ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ:normalization( 57 )

逆境は何よりものチャンスにゃり

昨日の日記で、
「中傷」と書き、みなさんにご心配おかけしました。

かあさんの説明不足ですが、
我が家が個人的に中傷を受けたわけではないのですが、
近頃、世間に出てきた「長期脳死」の子全体を、
「今さら出てきても…」とか、
「長期脳死の子の親は臓器移植を望む親に対して理解がない…」などという
記述をみかけてしまったもので。
もちろん、それは、我が家のことも含まれているというわけです。

何のことでも、どんなときでも、
心無い人が、よくわからないことを言うのは世の常ですが、
このいのちに関する大切な議論をしようというときに、
長期脳死の子を抱える親に対しても、
心臓移植を待つ親に対しても、
侮辱するようなことを言われるのは、
幼い尊いいのちを前にして、
とてもとても許すことができませんでした。

かあさんが、ほのさんを産んでから1年8ヶ月、
在宅生活をはじめてもうすぐ1年。
この子たちをとりまく環境の悪さ、
制度の不足、
色々なことを感じてきました。

認定は、障害の程度がある程度固まるとされる3歳以上が原則とされるところ、
なんとか、生後4ヶ月で取得した「身体障害者手帳 肢体不自由1級」。
ほのさんと似たような状態でも、地域や担当者によっては、
認定されないというような地域差や、
担当者の認識不足が現に存在しています。

認定後、自立支援法に基づく実際のサービス利用を申請をすると、今度は、
「こんな赤ちゃんでは必要ありません」と言われたり、
「原則大人に対するサービスで、子どもには前例がないので…」と言われたり。
その度に、何度も行政に必要性を訴え、訴え、
認定がおりたと思ったら、今度は、
実際に、子どもにサービスを提供してくれる事業所がない…

現行の法律が、結局、ほのさんのように赤ちゃんの頃から、
支援を必要とする子どもを想定していないため、
まずは、行政に必要性を訴え、前例を作る。
そして、その後の子どもたちが同じ苦労をしないように。
そんな地道な努力をしてきました。
そして、これから、もっともっと地域に訴えていこうと考えていました。
その矢先の、「脳死=人の死」。

ほのさんが厳密に脳死かどうかが問題ではない。
ほのさんや、多くの脳障害を抱える人たちにとって、
法律によって「脳死=人の死」と定められることは大きな衝撃です。
実際、脳は、生命維持に関る重要なことを司る器官であることは間違ありませn。
ですが、ほのさんを見ていれば、
脳は、人間の持つたくさんの臓器のうちの一つでしかない、という認識を持ちます。
なぜなら、脳の機能がほぼ失われていても、
ほのさんは、生き生きと毎日楽しくかあさんと過ごしているから。

「脳がダメなら、死んでいる」というなら、
心臓がダメで、他の人の心臓を貰った人は、
一度死んで生き返った幽霊です、と法律で定めるくらいおかしなことだと思います。

医療的依存度の高い子どもたちを在宅で見る親は、
文字通り、お家で子どもたちのいのちを守っているから、
あらゆる医療的ケアをマスターしており、
体調の判断はもちろん、いざというとき、蘇生することも、しなければなりません。
だから、実際、行政サービスの力を借りずとも、
多少の無理をすれば、自分たちで何でもできるし、
自分でやったほうが早くて、質も高い場合もある。

でも、今回の法案改正の時に、「長期脳死」と言われる子どもたちの存在の、
世の中における認知度があまりにも低いことを考えれば、
この子たちをとりまく環境をよくするために、
子どもたちと、親たち自身の生活の質の向上を求めるためには、
そのことを、今後、もっともっと世の中に出て行って、
この子たちの生きる権利を訴えていかなければ、
この法案が参議院で否決となり、廃案になったとしても、
またいつ、この子たちのいのちが軽んじられることになるかわかりません。


日本小児科学会は、21日、脳死となった子どもたちからの
臓器移植を検討するプロジェクトを発足させることを決めたそうです。
内容は…
① 小児の脳死判定の基準作り
② 虐待を受けた子どもの見分け方
③ 子どもの自己決定権をどう守るか
などを議論してできるだけ早く提言をまとめるそうです。

さらに…
人工呼吸器を着けて在宅療養している重症障害児は、
脳死とは異なるが、
脳死と混同されやすく、
こうした子どもたちが適切な医療を受ける権利についても話し合
う、
としています。

「脳死」という言葉が一人歩きをし、
その定義がよくわからなくなっている状態です。
でも、大切なのは、
どの状態が本当の「脳死」なのか、と言うことではないと思います。
脳の機能がダメでも、生きている。
その人間がいる以上、臓器移植を行うために、
「死んでいる」として、
社会的に葬ることは、断じておかしなことです。

小児科学会が、ほのさんのようなこどもたちが、
適切な医療を受けられるように話し合ってくれると言うのなら、
当事者である、ほのさんとかあさんも、
やっぱり、黙ってはいられない。
「適切な医療」はもちろん、
「楽しい在宅生活」を送る権利についても訴えていこうと思います。

むしろ、この臓器移植法のことで、
広く世に出る良いチャンスを貰った!
逆境は、何よりものチャンスですから。

ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-22 18:08 | normalization

いま、本当に議論しなければならないこと

前にも書いたが、
今回の臓器移植法改正でA案が衆議院で可決されたのは、
一つには、
臓器移植を待ち望む患者ご家族が、
これまで長年の間、訴え、行動を続けられてきた成果であると思う。

一方で、かあさんたち「長期脳死」と言われる子は、
法律が変われば、眠りから覚めるような治療が受けられるようなこともないし、
お金がたくさん集まれば、何か有効な治療を受けられる、というわけでもない。

それに、ほのさんと自宅で暮らすということは、
たとえほのさんがどんなに安定した状態だとしても、
24時間注意してみていなければならないし、
良いコンディションが保てるように、
日々のケアの仕方を、毎日毎日考えては直し、考えては直し、
医師とは別な立場で、我が子のいのちと、健康を守っているのである。
だから、その生活は、どうしても世に出ることはないし、
ひっそりと生活しているつもりはなくとも、
どうしたって、「人知れずこういう子達が存在していた」ということになってしまう。

かあさんだって、ほのさんのような子の親になっていなければ、
この子達の生活がテレビに映し出されているのを見て、
何を思ったかわからない。
人間は、どうしたって実際にそういう立場にならなければわからない、ということがある。
だからこそ、こういう子の親になった以上、
この子たちの、いのちについて多くの人に語る責任があると思っている。

それなのに。
「この期に及んで長期脳死のこどもがテレビに映っても…」とか、
「やっぱり、助かる命を助けよう、と判断した人の方が結局多かったから」…だとか
どうしてそのような見当違いな中傷を受けなければならないのだろうか。


我が子が産まれてすぐに人工呼吸器をつけられた姿を目にしたとき、
その機械は延命のために付けられているものとしか思えなかった。
機械によって生かされているようにしか見えなかったし、
だからこそ、その機械をはずして下さい、と
申し出なければならない日がくると信じていた。
だが、ほのさんのいのちと1年8ヶ月歩んできて、
ほのさんはこの機械に生かされているのではなく、
ただ、ほのさんの肺が外に出ているだけで、
その機械の助けを借りているんだと思うようになった。

ほのさんが、機械をくっつけられて、
無理矢理生かされているようにしか思えなかったら、
それが、ほのさんにとって、辛い人生のようにしか見えなかったら、
かあさんは、今のようにほのさんを愛することはできなかったと思う。
生きてるのか死んでるのかわからなかったら、
今のように、可愛いと思えなかったと思う。

「長期脳死」の子でも、髪は伸びるし、歯も生える…とよく報道されている。
逆を言えば…
死んでいる子が、
機械によって生かされている子が、
お腹を壊したり、カゼを引いたりするだろうか。
フツウの人と同じように、
体調の良い日と、悪い日があったりするだろうか。

かあさんは、小さい人間だから、
「子どもがどんな状態であっても、親は可愛いと思えるはず」というのは
きれいごとじゃないかと思ってしまう。
だから、そんな弱いかあさんでも、
我が家が今、どこの家庭にも負けないくらい、幸せな生活を送れているのは、
ほのさんが、フツウの子と同じように、
元気にスクスクと育っており、
声にならない声で、
かあさん、かあさん、と呼びかけてくれているからであり、
これは、強がっているのでもなく、
無理しているのでもない。
それが、一般に「長期脳死」と呼ばれる子たちの、
いのちの、
真実です。

だから、知らない人から見れば、痛々しいかもしれない、
残酷に生かされているようにしか見えないかもしれない。
でも、知っている人から見れば、
ひょっとしたら、誰よりも強い生命力で、
ただ生きることに精一杯なこのいのちの真実。
これを伝えたかった。

今回の臓器移植法改正では、
一律「脳死=人の死」とするあまりにも横暴なくだりがあるので、
物事の表面しか見えない人にとって見れば、
臓器移植を待っている人たちを否定しているようにしか見えなかったのかもしれないし、
両者の立場を対等に扱ってくれようとした良心的な報道が、
結局は双方が対立する立場であるように映してしまったのかもしれない。

臓器移植の問題は、明日、誰もがその当事者になりうる、
いのちの問題だ。
それなのに、このような中傷をする人たちは、
自分には全く関係のない問題であるという立場に立っていながら、
そんな立場に立っていることに気付いてもいないし、
ある高みに立って、
いのちに優劣をつけたり、
こっちの人が頑張ってるとか、
こっちの立場の人は理屈にあってないとか、
そういうことを言うけれど。
かあさんは、そんなに法律のこととか、世界的水準とかわからないけど、
少なくとも、いのちの素晴らしさを知っているし、
我が子の生死に真剣に向き合っている。
それは、誰にも否定できないし、否定する権利もない。
なぜなら、それが真実だから。

そういった、心無いひとたち、
いのちのことを語る資格のない人たちに、
かあさんたち「長期脳死」の子の親たちが、
臓器移植を望む人たちと対立して否定しているように思われてしまっても、
それでも、かあさんたちは、
どうしても「優劣」の「劣」を付けられてしまいがちな、
我が子たちの弱くて強いいのちを守るために、
これからもたくさんのことを、世の中に言っていかなくてはならない。

それに、中傷されるのはやっぱり痛いけど、
ほのさんや、たくさんのお友だちの、毎日生きることへの頑張りに比べたら、
それくらいの傷はなんでもない。
理攻めで非難されても、
いのちって、
理じゃないんだよ。
もっと、
すごいんだよ。

残念ながら、私たちは、
娘たちに、
それに対しては何をもってしても太刀打ちできないほどの
いのちの素晴らしさ、
力強さを、
教えられてしまった以上、
どんなことを言われても、
その真実に気付くことができない、
素直に、いろんな意見に耳を傾けられない人たちが、
哀れだな、としか思えないけれど。

いま、こうやって、臓器移植法のことで、
たくさんの、「知られざる」いのちにスポットが当たって、
生きるとはどういうことか、
生とは、死とは、
という大切な問題を世の中の人が真剣に考えなければならない
大事な時です。

どの立場がどうだとか、
こっちの人がどう言ってるだとか、
そんなくだらない議論にしようとしないで、
世の中の人たちが、
色んな立場の人たちの意見を聞くことで、
共感的理解をし、
人間の生死が、
「臓器移植ありき」の法律の中で、
「脳死=人の死」と決められようとしているこの危険な事態に気付き、
自分のこととして議論が深められていくように、
みんなで努力していこうと思いませんか。

ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-21 15:05 | normalization

臓器移植法 平等について

不平等を感じることは容易いが、
平等であることって、難しい。

昨日の話。
臓器移植法改正法案可決に動揺しながら、
バギー新調のため行った病院で。
同席してくれた主治医のT先生に、
何を思ったか、このやるせない思いをぶつけてしまった。

最初は、この可決について、さらっと先生のご意見を…と思っていたのだが。
T先生の口からなかなか言葉が出てこない。
T先生はいつも、何事につけても、いい加減なことを言わない。
強いことも言わない。
断定もしない。
だから、かあさんの思いをぶつけて、先生の思いを引き出そう作戦が、
なんだか、かあさん、涙まで出ちまって。

結局、T先生も始終、雨に濡れた迷い子犬を見つめるようなまなざしで
かあさんを見つめるという、おかしな話に。

かあさんもハッとして、言うだけ言ったらミョーにスッキリとしたりして。

すると、だいぶしてからT先生が。
「今後、こどもの臓器移植が可能になるなら、
ほのかちゃんのような子に対して、二つの選択肢が生まれる事になる。
一つは、臓器を提供するという方法。
もう一つは、ほのかちゃんのように、幸せに在宅で暮らすという方法。
その2つの選択肢があるとするなら、
医師がその2つについて、患者家族が平等に受け止められるだけの
情報提供をする必要がある」と。

この2つの情報を平等に…
う~ん。かなり難しい。

臓器提供という方法については。
この「臓器提供」という言葉自体が大きすぎて、それ以上の情報ってあるのかな。

幸せに在宅で暮らすことについては。
それに必要なこと。
我が子を受け入れること。
生きる意志を見出すこと。
医療的ケアの特訓。
在宅チームの整備。
家庭環境の調整…etc
それらのことを十分理解して、その時点でわかりやすく説明するだけの
医師の技量、人間的器。
これを説明するのは、一番在宅とは遠いところの、
救急的な医師たちだし。

T先生のご意見は、かなり客観的で、正しいと思う。
ぜひ、そのように平等に扱ってもらわないと困る。

だけど、現実、すごく難しい。

T先生のように、ものすごくまともなことを考えてくれる人、
国会議員にはいないのかなあ。
その具体的方法が見つからなくても、
この大事な視点に気付くだけでも、とっても大きなことなんだけどなあ。


T先生に、またもや噛み付き、
言うだけ言って、スッキリして…
外来から呼ばれてT先生が席をはずされた時に、
ほのさん的タイムリミットが来て、帰ってきてしまった。
T先生、よくわからない間に嵐が去った…みたいな状況になってないかね…。


でも、かあさんとしては(かなり、勝手ですけど)
毎日毎日、おうちでほのさんとどんな気持ちで
いのちと向き合っているか、
心の叫びを先生にお伝えできて、
なんだかとても、嬉しかったです。
T先生、ありがとう。
これからも、ほのさん(と、かあさんも)よろしくね。


ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-19 18:57 | normalization

臓器移植法 その後

問題のA案が衆議院を通過して一夜明け。

ほのさんは、いつにもましてご機嫌で。
かあさんも、疲れ果てたのか、短い時間久しぶりに熟睡し、
いつもよりは、なぜか爽やかな朝。

TVのオンエアーは、
いわゆる「長期脳死」の親の立場として、
可決されたときの(思いがけない)動揺と…
法律上、拒否権はあるものの「脳死=人の死」と決められてしまったことに
違和感があります…というようなものに仕上がっていた。

それも事実。
あまりほのさんのようないのちについて知らない方が見る分には
このいのちが、お家で楽しく必死に生きていることを知ってもらうという意味においては
十分その存在を知らしめた…はずだが。

でもそれじゃあ、これまでと何にも変わりない。

このような情報では、ほとぼりがさめたら必ずや
ほのさんのいのちようないのちは、多くの人の記憶から忘れ去られてしまう。

本当に、これから。
これからなんだよ。

ほのさんのいのちを、これまで以上に輝かせるには
とうさんと、
かあさんの、
頑張りにかかっている。

たくさんの頑張るお友だちと、
応援してくださるたくさんの方々のパワーをいただきながら、
これから色んなことをはじめよう。


国会を傍聴なさっていた、子どもの移植実現を願うご両親の姿を見ました。

かあさんは、とっても胸がいっぱいになりました。

これまで、この日を待ちわびて、たくさんの訴えを世の中にしていらしたご両親。
その成果がでた日。
可決を拍手や握手で笑って喜ぶ議員の姿とは違い、
ご両親のなんとも言えない表情…。
こどもを守りたい!と思う同じ親として、素直に拍手を送りたかった。

ただ、かあさんとしては、
この法案では、このご両親をはじめ、
たくさんの臓器移植を待っていらっしゃる方々の望まれているような
スムーズな臓器提供には進んでいかないと思っています。

これから、参議院での動向も注視しつつ…

かあさんは、引き続き、いのちの尊さを、ほのさんを通じてお伝えしていき、
一人ひとりがよりよい生を生き、よりよい死をむかえられるような
世の中となっていくことを願いつつ、
働きかけていこうと思います。

ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-19 13:14 | normalization

あたし、生きてますけど、何か。

f0199379_0375669.jpg


A案とか、よくわからないけど、
今日も、あたし、
元気に楽しく
生きてますけど、
何か。


ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-19 00:40 | normalization

まさか(?)のA案可決でかあさん、宣誓

A案が、かなりの賛成表を得て通りました。

どの案も通らないのではないかという読みもしていたこともあってか…

かなり動揺…

フジテレビ朝の特ダネのカメラも来ていたので、
可決の一報を聞いたときには、ほのさんを前に、とうさんかあさん、
一瞬、凍りつきました。
この模様は、明日、朝8時頃放映予定です。
(カットされなければ…)

参議院でどうなるかわからないし、
参議院で審議中に衆議院が解散されれば廃案になるというし…
一体、なんなんだろう。

今日は、奇しくも、成長したほのさんに、バギーを新調しに行く日だった。

成長した、ほのさんに…。

でも、この法案の行方がどこであれ、かあさんの腹は決まったよ。

ほのさんのいのち、たくさんのおともだちの大切な大切ないのちを、
最大限、輝かせるために、
最大限のことをすることを、今日、ここに誓います。
証人は、ほのさんと出会ってくださった方たちみなさまです。

そして、今日のこのタイムリーな、悲痛な心の叫びを聞いてくださった、
主治医のT先生と、相談員のEさん、K師長さん、
本当に、ありがとうございました。

そして、そして、取材に来てくださった、フジテレビのFさんとスタッフの方々、
朝日新聞のK記者さん、これからもどうぞよろしくお願いします。


産まれたときの心肺停止…
昨年末の痰詰まり事件…
そして、今日、まさかの法律に…
最愛なるほのさんは、あわや3回も死にかけた…かと思いきや、
かあさんは、むしろまた、ほのさんの強い生きる意志を感じたのです。

これが、「序章」です。


ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-18 22:31 | normalization

臓器移植法改正カウントダウン ほのさんのいのちを知って!

かあさんがもし、フツーに出産し、元気な子を産んでいたら。

ほのさんのように機械をいっぱいくっつけて生きている子どもをみたら、
偉いな~と思うか、ひょっとしたら可哀想だなあ…とか、
楽にしてあげればいいのに…とか、
絶対に思わない、とは言い切れない。

だって、実際にその立場になってみなければわからないから。

だけど。
実際に、ほのさんのような子の親になってみて、
かあさんは、ほのさんのことを「可哀想な子」だと思ったことはない。
これは、強がって言っているのではない。

出産して、あまりに突然のことで、置かれた状況を受け入れるまでに
時間は必要だったが、
「何がどうしたか」わかってからは、
ほのさんの人生が、苦しみに満ちている、とか、
このまま生かしておくことが、親のエゴだとか、
一度だって考えたことは無い。

それは、なぜか。
ほのさんが、自分の人生を、産まれたときから、
喜んで、「生きたい」と言ってくれていたから。
ほのさんには、自分が生まれてきたことを喜んでいる、
明るいオーラがあった。

だからこそ、かあさんは、ほのさんを受け入れることができたし、
ほのさんのその意思を尊重するためにも、
とうさんやかあさんもそう望むからこそ、
お家で一緒に暮らすことを決めた。

ほのさんのその意志をみんなに証明することなどできないが、
ほのさんのお顔にはいつもそう書いてあるし、
かあさんがそのように感じたというだけでは、事実にはならないのだろうか。


先日の報道番組で、
臓器移植を待つ子の親御さんが、臓器移植法改正についておっしゃっていた。
「A案以外ではダメなんです。
A案以外は、子どもの死を決断するのは家族。
家族にそんなことはできません!」
とおっしゃっていた。

次に、心臓外科医師、福蔦教偉氏はこう述べた。
「残念ながら、子どもさんは戻ってこない、と宣言してあげるからこそ
親はやっと納得できる」と。


かあさんは、この報道を見るまでは、
臓器移植で救われるいのちも、ほのさんのいのちも同じく大切だし、
なんとかみんなが守られる形での法律が制定すれば…
と考えていたのだが。

これを見て、感情が溢れてしまった。

本来、人のいのちはその人自身のものであり、誰のものでもない。
子どものいのちだって、親のものであるはずもなく、
ほのさんのいのちも、かあさんのものではない。
だけど、ほのさんのいのちの、
ほのさんの生きる意志は、
親がその責任を負ってあげるカタチでしか実現しない。

「子のいのちの責任を負う」という感覚。
それは、子が幼いときにすべての責任を親が負う、というのとは全く違う。
毎日毎日、一瞬一瞬が、いのちと隣り合わせ。
生きるか死ぬかは、かあさんの手の中にある。

誰がなんと言おうと、とうさんとかあさんは
我が子のいのちに責任を持っています!
ほのさんの生きたい!というその意志が続く限り、
とうさんかあさんは、そのいのちを守っています!

そして、どれだけ続くかわからない、ほのさんのいのち。
必ずや、その日がくることも、きちんとわかって、
だからこそ、今日という一日が精一杯輝けるように。
ほのさんも、とうさんも、かあさんも、
その日を、胸を張って迎えられるように、
家族3人で、日々生活を送っています。

それを!
どうして、医師が私たちに「宣告してあげる」とはどういうことですか?
日々、いのちと向き合っているのは、わたしたちです。
その高みから見下ろした考え方で、いのちの本質が見えますか?

生死を決断するのは本人です。
でも、その責任を負うのは医師でもなければ、法律でもなく、
わたしたち親だと思っています。
親が、その責任を負うべきではないでしょうか?

昨年末、ほのさんがかあさんの目の前で死にかけました。
ほのさんは、真っ青どころか、どす黒い顔をして。
心臓マッサージをしながら、かあさんが思ったこと。
ほのさんが、この瞬間に、
「あたし、もう精一杯生きた」と思ってしまったのなら、
仕方ない。
でも、そうじゃないのなら、かあさんが救うしかない。
いのちに対して、責任を負うとは、
本当に、ここで、かあさんが諦めたら、ほのさんは「死ぬ」。
それぐらい、生きるか死ぬかの勝負をしているのです。

このような親に対して、医師は何を宣告してあげられますか?

こうやって生きている子どものいのちは、
臓器移植によって救われる子どものいのちより、劣りますか?


昨年12月7日、死にかけたほのさん。
その翌日の顔。
この顔が、生を諦めた子の顔に見えるでしょうか。
「も~、かあさん、びっくりしたよ。
でも、助けてくれて、ありがとう!」
かあさんには、そんなほのさんの声が聞こえました。

f0199379_19535093.jpg


ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-17 19:59 | normalization

「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その11

衆院議院運営委員会は16日の理事会で、臓器移植法改正4案を18日の衆院本会議で採決することを正式に決めた。脳死臓器移植の拡大を促進するかどうかが問われるが、4案は年齢制限の解禁から反対まで大きく分かれており、過半数を獲得できる案があるかどうかが焦点になる。

いよいよ、問題の臓器移植法案の採決が明日に迫った。 

今回の法案の内容は、議員個人の生命倫理観にかかわる点を考慮して党議拘束をかけず、
共産党においては、審議が尽くされていないとし、
議員全員が採決を棄権するのだという。

大量の棄権者が発生すると…
①採決が無効になるかも…
②逆に投票総数がぎりぎり定足数ぎりぎりの賛成で可決となれば、「6人に1人の賛成で国会の意思と言えるのか」という批判も招く

などなど、問題山積み…

どうなるんだろうか。

ほのさんや、たくさんのお友だちの大切な大切ないのち。


ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-17 17:52 | normalization

「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その10

先日の通院のとき、主治医のT先生に、
小児科医として、ほのさんの主治医として、
臓器移植法改正についてどう思われるか、伺ってみた。
勇気を出して…。

まず、先生は、
法的に有効な遺言などで意思表示をすることのできない15歳以下に、
臓器移植を行うことが、純粋に不自然だと思うと。

しばし、沈黙。

なので、かあさんがこの間思っていたことをお話してみた。

例えば、A案が通ったとして、
でもかあさんはほのさんの臓器を提供する意思がないから「拒否できる」から、
いいじゃないですか、ってわけにはいきません、と。
法的に、あんたの子、死んでるよ、なんて言われてるのだから。

そして、ほのさんが産まれて2週間後に、
NICUの主治医O先生から説明を受けたときに、
「脳死状態」なのか、「植物状態」なのか、とうさんかあさんは、問いつめなかったと。

すると、それを聞いたT先生は、
「脳死状態」なのか「植物状態」なのか、はっきりさせる必要はありません、と。

かあさん、
「それは、ほのさんが生きているということですか?」

T先生、
「あたりまえです!」

いつも穏やかで優しいT先生が、すごく語気を強めておっしゃった。


かあさんは、それ以上、何も、言えなかった。

胸が、いっぱいだった。

ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-13 17:13 | normalization

「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その9

2ちゃんねるで、「我が子の臓器提供できますか?」
というスレッドが伸びているそうです。

そこで、意外なことが。

「もし、自分のこどもが脳死になったとしたら」という場合の本音は多く語られている一方、
「もし、自分のこどもが移植が必要になったら」という場合の本音はあまりでてこないというのです。

これを聞いて、かあさんも少し考えました。

かあさんの立場はどうしたって「長期脳死」の子をもつ母のたちばであり。
だからこそ、表に出にくい立場の意見を言おうと思っていたのですが…。

この2っちゃんねるの現象をみたある方は、
「たとえ匿名でも、臓器を貰う側、というのは、弱い立場なので、こういう場所で本音を語り合うのはむずかしいのでしょうか。」
と分析されていました。

それを聞いて、二度びっくりです。

「臓器を貰う側は弱い立場」…

ドナー家族、レピシエント家族、今のところその両者にあてはまらない人から見れば、
そのような見方もできるのかと…。

それを知って再度、思うことは…
子どものために臓器を提供してください!と言う親がどうだとか、
脳死の子どもの臓器は提供しません!と言う親がどうだとか、
そういう議論ではないと言うことです。

どちらの親の思うことも真実であると思います。
それをどうこう言わなければいけない、この臓器移植法改正の議論が、
そもそもおかしいわけで。
そこに議論が生まれるということは、「脳死=人の死」にすることにムリがある。

ただ、我が子が病気になったら、脳死になったら…と言うきりくちから、
小児の臓器移植について考えることは一番現実感が湧きやすいのも事実。
でも、それを考えたなら、その議論で終わるのではなく、
では、ひとのいのちとは果たしてどういうものなのか、
ひとが生きるとは、死ぬとはどういうものなのか、
ということまで深めて、
法で人の死を定めることの難しさや危険性をみんなで考えていきたいと思うのです。

臓器移植を希望する親御さんも、
眠り続ける我が子と毎日一生懸命生きる私たち親も、
誰も責められるべき人はいないはず。

助けるも助けないも、提供するもしないも、親のエゴか?
親のエゴ、上等。

それとは別の、こどもたち一人ひとりの、本来の生きる意志を。
儚げでありながら、それはそれは力強い生のチカラを。
みんなで考えられる機会になるように。

ポチッとな↓
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

にほんブログ村 介護ブログ 障がい者福祉・介護へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by honohono1017 | 2009-06-10 23:11 | normalization


以前の記事
カテゴリ
最新のトラックバック
お気に入りブログ
ライフログ
タグ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧