる。

そして、バランスを崩した体は、
すぐには元に戻らない。

それが「経過」というものなのだ。

その「経過」をただ見守り、
原因究明というよりは、
起きている不調が一大事にならないようにと微調整をすることしかできず、
それがなんとも辛い。

経過を見守る辛さと、
本人の辛さとを一緒にしてはいけないと、思いつつ……。




肺のコンディションが悪くなると、
痰などが邪魔をして、肺が膨らみきらないので、
人工呼吸器から送り込まれる空気と圧が肺の中に入りきらず、
飲み込んでお腹に入ってしまうことがある。

そのせいなのか、
はたまた、抗生剤を使ったことで腸内の細菌バランスが崩れて、
普段から動きの悪いお腹が、
さらに動かなくなって、
便が出にくくなり、ガスも溜り……

お腹がはちきれんばかりに張って苦しいからなのか、
普段はまったくといっていいほどかかない冷や汗をかき通しで、
汗に水分を持ってかれるので、
余計に便は硬くなって出にくくなり。

常に力みがちなために、
分泌物も増えて、吸引もかなり頻回になり……

このエンドレスな悪循環。


かあさんにできることと言ったら、
できるだけ水分を増やしてあげること、
お腹をマッサージしてあげること、
浣腸、ブジー……

まあ、とにかく対処療法的なことしかなく、
水分を増やせば余計にお腹かが張って、
冷や汗の量も増え……
と、一体何をやっているのかわからないという袋小路に迷い込み。


そんなことをしていたのだが、
先日、ついにおしっこが出なくなって、
これはいよいよ脱水か……
と青ざめたのだが、
皮膚はいたってピチピチ、
相変わらず冷や汗をドバットかいているということは、
体の中に水分はあるものの、
おしっこに回らないのだろうと、
予想はつくものの、
「おしっこが出ない」という事態の最悪さ加減に負け、
土曜日だというのに訪問看護師さんや、在宅医の先生を呼び、
大騒ぎしたところで、
結局、ジョーっと出るおしっこ……。。


そう、理屈はわかっている。

いたちごっこに思えても、
いくらお腹が張ったとしても、
脱水を避けるためには、水分を増やすしかないし、
増やせば汗が増えるのも必然で。



脱水になっていないかどうかの大きな指標となる、尿量。

それを毎回、用手排尿(膀胱を手で押す)するたびに確認するのだが、
お腹自体が張っているため、押すことも難しく、
張ったお腹を押される辛さを思えばこちらも辛く、
結局いつも、膀胱が張るほどおしっこは溜まらなかった。

その感覚が怖く、
理屈を考えれば深刻な脱水になっているのではないとわかるのだが、
そんな状況を見守り続けてちょうど1週間あたり、
不安はピークに達していた頃、
夜中0時から、翌日午後1時まで尿が出ないということになったのだった。


夜間は注入をしないので、
おしっこが造られる量も少ないし、
夜通し汗をかいていたこともあり、
朝とお昼の注入をいれ終わった頃、
やっと無事、おしっこが出たわけだ。

結局、先生と看護師さん、
急いで帰ってきたとうさんと5人で作戦会議となり、

「水分を増やしてあげるしかない」


という至ってシンプルかつこれまでと同様の作戦が再確認されるという……。


注入中は、お腹が膨れてくるので、
汗の量も増え、本人にとってもかなりの負担そうだと話すと、
決まった注入の時間の合間あいまに、
シリンジで少量ずつ、手動で注入していってあげようということに。

当初は胆汁なども引けていたので、
ミルクを薄めたり、ソリタ水に変えてあげていたりしたが、
飲み残しも少なくなってきたので、
注入スピードを落としつつ、
強制的にお腹を動かすためにも、通常のミルクの濃さに戻していこう、とか。


本当に、できることと言ったら、
ちっちゃくて細かい、調整ばかり。

でも、それが、
本当に、ほんとうに、大切で。

かあさんの頭で考えられないことではないし、
結局、やってることは変わらないとしても、
先生や看護師さんが一生懸命、一緒に考えてくださる心強さと言ったら!


その後も、作戦を微妙に変えつつ、
ほのさんの様子と相談しながらいろんな手を打って。

そして、昨日。

やっと、自力排便があったのでした!

すると、不思議なことに、
髪の毛までびしょびしょにしていた冷や汗もほとんどかかなくなり、
ああ、やっぱりお腹が辛かったのか……と。

浣腸やブジーなどをして、
どうも硬い便やガスが行列しているだろうということはわかっていたけど、
普段から下痢しがちなほのさんに、
下剤を使って強制的にお腹を動かす、という最終手段も選択肢として持っていられるように、
T先生が処方しておいてくださったけど、
見守る辛さに負けず、
本人の力が復活するのを待って、
ほんとうによかったなあ……と。。

下剤を使っていたら、
今度は下痢が止まらず、
水分が一気に体外に出て脱水……
ということだって考えられるし、
簡単に薬を使うとか、
何かを大きく動かしてしまう危険性も身に沁みた。




あとで振り返るといつもそうなのだが。

見守り続けることに心が折れそうになる頃、
先生に相談したり、緊急受診したりする。

必要だと思われる微調整はそれ以前にちゃんとできていて、
心が折れかける頃には、
ほのさんの調子は上向き加減になっていて、
ひょっとしたらそのちょっとの良い徴候にかあさんも気付いていて、
弱音を吐いたり、「念のため受診」の余裕が出ているのかもしれない。

18fr.という極太のネラトンカテーテルを、
おならを出すために、
ほのさんのおしりにいれることは、
これでこの子がラクになるのなら!と、
それほど怖がらずにできるのに、
ああ、なんと「見守る」ことの、ムズカシさよ……。




人間のカラダは、
本当によくできている。

そして、ほのさんの元気になろうとする力を、
また、まざまざと見せつけられた。





もうひとつ。

ここで、かあさんの考え方を修正しておかなくてはいけない。

毎年11月、ほのさんは痰詰まりで搬送されている。

そのたびに、排痰の方法を変えてみたり、
頻繁に体位交換を行ってみたり、
いろんな、考えられるだけの努力を重ねてきた。

そして、今年。

これだけ努力して、これだけ頑張って、
もしまた、痰詰まりで搬送するようなことになるのだとしたら、
もうそれは、どうしようもないな……

そんな風に思うほど、手を尽くしていると思っていた。

だが、結局、
うちでは回復させられないどうしようもない事態になった。

そのことを振り返って、

「これだけやっていてもこうなるのなら、
もうどうしていいか、わからない」

と、ちょっと(かなり)泣き言を言った。
在宅医のT先生に。

そしたらT先生、きっぱりと

「おかあさん、その考え方は間違ってるよ」と。

優しくでもかなりハッキリ言われたもんで、
どどどーゆーことですかー、ってなって。


「僕達はさ、できることを、できる限り、やりましょうよ、
ってことで、やってきてるんでしょ。
できる限りのことをして起こる事態というのは、
起こるんだから。」

と。


……。

いや、本当にほんとーに、その通り。

できることをできる限り、
力の限りやっていて起こることというのは、

起きてしまうんだし、

どうしてもしなきゃいけないことは、

「防ぐこと」
じゃあ、ないということ、か。


このままじゃ、「防ぐこと」ばかりを考えて、
起きてしまった時にしなくてはならないことを
見落としかねなかったのかも、と。



ほんとうにちょっとした考え方の話なんだけど、
それはいざというときや、
重要な判断を迫られた時に軸となる、
大切な大切なことなのだ。


病気は、経過。

退院したら終わり、ではない。

そして、
これからも、
できることを、
できるかぎり……なのだ。

奥が深いぜ、在宅生活。

こうして11月が、瞬く間に過ぎてゆくー。
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by honohono1017 | 2011-11-24 17:40 | Condition

かえっております。

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おうちに、かえっております。

が、退院2日目から肺の状態はすこぶる良くなったものの、
全身状態、ガタ崩れ...

冷や汗はかき通し...
お腹はパンパンに膨れ、
おしっこもいつものようには出しにくく。

やれブジーだ浣腸だ、とか
注入の量は速さは...
ああ、汗拭いて、
あらら、痰でたのね吸引ね、
とまあ、夜中も10分おきに目覚ましをかけてます。

今日はリハの大好きなS先生に、
てってーてきに、やられてました 笑

ずっと元気がなく、抑揚もなく、
寝てるのか起きてるのか、
ずっと青白い顔に冷や汗を浮かべてたけど、
S先生の刺激に、久々にいつものほのさんの反応が戻ってました。

ひとつ崩すと、
全部が崩れる...

そんなことを痛感した入院ですが、
それだけ人間のカラダは、
逆によくできてる、
とゆーことかな。

だんだんと、
スイートホームで、
小康を取り戻すのです。
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by honohono1017 | 2011-11-18 15:39

『だんだん』と『すぐに』の狭間で。

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入院8日目。

小児科病棟のカンファレンスで、
ほのさんのこと、
ほのさんとのおうちでの生活のこと、
かあさんの気持ちなどをお話させていただいた。

わかってもらうことも、
わかろうとすることも、
わかりあうことも、
どんな場面でもそれはきっととても難しいことだ。

みんなが一生懸命取り組んでいればいるほど、
辛い思いもする。

それでも伝えあうことで、
パッと霧が晴れるような瞬間がある。

だんだん、
でも、大きな一歩。

今晩も、たくさんの方に支えられて、
ほのさんは、夜を過ごす。

それは、感謝以外の何ものでもない。

それでも、かあさんの力及ばず、
物言わないほのさんの苦しみを代弁しきれず。

だんだんと築いていくものと、
すぐにでも拭ってやりたい苦しみ。

その間で痛む、親心...
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by honohono1017 | 2011-11-11 00:14

がんばってます。

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昨日よりは、エアー入りも少し改善。
点滴からの水分と抗生剤も効いたのか、
痰の上がりも良く。
酸素もオフしてサチュレーションも保ってます。

入院させて、良かった。

もう少し回復したら、
呼吸器の設定などよく相談して、
スイートホームに帰ります。

みなさん、ありがとう。
がんばるわ。
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by honohono1017 | 2011-11-03 12:42

緊急入院しました。

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主のいない、ベッド。

このところ不調続き。
水曜明け方より、肺のコンディション悪化。
夕方、左肺エアー入りがほとんど確認できず、
救急隊要請し、緊急入院しました。

予想通り、左肺無気肺。

二酸化炭素は溜まっていませんでしたが、
点滴ライン確保できたので、
抗生剤投与開始。

早く治して帰ります。



それにしても。
悪いなりに、安定した状態で搬送したとは言え、
涙を流してじっと堪える我が子を搬送するとゆーのは、
何度経験しても、
慣れません。

判断や準備はスムーズになっても、
心の中は、
本当に、なんとも言い難い。

母は、
強くて、弱い。
そして、弱くて、
強いのです。

できることしかできないから。

そして、やっぱり、こんなとき、
あの子が、確かに力強く、
生きている、ということを感じるわけです。
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by honohono1017 | 2011-11-03 00:28

ほのさんの「在宅生活」についての考察、あるいは決意表明。

山あり谷ありの、在宅生活3年と3ヶ月。

これまでも色んなことがあったけど、
その時々で、ほのさんのチームの方々や、
いろんな人たちに助けられて、ここまできた。

昨年の11月の転居などもあり、
サービスの使い方や、事業所が変わったりしたこともあったが、
ほのさんのおうちでの生活は、安定したものになっていた。

この秋、これまで利用したことのなかった、
「通う」というサービスの利用に伴い、
さまざまな未体験の問題などにも直面し、
あらためて色々なことを見直す、いい時期にあるのかもしれないと、
いま、シャワーを浴びていて、ふと思ったので、
忘れないように書き留めておこう。



今回の、呼吸器設定の問題と、
人口鼻のサイズアップに気付かずにきた問題で、
ほのさんの在宅チームについて、あらためて考えてみた。

ほのさんの在宅チームは、このように構成されている。

☆病院=月1通院(診察・カニューレ交換・必要時検査・物品支給・検査入院・緊急時対応)
☆在宅医=月1訪問診療(聴診・全身チェック・相談)
☆訪問看護=週3回(2事業所利用)(体調管理・各ケア・呼吸器回路交換・相談)
☆ヘルパー=日中週2回、夜間週3回(吸引を含めた各ケア・清拭・見守り等)入浴介助週2回
☆訪問リハビリ=週1回

そこへ今回、
☆日中一時支援=月3回(6時間以上 日中預かり)

という「通う」サービスが増えた。


それぞれの機関のサービスは、それぞれ単体としては、
非常にうまくいっていて、
本当に助けられている。

このような役割分担の確認をして退院してきたので、
そのかたちは、今でもその通りだ。

では、それぞれの機関同士の連携はどうか、という問題。

日常のほのさんの体調不良などについて、
かあさんが主に相談するのは、訪問看護だ。

かあさんのとった対応の確認をしたり、
アドバイスをいただいたりして、
大抵のことはそれでOK。

それでも、これまで遭遇したことのない事態だったり、
ちょっと心配な不調で、急を要することだったりすれば、
そうそうあることではないが、まず、在宅医の先生に電話して、相談する。

日中の時間帯であれば、
必ず在宅医の先生は電話対応してくださるので、
そこで指示をもらったりして、
そして、それで、大抵のことは急を凌げる。

結局、在宅医の先生に相談するか、
それとも、病院に電話して搬送するか、
大きな不調のときはこの2択なわけで、
その選択も、いまのところ、判断がつく。



で、このフローチャート的な判断、対応を、
次の月1の通院時に、
病院の主治医には報告し、
その時点でも解決していないようなら、
必要に応じて、検査なり、投薬なりが行われる、という順序。

つまり、訪問看護から病院主治医へ、とか、
在宅医から主治医へ、とか、
その間におきたことについて連絡がいくことは、
ほぼまれ、で、
かあさんが、報告するわけだ。




少し、話がそれる。

先日、10月29日、埼玉県大宮にて、
「第1回小児在宅医療支援研究会」というものが開かれ、
参加してきた。

日本全国から演題が発表され、
いま現在、小児在宅の分野の取り組みが、どのように行われているのか、
現場の医師や看護師、そのほかコメディカルの方々が、
どんなことを目指して取り組み、
そして問題点は何なのか、
これまで参加したどのシンポジウムよりも活気があり、
学ぶことも多かった。

さまざまな事例、事業などの報告を聞き、
その上で、ほのさんの在宅チームについてあらためて考えてみると。



ほのさんの在宅医の先生は、
「在宅支援診療所」の先生ではなく、
小児科クリニックで外来診療をしている先生、
つまり、在宅の患者はいっさい診ていない先生に、
飛び込みでお願いして、
なんとかOKしていただき、
月1回往診していただいている、
というスタイルなのだ。

クリニック診療時間内は、
どんなときでも電話対応してくださるが、
24時間連絡がつくというわけではなく、
例えば、採血や検査が必要になっても、
在宅ではできないので、病院に連れて行く必要がある。
(正確には、できないので、ではなく、
検査や処置は、病院で、という役割分担で引き受けていただいたので)

その分、往診時には、
その間にあった、ほのさんの不調のときの話、
かあさんがとった対応、
考えられる原因など、
詳しく相談にのっていただくことができている。

一方、病院はというと、
月1回の通院の時に、主治医の先生に、
在宅医の先生に相談するよりは、遥かにかいつまんで経過をお話しするのだが、
その時点では、その症状は治まっていることも多く、
そうでなければ、検査や処置が必要になり、
そうなれば当然、検査や処置をして、その後の経過に当然注目していくことになるので、
在宅でどのようにしているかということは、
やはり十分には伝えわりにくい。


小児在宅医療支援研究会などで報告され、
また、構築を目指している「在宅医療支援ネットワーク」は、
我が家のようなスタイルではなく、
在宅支援診療所が、がっつりと全てを受けおい、
在宅生活を支えていくというものであり、
だからこそ、小児を引き受けてくれる在宅支援診療所が少ない、
という話にもなるのだろう。

(まあでも、我が家のように、
在宅を全くやっていない小児科開業医の先生が特別に往診に出てくださる、
という例は、なおさら少ないのだろうと思うが……)

ここで疑問に思うのは、
在宅支援診療所が、
普段の体調管理から、点滴やら処置やら、24時間対応して、
物品の支給などもして、
カニューレ交換から、呼吸器回路交換まで何でも請け負った場合、
緊急時にどうしても入院しなくてはならないときや、
レスパイトを希望するときなんかは、
病院や施設などは、
一体どうやってその子のケアの仕方を把握して診るのだろう……と。

月1回、通院しているほのさんでも、
なかなか入院したときなどは、ケアの仕方が難しい、という悩みを抱えているのだが。。


逆に、訪問診療で、全てが済むメリットというのも、
とてつもなく、ある。

まず、ほのさんのような子は、
とにかく、何はなくとも、
「移動」が大変だ。

「移動」の動作も去ることながら、
呼吸器のセッティングを変えたり、
荷物の準備から、防寒対策……、
そして、そもそも「移動」の手段も問題となるのだから。

そのことで煩わされることなく、
寒さや、病院へ行った時にする、感染の心配をすることもなく、
安心して、いつものお部屋で、
全てが済むのだ。

結局、月に1回、カニューレを交換しなくてはならない、
必要な衛生医療材料の支給をしてもらわなくてはならないから、
通院に行かなくてはならない、ということがあるからやむを得ないのだが、
できれば、本人の体調が安定している時は、
なるべくなら行きたくない場所、それが「病院」なのだから。


それぞれの方法で、違った問題があるのは確かだが、
ほのさんが「在宅患者」と呼ばれながらも、
たびたび、「で、結局、誰が診てくれてるわけ?」というギモンが浮上するのは、
いまのほのさんの在宅チームの役割分担(特に病院と在宅医)に
その理由があるのかもしれない、と思う。




まあ、何はともあれ、
我が家は、このチームで今後もやっていくわけだ。

ほのさんのチームには、ほのさんのチームの良さ、強みもある。

いま一度、考えたいことは、
それぞれの機関の、連携。

それがなぜ必要かといえば、
ほのさんの全てを把握していて、
全てのことができる機関がなくとも、
連携することによって補えるから。

そうすることで、
今回のような人工鼻サイズアップ見直し事件みたいな
「盲点」がなくなるはずだ。


どこへいっても指摘されるようになった、
「ケアマネ不在」問題だが、
サービス調整のみならず、
この「連携」の場面でも、
その存在は、必要不可欠だ。

そう考えれば、サービス調整なんて、
ホントはそこまで大変じゃないかも、とさえ思えてくる、ほど、
ケアマネの代わりに、家族だけが頑張ってみても、
「連携」できるもんでもない。

日々の体調のコントロールや、不調への対応に、
神経をすり減らす中で、
「連携」みたいな問題について考えることは、
正直、結構、辛い……。


だが今日は、そんなかあさんの悩みを、
信頼する訪問看護師さんに相談したところ、
あらたな「連携」の方法を提示して頂くことができ、
早速、それを試してみることにする。

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ほのさんが生まれてからの4年間のことだけを見ても、
小児在宅に関する動きは活発に変化している。

だが、それがほのさん個人の生活に反映されるまでか、
といったら、それはなかなか難しい。

整わない制度、足りない資源の中で、
それぞれの機関の方々が、無理をしながら役割分担をし、
いまのチームを築いてきてくださったことは、
何にも代えがたい、誇りだ。

小児在宅のシステムが構築されつつある途中段階で、
こうして在宅生活をしてこれたのは、
ほのさんと我が家のニーズに沿って、
色々なことをカスタマイズできてきた、という素晴らしさもあるのだ。

画期的な変化や、目覚ましい発展は難しくとも、
「ほのさんのチーム」という、
超ミクロな捉え方で、これからもやっていくしかない。



ここ何日か、頭を悩ませ、
悶々としていた、非常に難しい問題について書くつもりが、
なんか結局、決意表明みたいになっちまったという。

それもこれも、
ほのさんの輝くいのちと、
それを支えてくださっている、みなさんの、
おかげに、他ならない。





 
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by honohono1017 | 2011-11-01 21:33 | normalization

ちょっと大変な、週末あれこれ。

先週の金曜日、約1ヶ月ぶりに「えがお」に行ってきました。

ボランティアの若い看護師さんたちも来てくださって、
朝からワイワイと楽しく、出発。

久しぶりだからなのか、
いつもよりギャラリーが多かったからなのか、
到着しても、一言もお話しない、ほのさん……。

f0199379_1022075.jpg

いつもの血圧測定も、
なんだか、緊張気味。

でも、はじめておともだちと「えがお」で会えて、
なぜか、「かえる」で遊び始めた2人……。

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この遊びが悪かったのか、
ほのさんは、自分の両肺にも、
たくさんの「かえる」を呼んでしまい、
吸引してもしても、なかなか雑音が取れず……

結局、「えがお」で、
ほぼずっと、かあさんはほのさんに馬乗りになって、
「かえる」退治をすることに。。

おうちに帰ってからは、
雑音だけでなく、サチュレーションも下げ始めたほのさん。

かあさんも、少し途方にくれ始めていたけど、
いつもの「おうち」に安心したのか、
2時間くらいして、大物が取れて、
エアー入りも回復。

ホッと安心。



かあさんには、ちょっと心配事があった。

先日の通院のとき、
ほのさんの呼吸器の設定(吸気流量のUP)変更を先生に相談してきたのだが、
その後、先生から連絡があり、
30から、40あるいは50にUPしても良い、
と言われていて。

「UPしてください」という指示ではないもので、
どうしたもんかね……と悩んでいたのだが。

かあさんからUPしてみてはどうか、と申し出たものの、
圧をUPするほど、大きな影響を伴う変更ではないとは言え、
やはり、どのタイミングでやったらええもんか、
そりゃ、かなり悩んだわけで。

特に、リークが目立って増えてサチュレーションが落ちている、というわけでもないし、
ただ、体格が以前より大きくなってきているのに、
これまで通りで大丈夫なもんか……というのが主たる理由。

結局、あーでもないこーでもないと悩んだ末、
やってみるしかない、
ということになり、
「えがお」に行く前日の昼間、
吸気流量を30から40にUPしたのです。

UPしたとたん、
呼吸器の動いている音が急に大きくなり、
何か変化がないかと、
メモリを凝視、実測値をにらめっこすること、しばし。

PEEPがね、5設定で、このところ4できていたところ、
すぐに6まで上がり、
ずっと、6をキープ。

最大圧も、26設定のところ、
24だったり、28だったり、なんだかバラバラな数値を示し。

変更したばかりだからなのかしらんと、
しばらく様子を見ていたけど、
ずっとそんな感じが続いたため、
PEEPだけは4に設定しなおし……。

ほのさんの呼吸器は、
最大圧は、設定値以上にはならないようになっているらしいのだが、
流量をあげたことによって、
これまでよりも勢いよく空気が送り込まれることになり、
おそらく、うまいこと設定値の26をキープできないのかしらん、と。

ときおり、呼吸器から大きな音がするのだが、
心配になってメーカーさんに問い合わせたところ、
どうやら、設定最大圧値よりも上がらないようにするために、
弁が作動している音らしく。。

ほのさん自身の様子は、というと、
なんだかずーっと、しーんとして、
ちっとも、お話しない。

流量が上がって、リークが少なくなったのかしらん。
リークが少なくなるのはいいけど、
今後、おしゃべりしなくなっちゃうのかな……と思うと、
それは何よりも淋しいことで。


設定を変えたら変えたで、いろんな心配事が出てきて。

そして、心配事は、
呼吸器設定の問題だけではなかったのです。

そう、人工鼻……。

お出かけするときにつける、フィルターのようなものなのだが、
普段、おうちで呼吸器につけている、加温加湿器をはずさなくてはいけないので、
その代わりに、ほのさんの呼気に含まれる水分をためて、
吸気を湿らす、という仕組みの人工鼻。

それが、ね……

退院したとき以来、
サイズアップしていなかったという……

新生児用の、小指の第一関節分くらいの長さのもので。

確かに、退院する時に、呼吸器メーカーの方に、
人工鼻も体格に合わせてサイズアップしていくものです、
と教えていただいていたのだけど、
日々の体調管理で精一杯だったし、
体格に合わせて、というと、
呼吸器の設定や、カニューレのサイズアップのことのほうが、
どうしても頭にあったもので。

今回の、設定変更を相談したあとに、
色々考えていて、あれ、じじ人工鼻、ちっちゃくね?
と気付いたという。。



結局、「えがお」に行くまでに、
新しい大きな人工鼻は手配が付かず、
これまでの新生児用をつけていくしかなかったのだが。

流量を増やして、これまでよりもひょっとしたら肺が膨らみやすくなった分、
痰が上がりやすくなったとして。
小さな人工鼻をつけることで、
加湿が足りなくて、痰が固くなって、苦しくなるんじゃないかとか。

心配したところで、そのちっちゃい人工鼻をつけて「えがお」に行くしかないから、
仕方ないと言えば、仕方なかったんだけど。

そんな不安要素いっぱいで、
おうちにいるならともかく、
外出するというのは、
ほのさんはもちろん、かあさんにとっても、
それはかなりのストレス。

で、結果、そのせいではないにしても、
「えがお」にいる間中、ずっと「かえる」がいて、
帰ってからもなかなか酷く、という状態だったもので、
なんだか辛い、日になっちゃった。



ほのさんは、普段、状態がとても安定しているため、
入院することもほとんどなく、
月1回の定期通院だけで、おうちで過ごしている。

定期通院でも、その間の体調の揺れ、
それに対してとった対応を先生に報告するが、
限られた受診時間では、
何もかも話すことも難しく、
普段、その小康をどうやって保っているか、
どんなケアをどれだけしているかなんてことは、なおさら、
伝える機会などない。

ホントは、その小康を保つことが、
いちばん、難しいことなんだけど。
日々、それにどれだけ、注意して、過ごしていることか。



今回の、呼吸器設定&人工鼻の問題で、
ほのさんは、「在宅患者」なんて呼ばれているものの、
一体、誰が管理しているのだろう……
というギモンを感じてしまった。

いやもちろん、体調をコントロールするという意味での「管理」なら、
当然、かあさんがやっていることなんだけど。

そして、呼吸器の設定についても、
もちろん、普段、毎日毎日みているからこそ、
「こうしたらいいんじゃないか」と気付くこともあるかもしれないが、
でも、そこは素人なんだから、
もう少し、その素人が不安にならない程度には、
こちらからどうの、と言わないでも、
「そこはちゃんと診ていますよ」という安心は、欲しいものだ。




で、結局。

「えがお」に行った翌日。

相変わらず、最高吸気圧が設定値をずっとと上下しており。
ほのさんも、黙っていることが多く。

これは、この2日半の間の状況を整理するに、
どうも、ほのさんは、流量UPが気に入らない、
UPの必要がなかった、
と判断するに至り。

吸気流量40から、もとの30設定に戻すと、
最高圧は、安定して設定どおりの26を示し。

ときおり、ほのさんのおしゃべりも元気よく聞けるようになり。

リークはあるものの、
勢いよく空気が流れるよりは、これまでどおりの速さがお好みだったのか。


吸気圧の変更のようには、おおきな変化や危険は伴わないとは言え、
本人にとっては、肺に流れ込む空気の変化なのだから、
「変化」がないわけがないのだし。
「UPしてもいい」という指示も、指示と呼んでいいのか、どうか……。


この経過を、また先生に電話でお話しするわけにもいかないので、
とりあえず、もとの設定でまた安定しているので、
来月の通院まで様子をみて、
通院時にゆっくりとお話するか。。

来月は、カニューレサイズのUPも予定していたけど、
それももう一度、よく相談しないとだな。



そんなこんなで、
ちょっと大変な週末でありました。
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by honohono1017 | 2011-11-01 11:46 | Condition


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