ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017

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Ans. 「生きてるから」

昨日、ある人からこのような質問を受けた。

「普通、脳死状態になると、2~3日で心臓が止まるのに、
なぜ小児には長期脳死という状態が存在するのですか」

面喰った。


かあさんは、これまでほのさんのことを
「長期脳死」の子だと思ったことはなかったし、
医師からそのようなことを言われたことも無い。
ある番組のキャスターは、
「子どもの場合は、割合頑張れる」という表現をしていた。

「割合、頑張れる」…。


かあさんは、次のように説明しながらも、
自分自身の言っていることに違和感があった。

「なぜ、ほのさんのような状態であっても、何年も生きられるのか、
先生から説明を受けたことはないが、
今回の移植法案の報道などからするに、
そもそも「長期脳死」などは存在せず、ほのさんのような状態は
脳死ではなくて植物状態である、という説や、
あるいは、これまで子どもの脳死判定は行われてきていないから、
厳密に子どもの脳死がどういう状態であるかハッキリしないとか、
あるいは、脳死なんだけれど、子どもの場合の成長や発達には
大人と違う力がある、という説なんかも…」

そう答えてから違和感をずっと引きずっていたが、
そんなんじゃない。

答えは、もっと簡単なことだった。

だって、
生きているから」。

それが、
生きてる
ってことだから。

そんな状態でも
「頑張ってる」とかじゃなくて、

生きてるんだよ。

そんな、シンプルにしてすごく重要な事実を
無理矢理「死んでる」なんてことにして議論するから、
おかしなことになるんだ。

かあさんまで、惑わされるな。

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by honohono1017 | 2009-06-30 13:30 | normalization

臓器移植法案のゆくえ

衆議院でA案が可決され、審議の場を参議院に移した臓器移植法案。
新たな対案も出されて、行方が気になる。

だが、東京都議選も控え…
その後に解散総選挙になるのでは…という読み。

そうなると、7月第3週の間に、
参議院でA]案が可決されない限り、
廃案になるのでは、ということらしい。

対案が可決されると、再度、衆議院に審議が戻されるので、
戻されて、また審議をするとは、解散時期を考えると考えられにくく、
だから、急いで参議院で審議、採決…と急いでいるらしいが。


それを聞くにつけ、思うこと。

小児や、より多くの臓器移植が日本で行われるように、
誰よりも法案成立を望んで、期待を持っていた患者さん、ご家族が、
大きな希望を持たされた上に、
その期待を裏切られた形になってしまうのではないかということ。

安易な法案と、拙速でいい加減な議論。
本当に国は、どうしようとしているのか。
結局は、どのいのちの重みなど考えない、やっつけ仕事なのか?

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by honohono1017 | 2009-06-29 18:49 | normalization

ほのさんのたくらみ…

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ほのさんの三手下…
何をたくらんでいる

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by honohono1017 | 2009-06-29 16:40 | Goods

いまの、ほのさんが、好きだ。

かあさんは、ほのさんのことを
「障害児」だと思ったことがない。
一度もない。

まだ、ほのさんが入院している時、
かあさんがカウンセリングを受けていて、
先生に「障害を持ったお子さん」と言われて、
かあさんは、ハッとしたのを覚えている。

生後すぐに、「重症な障害が残る」と宣告されて、
あれほど得体の知れない怖さを抱いた「障害」ということば。
ほのさんの障害の正体がわかるまでは、
知的発達が、ふつうにすすまないのだろうか、
歩けないのだろうか、
麻痺が残って動けないのだろうか…と
「…ない」「…ない」づくしのほのさんを想像した。
それは、健康な状態から引き算、引き算したマイナスのほのさんだったから、
すごく、すごく恐ろしかった。

ところが、生後2週間ほどで宣告されたほのさんの状態は、
引き算どころの話ではなかった。
脳の機能のほとんどを失っている。
脳の萎縮も始まっている。
「萎縮も始まっている」と聞いたときには、
その張り詰めた空気の「キーン」という音が頭の中に鳴り響き
逃げ出したいような、自分自身が消えてなくなりたいような気持ちになた。

赤ちゃんは、これからすべてが大きくなり、発達していくものなのに。
「萎縮が始まっている」というその残酷な響き。
いのちの始まりであったはずが、
始まって間もなく、終わりに向かっている?

かあさんが恐れを抱いていた「障害」というものなど
比べ物にならないほどだった、実際のほのさん。
ところが、その「障害」を極めてしまったほのさんの状態とは別に、
実際のほのさんの様子は、無邪気な赤ちゃんそのものだった。

機械がついて、管もいっぱいついているのに、
ほのさんはいつもなんだかいたずらっ子みたいに
何かをたくらんでいるかのように、
かあさんに微笑みかけていた。
そのうち、「かあさん、ウソだよ。あたしこんなに元気だよ」と言って、
目を開けて立ち上がるのではないかと思うほどだった。

そんなほのさんを見ていると、
かあさんの価値観は根本から変わっていった。
まず、「健康で生まれてくる」ということが当たり前でない。
健康な状態を当たり前と考えるから、
当たり前のように何かできないと、そこから引き算して
「障害」と名づけられる。
だが、ほのさんの状態をほのさんの「健康」と考えるなら、
何を引き算する必要があるだろうか?
ほのさんのこの状態を、ほのさんの「健康」とするなら、
色々なことをするのに、少し手助けが必要なだけ。
少しお手伝いすれば、ほのさんは何だってできる。
そう思うようになっていった。

はじめは、呼吸器をつけて生きているのが、「ほのさんの個性」だと、
わざとらしく言ってみたりしていた。
自分に言い聞かせるかのように。
でも、それはいつしか本当にそうなった。

ほのさんは、おそらくお腹から出るときに、ちょっと苦しいことになることを知っていた。
だけど、頑張って出れば、あとのことはとうさんとかあさんに任せれば
大丈夫だと信じていたのだと思う。
たとえどんな姿になっても、
お腹の外で、とうさんとかあさんに会って、
ただ一緒に「生きる」ことを願って。
「生きる」こと以外には何も望まずに。
だから、いまもこうして、毎日楽しそうに過ごしているのだと思う。
自分が与えられたいのちに感謝して。
なかなかいのちに感謝するなどできずに、
日々の生活に不満を言いがちな世の中で、
生まれながらにそのいのちのすばらしさを知っている
ほのさん。
我が子ながら、あっぱれ。
(ごめんね、親バカで…)

あのとき、かあさんが「何かたくらんでいるような微笑み」と感じたのは、
そのうち目を開けて立ち上がって驚かそうとたくらんでいたのではなく、
あたし、こんなだけど、すごい元気だよ!
と、かあさんに教えてくれていたのだと思う。
だから、かあさんは、目を開けて欲しい、立ち上がって欲しいなんて
思ったこともない。
かあさんは、いまのほのさんが、
好きだ。

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by honohono1017 | 2009-06-27 10:44 | normalization

いのちの誕生を思い出そう… その3

ほのさん生後3日目。

いのちの危機は脱しました、と言われた。

いのちが助かる確率は五分五分、
そのように言われたのに、ほのさんは、助かるほうにはいった。
半分の確立で死んでしまっていtかもしれなかったほのさんが、
頑張って生きる方を選んだのだから、
そんなエライ子なんだから、
障害など残るはずがない。
そんなはずがない。

一旦、いのちが助かったとなると、
いまの今まで、いのちだけは…と願っていたはずなのに、
「障害」という重い二文字がのしかかってきた。

かなり高い確率で、かなり重度の障害が残る…

かあさんには「重度の障害」がどのようなものなのか、想像がつかない。

まして、目も見えない、耳も聞こえない、動けない、
眠り姫になろうだなんて…。


あかちゃんができて、男の子がいい?女の子がいい?
「元気なら、健康でありさえずれば、どっちでもいい」
多くの人はそう言う。

いまのほのさんには「健康でありさえすれば…」ということが望めない。
「健康に」生まれてくるということは、当たり前ではなったのだ。

さっきまでは、「いのちさえ、助かれば…」と思っていたはずなのに。

障害が残った娘は、果たして幸せになれるだろうか。
障害が残った娘を、かあさんは愛せるだろうか。
いや、我が子に障害など残るはずがない。
我が子が、そんな目に合うはずがない。

そんな考えばかりが、頭の中をぐるぐる渦巻いていた。

日に日に凹んでいく、自分のお腹が、悲しい。
もう、ほのさんは、かあさんのお腹の中にはいない。
ついこの間まで、かあさんのお腹の中で、元気すぎるほどに動き回っていた
ほのさんは、一体どこにいってしまったの?
どうしてかあさんのお腹を出たとたん、動かなくなってしまったの。
ほのさんがお腹の中で動き回るあの感覚が、
かあさんの中にははっきりと残っている。
あの、なんともいえない幸せな感覚が。

出産の後の痛みで、まだ起き上がれない。
その痛みは、誇らしいものであるはずだったのに。
いまは、虚しい。
病室の固いベッドに横になったまま、
白い天井をみつめ、
「ほのかー!ほのか-!ほのか-!」
と、大声で呼んだ。
ほのか、かあさんの声、聞こえる?
ほのか、かあさんが、わかる?

こんなに辛いことになるなら、
せめて、四六時中、ほのさんの傍にいたいのに。
NICUの面会は1日1時間と決められて、
かあさんは、ほのさんの傍にいてあげることすら許されない。



「ほのか」という名前は、
お腹の中で体重がなかなか増えずに、
まだ、入院して安静にしている時に、
とうさんと相談して決めた。

生まれたときに名前がないとかわいそうだし、
お腹に話しかけるときに、はやく名前で呼んであげたくて。
そうすれば、「ああ、わたしはほのかって言うんだな」
「ほのかって名前をつけてくれて、わたしがお腹からでてくるの、
楽しみに待っていてくれるんだな」って思ってくれるかなって。

入院中、かあさんはいつもお腹のほのさんに
「ほのちゃん、ほのちゃん」と話しかけていた。
お腹のなかのほのさんは、まだ本当に赤ちゃんであり、
「ちゃん」と呼ぶのにふさわしく思っていて、
実はかあさんは、生まれるまで一度も「ほのか」と呼んであげたことはなかった。
そうと決めていたわけではないが、
「ほのか」と呼ぶのは、
かあさんの中から出てきてからだろうな、と思っていた。
頑張って出てきてくれた、ご褒美に…

それなのに、初めて「ほのか」と呼びかけてあげるのが、
こんな、悲痛な叫びになるなんて。
まして、ほのかに届いているのかすらわからない…

初めて我が子に対面するという、
おそらく人生で一番ステキな場面となるはずの時が、
かあさんが立たされているのは、
真っ暗闇の、先の見えないトンネルの中だった。

果たして、ほのさんは、その中にいるのか。
その先にいるのか。
どこにいるのか。

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by honohono1017 | 2009-06-27 00:54 | History

たった、みっつ。

この世の中で、大切なことは、
おそらく、とてもシンプルなことだ。

それなのに、
たびたびわからなくなったり、
見失ったり。
見えたと思ったら、また見えなくなったり。

おそらく、その原因は、
自分のせいで、
人のせいにしてはいけない。
世の中のせいにしてはいけない。

ただ、
自分が見えたものを、
見えそうになったものを、
いつも、自信をもって、
ことばにしたい。

よぶんなものに、まどわされるな。
よけいなものに、こころをうばわれるな。



ほのさん、かあさんが嬉しいと思うことは、
たったみっつ。

ほのさんが、元気いっぱいかあさんと遊べること。
ほのさんが、ミルクを残さず飲めること。
ほのさんが、おしっことうんちを出せること。

たった、それだけ。


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by honohono1017 | 2009-06-26 00:13 | Life

薬のおかしなはなし  決着の巻

先日書いた、抗生剤入りの眼軟膏のおはなし。

抗生剤の眼軟膏を、日に何回も、長期間常用していると、
耐性菌がついて、よくないのではないかと。

そこで、抗生剤でない眼軟膏の処方を希望したところ、
病院にはそれ以外に「採用薬がない」ということで、
在宅医のT先生に、滅菌済みの「プロペト」の処方をお願いした。

ところが、滅菌処理をして、少量づつ処方したとしても、
封をあけてしまったら、「未滅菌」になるので、
もともとチューブ状になっている眼軟膏の方が清潔に使える、ということになり
抗生剤でない眼軟膏、「フラビタン」を処方してもらうということで
一件落着。

フラビタン、使ってみた。

ビタミンが成分らしく、黄色い軟膏なのだが、
時間がたつと、黄色い薬がカリカリになってしまう。
目を乾燥させないように「蓋」の役割としては、イマイチか…。

でも、もしかしたら耐性菌を作るかも…という不安を持っているのも嫌なので、
抗生剤の「タリビット」と、うまく使い分けようと思う。


相談にのってくださった、みなさん、ありがとうございました。

みうママ、本当に、ありがとう!!

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by honohono1017 | 2009-06-25 19:14 | Care

社会的「死」の怖さ

先週の土曜日の話。
月に一度のT先生の往診の日。

臓器移植法のことについて、うかがってみた。
(普段、いろいろここにも書いているし、公に思いも言っているのに、
なんで、主治医の先生にうかがうのは、緊張するんだろう…)

T先生は、ほのさんのことを「脳死」とは思っていないと。
なぜか。
こういう状態であっても、
2,3日で心臓が止まってしまうようなイメージが湧かない子に、
そもそも脳死判定などをしようということにはならないからだという。

おそらく、ほのさんは、生後3日目に、
いのちの危機は脱しました、と言われてからも、
何度も具合が悪くなったりしたが、
NICUにおいても、実際、そのようなイメージはもたれていなかった。

だが、今回の法案は、そういう「イメージ」の話ではない。
「イメージ」と言っても、臨床的診断、ということなのか…。
それに、みんながみんな、T先生のように、
いのちの未来を考えてくださる良い先生ならいいが、
そうではないし。

…と、色々と言いたいことはあったのだが…。

「ほのちゃんは、脳死とは違う」というT先生の言葉に
どこかしら安堵していた自分にきがついた。

脳死の「死」の字に対して、
脳が死んでるから、死んでます、と言われることに対して、
現にほのさんが目の前で元気にしているにもかかわらず、
そのことから来る、得体の知れない恐れ、
違和感。

それらを、T先生が否定してくれたのだろう。

T先生が、このように言ってくださったのは、
私たち家族を気遣ってくださったのもあり、
実際、その「脳死」の定義が難しく、答えがない、ということもあり。
だから、いいんだよ、ほのちゃんがいてハッピーなんだから、と。

先生のおしゃることはすごくよくわかる。

でも、先生がそう、おっしゃってくれたからこそ、
ますます、
そうじゃない。

臓器移植とは関係ナシにしても、
脳が「死んでいる」と言われること、
脳が「死んでいる」から「死んでいる」と言われること、
そのことが、どれだけおかしなことで、
その言葉ひとつにどれだけ動揺させられるか。

かあさんは、生まれてきた時にも「死にかけ」た我が子を見、
昨年末にも、この楽しい我が家でどす黒くなって「死にかける」
ほのさんを目の当たりにし、
それでも、それよりも、
言葉で、客観的に、
「死」と言われることが怖い。

ほのさんにいつかやってくる「死」は、
すごく自然なことだ。
かあさんにも「死」はやってくる。

だが、言葉によって生きているのに押し付けられる「死」は
全く違う。

人は、人を、
社会的に殺すことなどできない。
してはならない。

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by honohono1017 | 2009-06-24 23:42 | normalization

いのちの誕生を思い出そう…その2

ほのさんをおそらく産んだのが
2007年10月17日16時28分。

その約4時間後。
産科病棟の個室で休んでいたとうさんとかあさんは、
やっと、ほのさんに会えると言われた。

とうさんとかあさんは、ほのさんが「生きている」ということだけを
分娩室で産科のN先生から聞いていたから、
これほどまでに深刻な事態を予想できるはずもなく、
「会えます」と言われると、
「大丈夫なんだ、きっと」と思ってしまう。
だって、会えるんだもの。
生きてるんだもの。

車いすに乗って、NICUに案内された。

少し、時間はかかるけど、元気にお家に帰れる。
我が子はどんな顔をしているかな。
ちゃんと私がかあさんですって言えるかな…。

色々な考えが頭をよぎったが、
そのときのほのさんの状態についての心配より、
我が子との初対面の
期待が勝っていた。
全く、勝っていた。

しかし…

とうさんとかあさんが通されたのは、
何人もの医師と看護師がずらっと肩をならべて座っている部屋だった。
あの優しい産科のN先生もいらした。
とても厳しい表情で。

かあさんは、そのN先生のお顔をみて、もう、わかった。
ただごとじゃない。
これは、深刻なんだ。

NICUでほのさんの主治医となったO先生が話し始める。
O先生は、女性の先生だが、とても厳しい口調で、
もう、
かあさんの耳には、
あまり、
聞こえてこない。

難しいことをたくさん言われたような気もするが、
かろうじてわかったのは、
「10分間の心配停止、至急挿管して蘇生したが、
今後、命が助かるかどうかは五分五分、
助かったとしてもとても重篤な障害、とても高い確率でが残る…」

かあさんは、もう、
自分が、
みるみる
小さく小さくなっていくように感じた。

かあさんの、大切な大切な
ほのさん。
今朝まで、
かあさんの、お腹を元気に蹴っていたよね?

ほのさん、どうしたの。
なんでなの。

「何か質問はありますか」と言われ、
とうさんが、
「もう、とにかく、ほのかに会わせてください」と
精一杯、声を振り絞って言ってくれた。

2重のドアをくぐって、
マスクをして、手洗いをして、
これが、娘のいるところ?
がんばってがんばって、お腹の中でやっと2580グラムにもなって、
娘がどうして、こんな機械ばかりの部屋にいるの?

私はほのさんのかあさんだというのに、
たくさんの保育器が並ぶNICUの中で、
この子がほのさんだ、私の娘だ、と
言い当てることもできない。

準備が整って、案内されたのは、NICUの奥の方だった。

目の前に、かあさんの、
ほのさんが、いる。
へその緒から管が入れられ、
モニターがつけられ、
口から挿管され、
体が痙攣している。

それが、ほのさんだった。

かあさんは、そのお顔に、見覚えがあった。

お腹の中のほのさんが、小さい小さいといわれ、
安静の入院生活が続き、すごく落ち込んでいた日。
エコー検査をしている時に、先生が、
「今日はこっち見てるから、いい写真が撮れる。
あれー、なんかお母さんに似ているかな?」と、
おそらくかあさんを励まそうとしてそう言ってくれたのだろうが。
その日のエコー写真のほのさんのお顔が、
なんだか、こどもの顔ではなく、
お地蔵さんとか、弥勒菩薩とか、なんかそんな穏やか~な顔してる、
この子なんで、こんなお顔してるんだろうね~、と
とうさんと笑った。
きっと、お腹の中で、かあさん、もう少し一緒にがんばろう、って
励ましてくれているんだね。
そう思って、いつもそのエコー写真を持ち歩いていた。

機械をいっぱいくっつけられて、
おそらくはとても苦しい思いをして、
産まれてすぐ抱きしめてあげることもできなかった、
いま、ようやく、初めましてのほのさんが、
そのときと、同じお顔をしていた。

かあさんは、そのお顔を見たとき
ああ、ほのさんはあの時からもう、
自分が産まれるときに、ちょっと苦しいことになるということを
知っていたのかもしれないなあ、とふと思った。

保育器の小さな窓から手をいれて、
ほのさんの手を、
握った。
あたたかい。
ほのさんの手。

さっき、O先生から受けた、重い重い宣告。

それも、こうしていると嘘のようだ。

もう、何が本当なのか、わからない。

何がどうなったか、わからない。

ただ、今、ほのさんは、
頑張って、
生きている。

それ以上のことを、
とうさんもかあさんも、
考えることができなかった。

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by honohono1017 | 2009-06-24 21:33 | History

所詮、ムリなはなし

1日の平均睡眠時間が2時間の、
偉大な発明家がいた。

「偉大」にも「発明家」にもなれないから、
2時間寝れば、元気いっぱいなカラダがほすぃ…。

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「かあさん、それもまた、ムリなはなしですよ…。ムニャムニャ…。」


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by honohono1017 | 2009-06-23 18:31 | Life


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