ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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かあさん!と力いっっぱい呼んでくれ

かあさんは、
本当に、無力だ。
それを、実感している。

イチ母親としても、
イチ市民としても。

かあさんは、ほのさんを産んでから、
自宅に連れて帰ることだけを望んだ。

なぜなら、家族一緒に過ごしたかったから。
ほのさんはそれができるだけ「元気」だから。

念願かなって、家族3人、一つ屋根の下暮らせるようになってからは、
色々なサービスの利用を考えた。

なぜなら、少しでも生活の質を向上させたかったから。
この幸せな生活を1日でも長く続けたいから。
そして、在宅を希望する一組でも多くのご家族に、
自宅での幸せな生活を実現させてもらいたいから。

我が家のように支援の必要な家庭は、確実にマイノリティーだ。

大多数の願いは、必ず叶えられなければならないし、叶えられやすい。

だけど、マイノリティーの願いは、
ほのさんのような子どもと家族の願いは、
本当に切実で、毎日の生活にかかわることで、
「いのち」そのもののことだ。

何も贅沢をしたいのではない。
叶えられて「当然」などとも思っていない。

ただ、要求をするだけの努力をし、責任も持ちたいと考えている。
それは当然のことだ。

子どもたちの幸せを願う。
本当に、それだけだ。
そのほかに、何にもない。
あるはずがない。

それでも、伝わらない。
伝わらないばかりか、行く手を阻まれることもある。

すると、かあさんは、
一体自分は何をしようとしているのかわからなくなる。
自分のやっていることが何なのか、わからなくなる。

これまで、障害者(児)の権利を守るため、環境を整備するために
活動されてきた様々な団体の働きは、本当にスゴイと思う。

かあさんには、それほど多くの、大きなことができないし、
ほのさんとの生活の中でできることは、本当に限られている。

でも、そういう小さなチカラでこそ、動かせる何かがあると思っていた。
本当に必要なことは、願えば叶うと思ってきた。
そして、ほのさんはフシギなことに、
悪運が強いのか、いつもギリギリのところで
強力な助っ人が現れたり、要求が叶えられたりしてきた。

そして、何がどう転がるかわからないし、
結果が出るのが、かなり時間がかかってからだということもわかっている。


でも、今は、そういったこれまでのことすら、ただ単に運が良かっただけで、
かあさんが「甘い」というか、
オトナの世界の事情をわからなさ過ぎているというか、
とにかく、なんだか、お腹の中心に、力がはいらない。

そうは言っても、
一晩寝れば、というか、眠れない夜を一晩過ごせば…
だいたい、立ち直るかあさんだ…

明日の今頃はまた、色んなことをあーでもない、こーでもないと思案しているに違いない。
間違いない!(って、なんだかナツカシイ響き…)
だって、だって、どんなときだって、
ほのさんは、
かあさん、かあさん!
と、
力いっぱい、呼んでくれるもん。

そして。
今日は、ほのさん、1歳9ヶ月のお誕生日067.gif

おめでとう、ほのさん。
ありがとう、ほのさん。

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by honohono1017 | 2009-07-17 16:39 | normalization

肩透かし

かあさん、ちょっと、まったりしましょーよ。
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ほのさん、そうね、そうね、そうだよね~。

かあさん、どっと疲れた…。

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by honohono1017 | 2009-07-16 17:24 | normalization

歩むべきは「けものみち」

昨日で、一旦気持ちの区切りがついた。

もちろん、諦めたのでも、見限ったのでもない。

だって、子どもたちには、
未来がある。

子どもたちの明日を、素晴らしいものにするために、
かあさんは、一体なにができるだろうか。

政治家は皆、もはや政治屋。

この人たちに舵取りは任されているとしても、
結局は自分の身は自分で守るしかない。
子どもたちは親が守るしかない。

昨晩と、今朝、
ニュースや情報番組で、
例の法律について見た。

メディアのチカラは大きい。
だが、問題の本質を本当に捉えているだろうか?

おそらく、何日かしてほとぼりが冷めれば、
この問題を取り上げられることはなくなる。

わたしたちは、利用されてはいけない。

本当の問題の在り処を示そう。

この子たちが、元気に生きていくために、
外の世界に存在する「障害」を取り除こう。

この子たちが全身で教えてくれる、
いのちのすばらしさ、
生きること、
あるいは
死んでいくことの尊さを日々感じて、
伝えていこう。

そんな小さくて地道な歩みこそ、
法律なんかに負けない
大切な大切な、
ひとの歩むべき
道となる。

「けものみち」は作られつつある。

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by honohono1017 | 2009-07-14 10:09 | normalization

胸張って、生きていくのだよ。

今日を限りに、このことを書くこともなくなる。
なぜなら、「決まった」のだから。

だから、今晩、
書いておこう。

参議院は本当に「良識の府」だったのだろうか。

あまりに政局に左右されたこの法律。

臓器移植法案は、
「政治」ではなく、
我が家にとっては、
「いのち」であり、
「日々のこと」にかかわるものだった。

ほのさんの状態を宣告された、生後20日目以降、
ほのさんのことを、「脳死状態」であると考えたことはなかった。
とうさんとかあさんにとって、
ほのさんは、なんら健康な子と変わらない、
大切な大切な、可愛い可愛い存在だったから。

今回の改正がなければ、
ほのさんのことを「長期脳死」なのか?
などと考えることだってなかったはずだ。

だって、「脳死」とか「長期脳死」とかいう概念は、
「臓器移植」に際して用いる定義だから。

ほのさんは「人工呼吸器」という医療のチカラを借りて生きている。
「臓器移植」もそれとおんなじ、医療の一つだ。
それを実現さるために、
なぜ、法律で「人の死」まで定義しなければならないのか?

「拒否する権利」と言うけれど、
「拒否する」ということは、
「拒否しない」ことが大前提で、大多数で、フツウのことだと
言われているのとおんなじだ。


今回の法律を心待ちにされていたお母さんが、
さきほどTVでおっしゃった。
「これまでの法律だと、
臓器提供をしてください、と言うことは、
誰かに死んでください、と言わなければならなかった」と。

それを、
脳死=人の死
と決められたことで、
死んでいる人だから、
その罪悪感は無くなった、ということなんだろうか?

本当に、
脳死の人が死んでいるのかどうかを考えたのか。

死んでいる人からは、
本人の承諾なしに
臓器をとってもいいのだろうか。

個人の意見を批判したくは無いけど。
だけど、
ほのさんの顔を見ていたら、
我慢できなかった。

こんなことを言うと、
「あんたの子は法的脳死診断を受けたわけじゃないんだから関係ないよ」
って言われるのもわかっている。

でも、関係なくねーよ。

ほのさんは、何の実感もない、机上の空論を言っている人よりも、
脳死に近い状態にいて
それでも自分のいのちを大切に大切に、
毎日頑張って生きているし、
かあさんは、そのいのちの輝きをを毎日見ている。

それなのに、
「最近の長期脳死と呼ばれる子どもたちは
今回の法案となんら関係ない」などと言われて、
自分たちの存在を知らしめ、
意見を言うことさえ阻まれようとした。

こんな世の中ってあるだろうか。

でも、ほのさんもかあさんも、そんな世の中で生きている。

そんな世の中でも、
ほのさんのいのちはキラキラしている。

ほのさんが生きることを選んだ世の中だから、
「捨てたもんじゃない」はずだから。

明日からまた、
胸張って、楽しく、
大切なおともだちと
みんなで、
生きていくのだよ。。



最後に。
本当に臓器移植を待たれている方々が、
臓器提供を望む方々の納得される方法で、
各方面のきちんとした整備のもとに行われるように、
望むばかりです。

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by honohono1017 | 2009-07-13 18:53 | normalization

A案可決

13時9分
参議院で
臓器移植法改正A案が可決されました。

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by honohono1017 | 2009-07-13 13:35 | normalization

参議院採決まで、カウントダウン

みなさんコンニチワ。
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今日の午後1時、参議院で臓器移植法案が採決される。

昨日は、これまでの委員会での質疑などを
とうさんと1日見ていたが、
もう、なんだかね~という感じ。

A案提出者は、あくまで臓器移植を推進させるという立場で、
誰が何を言っても、
拒否できる権利が残されているから問題ないとか、
長期脳死は存在しないとか…

いくら言っても議論は平行線で。

ただ、あくまで「臓器移植ありき」の話をしているのに、
一般的に脳死を人の死とまでに広げることのおかしさについては
まったく気付いておらず、
法的効力を発しないからいいんだとか…

どっちみち明日以降の早い段階で
衆議院も解散されるわkで、
となると、やはり参議院でもA案を通すだろうし。

かあさんも、恥ずかしながらこれまで真剣に何かの法案について、
どのように国会で話し合われているのかということを
追ってみてきたことが無かった。

だが、今回たまたまこの臓器移植法のことで、
衆議院からずっと見てきたが、
あきらかに議員たちは真剣みを欠いた話し合いをしていたし、
解散や選挙などとの絡みもあって、
法案の内容そのものだけでなく、
政治的な要素、思惑などが優先されたり、左右されたりということが
往々にしてあるということがよ~くわかり。

だとすれば、A案が通って、
臓器提供を待ち望むいのちが一つでも助かるようになるしかないし。

そして、かあさんたちは、
A案などという恐ろしい法案が通った世の中をきちんと見張って、
ほのさんたち、子どもたちの権利が侵されることのないようにし、
より快適に過ごせるような世の中を作ることにチカラを注ぐしかないわけだ。

7月7日の委員会で、
大阪府立大学社会人間学部教授、森岡正博さんのお話。
本当にそうだな~と思ったので、
採決までのカウントダウンの中、
みなさんに、読んででいただければ…

「ここにもマスメディアの皆さんがおられますが、脳死についての正しい情報を是非とも国民に知らせてください。心臓が100日以上動き続け、成長し、身長も伸びる脳死のこどもが、死体である、とする、国民のコンセンサスはありません。

また、長期脳死になるかならないかを見分ける、医学的な基準も発見されていません。

たとえ、親の同意があったとしても、長期脳死の可能性のある脳死のこどもを死体と断じ、
その身体から心臓や臓器を取り出すことは、危険すぎます。
これらの点について、こども脳死臨調で、専門的な調査をおこなって、その結論が出るまでは、
脳死状態のこどもからの臓器摘出を許可してはならない、と私は考えます。

(中略)

ドナーカードを持っていない人というのは、持たないことによって、何かの意思表示をしていると思うのです。

そのうちの多くの人々は、迷っているのです。

この、迷っていることを尊重すべきだと、私は思います。

我々には、脳死が人の死かどうか、臓器を摘出すべきかどうかについて、迷う自由があります。

この迷う自由を人々から奪ってはなりません。

迷う自由を保障するもの、それこそが、本人の意思表示の原則であります。

すなわち、迷っている間はいつまでも待っていてあげる。
もし決心がついたら申し出てください。

これが、本人の意思表示の原則なのです。これが現行法の基本的な精神となっております。

A案、すなわち、拒否する人が拒否の意思表示をすればよい、というA案では、
この、迷う自由、悩む自由というものが守られません。
なぜなら、あれこれ迷っていたら、迷っているうちに脳死になってしまい、
家族がもし承諾してしまえば、臓器をとられてしまうからです。
迷っていたら、臓器をとられてしまいます。
これが、わたくしがA案に反対する、大きな理由の、一つです。

最後に、脳死の議論で忘れ去られがちになるのは、脳死になった、小さなこどもたちです。
彼らは、生まれてきて、事故や、病気で脳死になり、そして、
ひょっとしたら、何もわからぬまま、臓器までとられてしまうのです。
あまりにもふびんではないでしょうか。

ここから、私の個人的な見解、といいましょうか、思想、哲学になるのですが、

こどもたちには、自分の身体の全体性を保ったまま、
外部からの臓器摘出などの侵襲を受けないまま、
まるごと成長し、そしてまるごと死んで行く、
自然の権利というものがあるのではないでしょうか。

そして、その自然の権利がキャンセルされるのは、
本人がその権利を放棄する事を意思表示したときだけではないでしょうか。

私はこのように思います。

そして、現行法の本人の意思表示の原則というものは、
このような考え方が具現化されたものではないかというのが、
私の解釈、考え方であります。

外国では、脳死のこどもからの移植が可能だというふうに、すぐに外国のことを我々は気にします。

しかし、日本は、実は、世界で最も、脳死について、国民的な議論をした国です。

その結果成立したのが、本人の意思表示の原則という、日本ルールなのです。

我々は、この日本ルールにもっと誇りを持とうではありませんか。
もちろん、移植法全体としては、昨日、ぬで島さんが指摘したような改善点は、当然あります。
しかしながら、本人の意思表示の原則というものは、世界に誇れるものだと思います。

わたしからは以上です。」


こどもたちには、自分の身体の全体性を保ったまま、
外部からの臓器摘出などの侵襲を受けないまま、
まるごと成長し、そしてまるごと死んで行く、
自然の権利というものがあるのではないでしょうか。


かあさんからも、以上です。

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by honohono1017 | 2009-07-13 11:13 | normalization

Ans. 「生きてるから」

昨日、ある人からこのような質問を受けた。

「普通、脳死状態になると、2~3日で心臓が止まるのに、
なぜ小児には長期脳死という状態が存在するのですか」

面喰った。


かあさんは、これまでほのさんのことを
「長期脳死」の子だと思ったことはなかったし、
医師からそのようなことを言われたことも無い。
ある番組のキャスターは、
「子どもの場合は、割合頑張れる」という表現をしていた。

「割合、頑張れる」…。


かあさんは、次のように説明しながらも、
自分自身の言っていることに違和感があった。

「なぜ、ほのさんのような状態であっても、何年も生きられるのか、
先生から説明を受けたことはないが、
今回の移植法案の報道などからするに、
そもそも「長期脳死」などは存在せず、ほのさんのような状態は
脳死ではなくて植物状態である、という説や、
あるいは、これまで子どもの脳死判定は行われてきていないから、
厳密に子どもの脳死がどういう状態であるかハッキリしないとか、
あるいは、脳死なんだけれど、子どもの場合の成長や発達には
大人と違う力がある、という説なんかも…」

そう答えてから違和感をずっと引きずっていたが、
そんなんじゃない。

答えは、もっと簡単なことだった。

だって、
生きているから」。

それが、
生きてる
ってことだから。

そんな状態でも
「頑張ってる」とかじゃなくて、

生きてるんだよ。

そんな、シンプルにしてすごく重要な事実を
無理矢理「死んでる」なんてことにして議論するから、
おかしなことになるんだ。

かあさんまで、惑わされるな。

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by honohono1017 | 2009-06-30 13:30 | normalization

臓器移植法案のゆくえ

衆議院でA案が可決され、審議の場を参議院に移した臓器移植法案。
新たな対案も出されて、行方が気になる。

だが、東京都議選も控え…
その後に解散総選挙になるのでは…という読み。

そうなると、7月第3週の間に、
参議院でA]案が可決されない限り、
廃案になるのでは、ということらしい。

対案が可決されると、再度、衆議院に審議が戻されるので、
戻されて、また審議をするとは、解散時期を考えると考えられにくく、
だから、急いで参議院で審議、採決…と急いでいるらしいが。


それを聞くにつけ、思うこと。

小児や、より多くの臓器移植が日本で行われるように、
誰よりも法案成立を望んで、期待を持っていた患者さん、ご家族が、
大きな希望を持たされた上に、
その期待を裏切られた形になってしまうのではないかということ。

安易な法案と、拙速でいい加減な議論。
本当に国は、どうしようとしているのか。
結局は、どのいのちの重みなど考えない、やっつけ仕事なのか?

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by honohono1017 | 2009-06-29 18:49 | normalization

いまの、ほのさんが、好きだ。

かあさんは、ほのさんのことを
「障害児」だと思ったことがない。
一度もない。

まだ、ほのさんが入院している時、
かあさんがカウンセリングを受けていて、
先生に「障害を持ったお子さん」と言われて、
かあさんは、ハッとしたのを覚えている。

生後すぐに、「重症な障害が残る」と宣告されて、
あれほど得体の知れない怖さを抱いた「障害」ということば。
ほのさんの障害の正体がわかるまでは、
知的発達が、ふつうにすすまないのだろうか、
歩けないのだろうか、
麻痺が残って動けないのだろうか…と
「…ない」「…ない」づくしのほのさんを想像した。
それは、健康な状態から引き算、引き算したマイナスのほのさんだったから、
すごく、すごく恐ろしかった。

ところが、生後2週間ほどで宣告されたほのさんの状態は、
引き算どころの話ではなかった。
脳の機能のほとんどを失っている。
脳の萎縮も始まっている。
「萎縮も始まっている」と聞いたときには、
その張り詰めた空気の「キーン」という音が頭の中に鳴り響き
逃げ出したいような、自分自身が消えてなくなりたいような気持ちになた。

赤ちゃんは、これからすべてが大きくなり、発達していくものなのに。
「萎縮が始まっている」というその残酷な響き。
いのちの始まりであったはずが、
始まって間もなく、終わりに向かっている?

かあさんが恐れを抱いていた「障害」というものなど
比べ物にならないほどだった、実際のほのさん。
ところが、その「障害」を極めてしまったほのさんの状態とは別に、
実際のほのさんの様子は、無邪気な赤ちゃんそのものだった。

機械がついて、管もいっぱいついているのに、
ほのさんはいつもなんだかいたずらっ子みたいに
何かをたくらんでいるかのように、
かあさんに微笑みかけていた。
そのうち、「かあさん、ウソだよ。あたしこんなに元気だよ」と言って、
目を開けて立ち上がるのではないかと思うほどだった。

そんなほのさんを見ていると、
かあさんの価値観は根本から変わっていった。
まず、「健康で生まれてくる」ということが当たり前でない。
健康な状態を当たり前と考えるから、
当たり前のように何かできないと、そこから引き算して
「障害」と名づけられる。
だが、ほのさんの状態をほのさんの「健康」と考えるなら、
何を引き算する必要があるだろうか?
ほのさんのこの状態を、ほのさんの「健康」とするなら、
色々なことをするのに、少し手助けが必要なだけ。
少しお手伝いすれば、ほのさんは何だってできる。
そう思うようになっていった。

はじめは、呼吸器をつけて生きているのが、「ほのさんの個性」だと、
わざとらしく言ってみたりしていた。
自分に言い聞かせるかのように。
でも、それはいつしか本当にそうなった。

ほのさんは、おそらくお腹から出るときに、ちょっと苦しいことになることを知っていた。
だけど、頑張って出れば、あとのことはとうさんとかあさんに任せれば
大丈夫だと信じていたのだと思う。
たとえどんな姿になっても、
お腹の外で、とうさんとかあさんに会って、
ただ一緒に「生きる」ことを願って。
「生きる」こと以外には何も望まずに。
だから、いまもこうして、毎日楽しそうに過ごしているのだと思う。
自分が与えられたいのちに感謝して。
なかなかいのちに感謝するなどできずに、
日々の生活に不満を言いがちな世の中で、
生まれながらにそのいのちのすばらしさを知っている
ほのさん。
我が子ながら、あっぱれ。
(ごめんね、親バカで…)

あのとき、かあさんが「何かたくらんでいるような微笑み」と感じたのは、
そのうち目を開けて立ち上がって驚かそうとたくらんでいたのではなく、
あたし、こんなだけど、すごい元気だよ!
と、かあさんに教えてくれていたのだと思う。
だから、かあさんは、目を開けて欲しい、立ち上がって欲しいなんて
思ったこともない。
かあさんは、いまのほのさんが、
好きだ。

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by honohono1017 | 2009-06-27 10:44 | normalization

社会的「死」の怖さ

先週の土曜日の話。
月に一度のT先生の往診の日。

臓器移植法のことについて、うかがってみた。
(普段、いろいろここにも書いているし、公に思いも言っているのに、
なんで、主治医の先生にうかがうのは、緊張するんだろう…)

T先生は、ほのさんのことを「脳死」とは思っていないと。
なぜか。
こういう状態であっても、
2,3日で心臓が止まってしまうようなイメージが湧かない子に、
そもそも脳死判定などをしようということにはならないからだという。

おそらく、ほのさんは、生後3日目に、
いのちの危機は脱しました、と言われてからも、
何度も具合が悪くなったりしたが、
NICUにおいても、実際、そのようなイメージはもたれていなかった。

だが、今回の法案は、そういう「イメージ」の話ではない。
「イメージ」と言っても、臨床的診断、ということなのか…。
それに、みんながみんな、T先生のように、
いのちの未来を考えてくださる良い先生ならいいが、
そうではないし。

…と、色々と言いたいことはあったのだが…。

「ほのちゃんは、脳死とは違う」というT先生の言葉に
どこかしら安堵していた自分にきがついた。

脳死の「死」の字に対して、
脳が死んでるから、死んでます、と言われることに対して、
現にほのさんが目の前で元気にしているにもかかわらず、
そのことから来る、得体の知れない恐れ、
違和感。

それらを、T先生が否定してくれたのだろう。

T先生が、このように言ってくださったのは、
私たち家族を気遣ってくださったのもあり、
実際、その「脳死」の定義が難しく、答えがない、ということもあり。
だから、いいんだよ、ほのちゃんがいてハッピーなんだから、と。

先生のおしゃることはすごくよくわかる。

でも、先生がそう、おっしゃってくれたからこそ、
ますます、
そうじゃない。

臓器移植とは関係ナシにしても、
脳が「死んでいる」と言われること、
脳が「死んでいる」から「死んでいる」と言われること、
そのことが、どれだけおかしなことで、
その言葉ひとつにどれだけ動揺させられるか。

かあさんは、生まれてきた時にも「死にかけ」た我が子を見、
昨年末にも、この楽しい我が家でどす黒くなって「死にかける」
ほのさんを目の当たりにし、
それでも、それよりも、
言葉で、客観的に、
「死」と言われることが怖い。

ほのさんにいつかやってくる「死」は、
すごく自然なことだ。
かあさんにも「死」はやってくる。

だが、言葉によって生きているのに押し付けられる「死」は
全く違う。

人は、人を、
社会的に殺すことなどできない。
してはならない。

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by honohono1017 | 2009-06-24 23:42 | normalization


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