ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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カテゴリ:News/Report( 34 )

「脳死”臓器移植について考える市民と議員の勉強会」報告

先日、2月3日、衆議院第一議員会館にて行われた、
「第3回“脳死”臓器移植について考える市民と議員の勉強会」
の報告です。

当日は、私の講演と、
*報告:田中智彦さん(東京医科歯科大学教養部准教授)
【「長期脳死」への理解 医学教育の現場から】
がありました。

当日は、以下9名の衆議院議員が出席されていました。
阿部知子(衆・社民)、松岡広隆(衆・民主)、山崎摩耶(衆・民主)、
中屋大介(衆・民主)、斎藤進(衆・民主)、北神圭朗(衆・民主)、
大島九州男(参・民主)、川田龍平(参・みんな)、白眞勲(参・民主)

詳しくは、主催者の、
「臓器移植法を問い直す市民団体」のホームページをご覧ください。
⇒ コチラ


45分の私の講演の内容を要約したものを載せたいと思います。

市民ネットワークのホームページに掲載して頂いたものと同じです。
少ない分量で指定されたため、大まかな内容になっています。
当日は、ほのさんとの暮らしや、彼女の成長がわかるようなパワーポイント、
そして、もちろん、ほのさんの声も録音して言って、
参加された方々に聞いていただきました。

以下。

『「長期脳死」と呼ばれた子の母として思うこと 「どんないのち」も等しく輝ける社会を!』
 
 
西村理佐と申します。帆花の母でございます。
今の世の中は、「生きること」、「死ぬこと」「いのち」という大切なことを問わず、
すぐに「臓器をどうするか」という話になっている。薄気味悪い気がします。
ただ「生きること」を望んでいるこどもたちのいのちが否定されるばかりか、
支援の少ない生活の現状を伝えたくてやって参りました。
まず、皆様に帆花の声を聞いていただきたいと思います。
(帆花と私の会話……)

≪帆花の誕生、そして辛い宣告≫
帆花は、分娩直前にへその緒の中の動脈断裂により、新生児重症仮死で生まれました。
そして生後2週間で、「脳波は平たん、脳幹部も含め機能喪失、今後目覚めることはない」
との宣告を受けました。私は帆花が生まれるまで、
まるで眠り姫の様に生きるこどもがいることを知りませんでした。
しかし脳の機能が失われても元気に生きて、おうちで暮らしている子が大勢いるという事実を、
まず知っていただきたいと思います。

生後2週間で受けた宣告は辛いものでした。先生の宣告を受けた時、
「それは脳死ですか」と質問すると、先生は「子どもの場合は脳死とは呼ばないですよ」と言い、
「脳の機能を失っているけれども今後元気に成長していきますよ」と話されました。
その意味は全く理解できず、私たちは脳死に近い状態なんだと理解しました。
脳死に近い我が子がどういう存在なのか、生きているのか、
生きているけれども死に向かっているのか、我が子なのに得体の知れない恐怖を覚えたわけです。

≪一人歩きした「脳死」ということば≫
当時、0歳から臓器提供が可能だったなら、先生に
「ほのかちゃんの臓器を提供すれば助かるいのちがある」と言われていたら、
私たちはそうしますと言ってしまったのではないかと思います。
それは「人助け」のためとか、「体の一部分が生きていてほしい」という理由ではなく、
その時の私の苦悩……我が子をどう受け止めればいいのかわからないという苦悩から
逃げ出して決着をつけたいという気持ちから提供してしまったのではないかと考えます。
しかし、今思えば、この時の苦悩は、「脳死」という言葉が存在しなかったら、
少し違ったのではないかと感じます。
当時の法律では帆花の臓器を差し出すということはなかったし、
とてもいい主治医で「ほのかちゃんには生きる意志を感じる」と言って下さったのです。
しかし私たちの方がどう受け取っていいかわからず、
夫と私は呼吸器をはずして下さいと申し出なくてはいけないのではないかと真剣に悩みました。
「脳死」という言葉が一人歩きして、私たち夫婦を苦しめたことは確かで、
「脳死」という言葉が大切ないのちをどう受け止めるかに
悪い影響を与えているのではないかと感じます。

≪ひとすじのひかり、「生きる意志」≫
私を苦しめたものは、それだけではありません。
私は、赤ちゃんは元気に産まれてくるものだと思っていたし、
障害は自分とは無縁のものだと思っていたのだと思います。
障害を持つ子の親も、幸せに子育てができるとは当時の私には想像がつかず、
いろんな症状が出て鬱と診断されました。
鬱との闘いもとても苦しいものでしたが、その私を救い出してくれたのは、
他ならぬ帆花のいのちでした。
機械などがたくさんついて、元気な赤ちゃんとは見かけは違うものの、
無邪気で明るい雰囲気を感じ、声を出すことも動くこともないが、
「かあさん!」と言っているように感じました。「この子は自分のいのちを悲しんではいない」、これが、彼女の「生きる意志だ」と感じるようになったのです。
帆花のいのちによって私は徐々に母親にしてもらいました。
そうしてだんだん、物言わぬ子なのに、体調や機嫌はどうなのか、
何をしてほしいかが伝わるようになっていきました。
そして生後9カ月のときに、たくさんの苦難を乗り越えてなんとか、自宅に連れて帰りました。

≪超重症児在宅生活の厳しい現状≫
自宅で育てることは簡単なことではありませんでした。
まず障害者手帳が必要、役所に問い合わせると手帳は原則3歳以上と断られる。
何とか交付してもらい、サービスを受けることになったが、
「お母さんがいるのに何でヘルパーがいるのか」と言われ、
やっとヘルパー派遣が決まると今度は引き受けてくれる事業所がない。
私が、過労で倒れたりもする。役所に申し出ても門前払いを食う、
というのが支援の必要なこどもたちが置かれている、現在の日本の状況です。

平成21年度全国訪問看護師事業協会のアンケートによると、
利用したくても利用できないサービスについて調査したところ、
ショートステイ、ホームヘルプ、移動支援、・・などがあがっています。
「人工呼吸器がついているから」、あるいは「医療的ケアが必要だから」という理由から、
希望しても利用できないのが現状です。
これらは自立支援法で受けられるサービスですが、
それでは医療保険における訪問看護についてはどうかというと、
帆花のような重症心身障害児への訪問看護を実施しているステーションはわずかに21%。
また、サービスを利用したいと思っても情報を得るために母親が全てをやらなくてはならず、
介護制度のケアマネージャーのようなコーディネーターも、今すぐに必要だと思います。
経済的負担も大きく、補助にも地域格差があり、
衛生医療材料の支給も病院格差があるのが現状です。
どこに、誰に相談していいか窓口もなく、
子どもたちのこういう状況をぜひ国の責任で早急に調査していただきたいと思います。
しかし、このように厳しい状況の中にあっても、
家族揃って自宅で暮らすことは、この上ない喜びでした。

≪大切なのは「いのち」じゃないの?≫
そんな中で、一昨年の改正臓器移植法の審議があり、取材も受けました。
臓器がどうということではなく「大切なのはいのちだ!」と言いたかったのです。
いのちを助けようという議論なのに、私たち家族のように、
脅かされていると感じる家族がいるというのはおかしなことです。
帆花のように眠ったままでも「生きいきと暮らしているこどもがいるんだ」と言っても、
「法的脳死判定を受けていないから関係ないでしょ」と言われる。
大切ないのちの議論を国民全体でしよう、というときに、大の大人の言うことだろうかと、
ありえないことだと憤りを感じました。
帆花は周産期医療の発達の中で助けられたいのちです。
脳の機能が失われ「回復」の見込みはないが「ありのまま」生きている。
生きているいのちを「どう支援するか」を考えず、
「臓器を提供する方法がある」と言われてしまうのなら、
何のために救うのか、一体、誰のいのちなのか、疑問に思います。

≪だって、あたし、いきてるんだもん。≫
大変な生活であっても、私たち家族は、普通のご家庭と同じように
お出かけもするし旅行もします。ありふれた幸せが、
私たちの大きな喜びになっていることもお伝えしたい。
「歯も生えるし、爪も伸びるし、髪も伸びる」などと報道されましたが、
私たちにしてみればそんなことは「生きているんだから当たり前だ」と思いました。
リーク音や表情の変化などで、何をしてほしいのか意思表示もするようになっています。
「医療」でははかりしれない成長を、帆花は見せてくれているのです。
今は大きくなって、ベビーバスでは小さくビニールプールに湯を張って入浴しています。
ディズニーランドに行ってお泊りもしたし、買い物もするし、
しゃぶしゃぶ屋さんにも行ったりしました。
もちろん食べることはできないが、いろんな体験をさせたい、それが親の願いです。
このような生活で在宅して2年と7カ月になりましたが、急変も2度ほどありました
。緊急の事態には両親が対応しなければなりません。判断を誤ったり、
タイミングが遅かったりすると、死に至ります。
しかし、それを私は「看護」や「介護」とは考えておらず、
私の「子育て」の一部だと思っています。 

≪こどものいのちは「誰のもの」? 法律や医療が「いのちのゆくえ」を決めるの?≫
今となっては恐るるに足らないとわかりますが、帆花が生まれた当時、
私が襲われた得体の知れない恐怖……それは「脳の機能を失ったこどもと
心を通わせて育むことができるだろうか」という不安だったと思います。
不安な時期には、いのちの幕引きを真剣に悩み、いのちは親の手の中にあると考えました。
今となっては、それは私のいのちに対する「驕り」であったと考えています。
急変のときの判断や処置も私たち両親が一番慣れています。
私たちが特別ではなく、他のご家族も同じです。
そういう意味では、帆花のいのちは、私の手に委ねられているのかもしれない。
けれども、帆花はほのかのいのちを生きており、
助けることはできたとしても、たとえ親であっても、
引き延ばしてやることはできないんだと思い知っています。
最近、人工呼吸器をつけた子への医療を過剰医療という風潮がありますが、
それは医療の「驕り」ではないでしょうか。
過剰かどうかは医療者が決めることではない。
回復しないいのちであっても、そのまま生きる権利があるし、
医療は必ずしも「治す」とか「回復させる」ことだけが役割でなく、
帆花のように回復しないいのちを「見守る医療」も同じように重要だと思います。

先日、医学生に講演をした時のことです。
医学部6年生の女子学生が「つい先日NICUに実習に行き、
ほのかちゃんのような赤ちゃんや超未熟児を見た。
その子たちを助けたとしても脳性まひの子を増やすだけではないかと思った。
医者になる前にお話を聞いてよかった」と言ってくれました。
私はかなりショックを受けましたが、学生がそう感じる社会になってきていると思うし、
それが当たり前になっていくのは怖ろしいことだと思います。
帆花にはたくさんのお友達がいます。
呼吸器をつけていたり違う病気であったり、元気な子も・・。
いろんな子どもたちがいます。私が親になって変わったことは、
「親として子どもに誇れる世にしていこう」という責任を感じるようになったことです。
現在は、残念ながら、一生懸命生きるいのちに対して、申し訳のない世の中だと思います。
誰かが脅かされるような世の中は、誰にとってもよい社会ではない。
安心して子供を産めないし、もし障害を持った子が生まれたら、
自信を持って育てられない社会だと思います。

≪ただ、「そこに在る」ということ≫
帆花が死んでいるか生きているかは間違えようがありません。
帆花の手を取って下さった方は一様に、「あったかい」、「柔らかい」と言ってくれます。
それ自体が生きているということであり、誰もがそれを直感的に感じることだと思います。
障害や病気を持って生きるということを考えることは、
ひょっとしたら面倒くさいことかもしれないけれど、目をそらすことはできません。
改正臓器移植法が施行されて、「臓器提供は善意の行い」と声高に言われます。
単純にそう言いきってしまうのなら、「提供しない人は悪意か」ということにもなりかねません。
どんな人のいのちも等しく大切なんだ、
という大切なスタート地点を通っていない議論になっていると感じます。
この問題に関して、「賛成派」、「反対派」、「その他大勢」というように捉えるのではなく、
いのちそのものをどう考え、大切にするのか、
「生きること」「死ぬこと」を大人一人ひとりが真剣に考え、
子どもたちに伝えていかねばなりません。
いろんな「いのち」があり、
「そこに在ること」それ自体が、大切にされる世であってほしいと心から願います。



また後日、当日の感想などを書きたいと思います。


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by honohono1017 | 2011-02-23 21:25 | News/Report

「延命」 医療はいのちを、延ばせるか?

おとといの夜から寒気がし、
ついに風邪をひいちまった、かあさん。

引越しして落ち着いてからにしてください、
とお願いしていたいろんな仕事とか、
楽しいイベントなどが目白押しな、この何週間。

プレッシャーに弱いのか、
キャンセルできない予定があると、
具合悪くなる、昨今……

マスク、パジャマ姿で、
到着を待ちわびていた訪問看護師Iさんは、
「ほのちゃんにあんなことがあった後だもん、
おかあさん、がんばりすぎたんだよ……」
なんて、優しい言葉をかけてくださるが、
いえいえ、こりゃ、かあさんの不注意ですわ。。


さて、12月8日、NHKクローズアップ現代で、
「ある少女の選択
~“延命”生と死のはざまで~」
という番組が放送された。

NHKのホームページによると、
次のように、番組の紹介がされていた。
以下。


腎臓の「人工透析」30万人。口ではなくチューブで胃から栄養をとる
「胃ろう(経管栄養)」40万人。そして、人工呼吸器の使用者3万人。
「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。
しかしその一方、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものに
していないのではないかという疑問や葛藤が、
患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。
田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。
さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。
『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛藤を繰り返した華子さん。
自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。
華子さんの闘病を1年にわたって記録。「延命」とは何か。「生きる」こととは何か。
問いを繰り返しながら亡くなった華子さんと、
その葛藤を見つめた家族・医師たちを通じて、医療の進歩が投げかける問いと向き合いたい。




番組は、
とても、すばらしかった。

すばらしかった、というのは、
あまりにも語彙が足りなさすぎるのだが。

華子さんとご家族のドキュメンタリーを通して、
とても印象的だったことが、
2つあった。

ひとつ。
華子さんが、人工透析を拒否することを決めた時に、

「天国はお疲れさまの
場所でもあるから
おわりだけど、おわりじゃない。
こころがあるから、こわくないんです。」

「いのちは長さじゃないよ、
どう生きるかだよ」

と、言ったこと。

一般的に18歳という年齢は、
自分の意思表示をできる年齢とはいわれるが、
人の生き死になどという、
ほんとうに難しいことについて、
自分の人生と照らし合わせて、
大切な決断をしたこと、
その決断が、
そのような考えからきているということ。



かあさんも、いつも死と隣り合わせの、
ほのさんのいのちと暮らしてこの3年と2ヶ月。
いろんなことを考えた。

なぜ、幼いいのちが、奪われなければならないのか。
なぜ、人工呼吸器や、そのほかの医療に頼って生きなければならない
いのちが存在するのか。

そして、それが、なぜ我が子なのか。

ほのさんの大切なおともだちが、
天国に旅立つたびに思うことがあった。

おともだちは、みんな、
ものすごく、ものすごく、
がんばって、生きた。
力尽きたのではない。
その子の人生を、力いっぱい、全うしたのだ。
がんばった。
おつかれさま。
そして、ありがとう。

そんな風に、思い、
自分自身にも、言い聞かせた。

だが、おともだちや、
あるいは、ほのさんも同じだが、
本人たちも、
そんな風に思って、旅立っていくのだろうか、
という疑問は消すことができなかった。

こどもたちの人生は、
苦しみに満ちてはいなかっただろうか?
幸せを、家族の温かさを、感じてくれていただろうか?
辛いながらも、精一杯生きた自分の人生を、
誇らしく思って、旅立ってくれるのだろうか。

ほのさんと、暮らしていれば、わかる。

ほのさんが、生きたくて、生きているということを。

おうちでの暮らしが楽しくて、
とうさんとかあさんが好きで、
おともだちも大好きで。

だけど、
その最期を考えると、
どうしても、自信がもてなくなってしまう。
何度もなんども、自分に問わなくてはならなくなってしまう。

そんな葛藤のなかで、
この華子さんのことばは、
ある意味、救いであった。

「救い」などと言ってしまっては、
華子さんの人生に、失礼に当たるかもしれない。

だが、「親」という立場にしてみれば、
華子さんの言葉の中に、「救いを求めてしまう」のだろう。



ふたつめ。

人工透析を拒否した華子さんの選択について、
もう一度家族で話合う場面での、
華子さんのおとうさまの、姿。

「生きるって事は大事なことなんだよ。
生きているとね、いいこともあるんだよ。
せっかく生まれたんだから、
少しでも長くいきてほしいんだよ。
はっきりいって、死んだら終わりだよ」

このように、男泣きしながらおっしゃるおとうさまの姿を見て、
もう、
震えてしまった。

心からの、叫び。

華子さんが決めたこと、
どうしてそのように決めたのかということも、
全部、よく、
本当に、よく、わかったうえでの、
おとうさまの、気持ち。

家族が、「生きてほしい」「生きていてほしい」と望むことは、
あたりまえのことだ。

あたりまえの、ことだ。




華子さんの立派な人生。
そんな華子さんにたくさんの愛情を注いだ、ご家族。

その姿を見て、
かあさんは、何を思う?

華子さんは、ご両親に宛てた手紙に、

「最期まで、わたしの大好きな尊敬できる
パパとママでいて。
深呼吸しながら私のそばにいてください。」

と、書いた。



かあさんは、
ほのさんの「大好きな尊敬できる」かあさんで、
ほのさんの最期まで、
いられるだろうか?




番組の紹介の中の、一文。

『「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものに
していないのではないかという疑問や葛藤が、
患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。』

ほのさんにとって、
経管栄養や人工呼吸器は、
「延命治療」ではない。

生きるうえで、必要なものだ。
かあさんにとって、「めがね」のようなもの。

それらを総して、
「延命治療」と呼ぶ、風潮。
医療の、流れ?

かあさんは、そこに疑問を持つ。

その医療を受けなければ「死にいたる」というものを、
全て「延命治療」と呼ぶのだろうか?

それならば、
ほのさんから、人工呼吸器をはずしてしまえば、
すぐに死にいたるのだから、
「延命治療」なのだろう。

あくまで、それを提供する医療側からすれば、の話だが。

それらを一旦、「延命治療」と読んでしまうと、
「機械に頼って生きている」とか、
「そこまでして生きたいのか」とか、
言われてしまっても仕方がないと思うし、
あるいはそれを拒否した場合、
単純に「立派」だと評されたり、
センセーショナルに捉えられたりしないだろうか?

確かに、医療の発達によって、
かつては生きていられなかった人が、
様々な方法で生きられるようになっているのは事実である。

だが、医療の前に、
そこには「いのち」がある。



『「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものに
していないのではないかという疑問や葛藤が、
患者や家族・医師たちの間に広がりつつある』
のだとしたら、

それは、
これまで医療の現場で、
それらの「延命治療」と呼ばれるものを
患者が「受けるのが当然」、
「受けて生きることが患者の幸せ」と、
一方的に考えてきたということはないだろうか。

できる「治療」は、
すべてするのが、患者の「幸せ」と考えてはいないか。

華子さんの在宅医の前田医師は、
自分本人の考えを聞かれたならば、
「生きて欲しい」と答える、
と、おっしゃっていた。

立派な、医師だ。

だが、前田医師が。ここでおっしゃった、
「生きていて欲しい」と願う気持ちと、
医者が患者に、
治療を受けることを、
あたりまえのこととして、進めてしまうこととは、
全く、別だ。


医療の発達は、
「多様な生き方」の「可能性」である。

それらを選ぶのは患者本人であり、
家族である。

治療を受ける生き方、受けない生き方、
機械をつけて生きるのか、
機械をつけないで生きるのか、
どちらの生き方が「良い」とか「悪い」とかではなく、
どちらの生き方を選んでも、
豊かに生きられる、はずなのだと思う。

医療は発達した。

それによって多様な生き方を選択できるようになった。

だが、その選択そのものが、
患者家族に、完全に委ねられていないことも多いだろうし、
医療者が、選択した患者家族を支えるということが、
医療の発達に追いついていないのかもしれない。





腎臓の「人工透析」30万人。
口ではなくチューブで胃から栄養をとる「胃ろう(経管栄養)」40万人。
そして、人工呼吸器の使用者3万人。

これだけたくさんのひとたちが、
日本中で、生きている。

「生かされている」のではない。


ほのさんをみていて、思うこと。

人が豊かに生きていくうえで、
機械がついているかどうかは、
関係ない、ということ。

知らない人が見れば、
「機械をつけられて……」 と思うかもしれないが、
そこには、ほのさんの意志が存在していて、
ほのさんが望んで、
生きているということ。

どんないのちにも、
「意志」があるということ。


かあさんは、
華子さんの素晴らしい生き方と、
それを支えてこられたご家族の姿をみて、
そんなことを、
あらためて、思った。

華子さんは、
きっと天国で、
すばらしい第二の人生を送られているだろう。
ご家族にも、たくさんの幸せが、ありますように。



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by honohono1017 | 2010-12-10 15:55 | News/Report

「救児の人々」を読んで。

さきほど読み終わった本。

救児の人々 医療にどこまで求めますか
熊田梨恵 著 ロハスメディカル

NICU卒業生のこどものお母さん、
NICUや重度心身障害児施設の医師などに
インタビューした内容がまとめられており、
色々な視点から考えることができる。

この本の中で、一貫してある著者の問題意識、
「私たちはどこまで医療に求めるのか、求めることが許されるのか」。

2008年10月に起きた、
墨東病院事件をきっかけに、周産期医療を追い始めた著者。

「この現代社会の病巣ともいえるような、
国民の倫理観や死生観の欠如、
自分たちが社会を構成する一員であるという意識と
想像力の欠如、
それを助長させる社会構造、
それらが新生児医療に凝縮されていた。」とある。

まさに、その新生児医療によって救われたほのさん。
いろいろと問題があることは、
当事者家族として目の当たりにしてきてから、わかる部分も多いが、

「私たちは医療にどこまで求めるのか、求めることが許されるのか」
という問いについては、最後までわからなかった。

わからなかった、というのは、
そのような問題意識を持つに至った著者の思考については理解するのだが、
かあさんの思うこととは、違う、ということ。

墨東病院事件後、国の議論の内容は、
救急患者を受け入れやすいように、
NICUを現在の1.5倍の約3000床にすること、
NICUの後方病床として、GCUや小児科病棟、重心施設などを
整備すること、だった。

これは、著者の指摘するように、問題の根本的解決ではありえない。

しかし、
「何がなんでも助けてほしい、
とてつもなく困難なケースでももれなく救って欲しい、
なんて、私たち求めていないですよね。
実際にそれを実現しようとしたら、
もっと医療者の労働環境が過酷になったり、
税金や保険料もあがりますし……」
というのには、
自分のこどもが、突然いのちを奪われかねない状態になったら、
そんなことは言えないのではないかと、思った。

親の立場にならなければわからない……
とか、著者を個人的に非難するものではない。

ただ、自分や、大切な我が子、家族が、
いつ死ぬかわからない、というリアルな状況は、
想像するにも容易いものではないし、
「死生観の欠如」と指摘されるような世の中で、
国民的合意を得て、
この新生児医療を「どこまでやるか」なんて、
決められっこない。

そして。

「医療にどこまで求めるか」という問いは、
ほんとうに、危険なものだと、
恐ろしく思う。

「どこまで求めるか」というのは、
結局、生まれて間もない小さなあかちゃんに、
そこまでしていいのか……
と言ってしまうので、

自分の子供が実際にそのような状況になった時に、
何を選択して、どうするのかは親に委ねられるとしても、

「そこまですることがいいことなのか」と言ってしまえば、
「そこまで」して生きている「いのち」は一体何なのか、
ということになってしまうと思うし、
一旦、そのような議論が始まってしまったら、
「そこまで」しても生きたい、と思うことが
許されなくなってしまう危険があると、思う。

一度、開発された医療技術は、すでに存在するから、
医療は「不可逆的」で、
まして、救急の場面で、
できることに、手を尽くさない、ということはおかしいと思う。

いや、おかしいと思う、と言ってしまうと、
それを望まない人を否定することになるから、
それも、おかしい……。

ある医師は、
「僕らはいつか赤ちゃんが笑顔でお家に返れるかもしれないと思えるからこそ、
小さな体に針をさしたり、様々なチューブを差し込んだりします。
でも、救命や、無事な退院の可能性が極めて低くなりつつあるときは、
僕ら医療者が、赤ちゃんの苦しい時間を長引かせていないか、
弱った体に暴力をふるっているのではないかと思えてしまう瞬間もありますよ。
(中略)
「やり過ぎ」の医療も「やらな過ぎ」の医療と同様に非倫理的ではないかと。
でも、どこからが「やり過ぎ」かという答えはないですね。」
と語っている。

「やり過ぎ」も「やらな過ぎ」も、
万人に共通のものではありえないし、
強制できるものでもないということか。



もうひとつ、大きな問題。

「医療が発達すると障害や後遺症を持つ人が増える」という説。

以前、かあさんが学生さんたち向けに講演したときも、
現役医学部6年生(来春、医師として勤務予定)の学生さんが、
「新生児科の実習に行ってみて、
たくさんの未熟児ちゃんや重症な赤ちゃんを見て、
この子たちを救っても、結局、脳性麻痺の子を増やすだけだ、
と思ってしまっていた。」
と、心のうちを話してくれたことがあり、
かあさんとしては、
これから医者になろうという若者が、
すでにそのような意識を持っているということに驚愕した。

この本の中で、ある医師は、こう語った。

「世間的にあたかも集中治療を行うことが後遺症を
作り出してしまっているかのように言われる風潮には危惧を感じる。
これは大きな誤解。これは周産期医療に限ったことではなく、
集中治療を始める、という時点、その状態の時に、
その人はもう、後遺症なり障害を持って生きていくという可能性を
持っているということ。そういう人は、いまも昔も変わらずいる。
だから、一定の割合で後遺症を持つ人は世の中に存在している。」

「じゃあ、適度な医療が行われれば、後遺症の発生を
減らせるのかといえば、現実はそんな簡単なものではない。
もし医学の進歩が後遺症の発生を増加させている側面があるのだとすれば、
それは「治療対象」が広がったという面においてか。
でも、これだって、治療対象としての線引きは容易なものではない。」


この議論て、結局、
どうしたら後遺症を無くせるのか、という前向きなものではなくて、
後遺症をおった人たちを、どこかお荷物的なものとして見ているものの、
そうとははっきり言えず、
でも、じゃあその人たちをどう社会として支えていくか、
ということもはっきりと深めてはいかない。

後遺症をおう人を出さないために、
じゃあ、治療をやめるんですか、
究極的には、そういう、はなしだろう。

ほのさんが「後遺症」をおったこどもで、その母となって、
はじめて気付くことだ。



かあさんは、この本を読んで、
ある光景を、思い出した。

ほのさんが重症仮死で生まれて、NICUに運ばれ、
かあさんがひとり(正確にはとうさんと、ふたりで)、
産科病棟で過ごした、産後の入院生活のこと。

元気に生まれた赤ちゃんに、授乳する、
自信に満ち溢れた、母親たち。

一方、急なことでなにがなんだかわからず、
赤ちゃんを取り上げられてしまったような、
授乳することもできない、かあさん。

そこには、くっきりと線引きがされていた。
二度と、消すことのできない、線。

昨日まで、
同じ、「妊婦」同士だったはずなのに。

実際、そのお母さんたちが何を思っていたかはわからないが、
かあさんの手元に赤ちゃんがいないのは、
一目瞭然であり、何かあったことは、すぐにわかる。

元気な赤ちゃんの母親と、
あかちゃんに「何かあった」母親、
という線引きは、
やがて、
健常児の母親と、
障害児の母親、という線引きになるのだろう。

かあさん自身、
ほのさんがお腹の中にいる間、
赤ちゃんの体重が思うように増えないという理由で、
かなりの期間、入院していたはずなのに、
自分の赤ちゃんに異常があるとか、
生まれてくるときに危険な目にあうとか、
まして、いまのような子育てをするようになるなんて、
夢にも思わなかった。

自分自身は、
いまいる方ではなく、
線の「向こう側」にいると、
信じて疑わなかったのだ。

同じ妊婦だからと言って、同じ母親だからと言って、
出産で危険な目にあったり、
障害を持ったこどもの母親になる確立がありますと言われても、
やっぱり、自分がその立場になりうると、
リアルに思うことは難しいと思う。

かつて、かあさん自身も、
「向こう側」の母親だと思っていたように。



そんな、別の種類の母親になったのだと思い知らされた出産から、
不思議なことに、かあさんは、ほのさんのことを
「障害児」だと思ったことがなかった。

人から、「障害を持ったお子さん」といわれ、
ハッとしたのをよく覚えているが、
でもよく考えれば、
自分のこどものことを「障害児です」と思っている母親の方が少なく、
世間的に「障害児」であるといわれ、
「障害児の母」を強いられるから、
ああ、うちの子は障害児なんだと思うのかもしれないな、と思う。

健康なこどもと違って、「障害」があるこどもに対しては、
独自の施策、教育、施設などがひつようであるからこそ、
区別のために「障害児」と呼ぶのであるから、
そのこどもたちを「障害児」と呼ぶからには、
きちんとした、継続した支援が整えられるべきだ。

そうでなければ、ただの、差別。



お産とはおめでたいだけではなく、
とても危険が伴うぬことであり、
障害を持った子供が生まれることもあるということを、
もっと広く認識してもらうということも、
確かに必要かもしれない。

しかし、あのときのかあさんが、
そのようなことを十二分に知った上で、お産に望み、
ほのさんといういのちを授かっていたとしたら、
混乱せずに済んだろうか?

すぐにも、ほのさんの生きる意志を見出すことが出来たろうか?

いくら「可能性」を教えられていたとしても、
まさか自分が、自分の子が……となるだろう。

だとすれば、必要なのは、
やはり、そうして生まれてきたこども、
救われたいのちの「その後」を支える社会システムと理解。

自分もいつかは「歳をとるから」という大前提において、
高齢者を支える仕組みが、社会的合意を得ているのに、
たまたまその「確率」にあたったこどものいのちを、
「そこまでして救うのか」といわれたり、
救われたその後は、勝手にやりなさいといういまの現状では、
あまりにひどすぎるのではないだろうか。

かあさんが、客観的に言うのもおかしいが、
救われたいのちが、救急医療の場面だけでなく、
社会一般にも尊いものとして、
元気なこどものいのちと同じように大切なものとして、
地域で育てていくシステムがきちんとしていれば、
そのような確率にあたった母親たちを苦しませる大きな一因が、
取り除かれるのではないかと思う。

ほのさんが生まれて、少したって、
機械によって生かされているのではない……
と自分自身は気付きながらも、
ほのさんが1日NICUにいることでかかる医療費や、
長期入院のために空かない病床のニュースなどを思うたびに、
自分の人間としての、母親としての思い、信念を、
この子たちにはあまり優しくない世の中で、
貫いていこうという一歩を踏み出すことは、
やはり勇気のいることだった。

いまでも、ほのさんとの豊かで幸せな子育てを、
豊かで幸せたるものにするための気力と体力、
それを世の中に伝える勇気は、
ふと立ち止まると、
いや、立ち止まって考えてしまっては、
いけないような気もするぐらいだ。

自分に無理をしているというのではない。

感じている幸せは、そこにある。

だからこそ、その幸せを伝えたいし、
伝えることで、何かが変わるかもしれないとも思う。



本の中でも、
高齢者の万が一のときの話はしやすいが、
自分の子供がまさかNICUに入るとは思いにくいし、
だからこそ、家族が話し合ったり、理解しあったりする場があれば…
というくだりがある。

そして、そのためにはもっと、一般社会の中に障害者が身近にいて、
障害者と健常者が交流できるしゃかいになっていないといけない、
いまの教育環境ではなかなか障害のある子と接する機会がないから…と。

この間、何度かかあさんが行っている講演の中でも、
多く出る感想が、
「ほのちゃんのような子が楽しく生活していることを、
もっと広く伝えていって欲しい」とか、
「こどもたちは、ほのちゃんのような子と接する機会が無い。
だから、理解しようにも理解できない。
ほのちゃんをかわいそうな子と思ってしまっても無理は無い。」
「どんどん、外に出てきて欲しい」
というものがある。

もっともだと、思う。

でも、あれ?と思う。

障害者は、健常者との生活を望んでもできなくて、
仕方なく、わけられてしまうことも多いわけだ。

別に、こっそり、人知れず生きているわけでもなかろう。

出て行きたくとも、出て行けない事情もある。

でも、出て行かないことには、
何を思って生活しているのか、
どんな生活をしているのか、
それを知ってもらわないことには……
と思うからこそ、出て行く。

でも、そのことが、どれだけ苦労が伴うか、
大変なんだよって、言いたい気持ちもある。

出て行く努力、伝える努力は、
ほのさんと、我が家がするものだ。

世の中が、「それをしろ」という限り、
我が家のような生活は、世間の人にとって「人事」であって、
きっと距離は縮まらない。

そして、そんなちょっとしたズレも、
「ほのかあさん以前」の、
かつての自分は、気付かなかったのだから。




妊婦たらい回し事件以降、
国が「周産期医療」のみを手厚くしようとしていることは、
確かにおかしい。

「周産期以降」、その後の受け皿がないのだから。

大金と多くの手によって救われた「いのち」が、
あるとき、行き場がなくなったら、
それは知らない人から見たら、
お金ばかりかかる、厄介者、となるだろう。

必要なもの。

NICUから、安心して在宅へ移行できるような、
在宅視点、退院指導。

地域での受け入れシステム。
基幹病院と、地域小児科医院、訪問看護、訪問介護、
訪問リハ、歯科、地域保健所、行政窓口……の連携。

それらをコーディネートする、ケアマネ的存在。

安心して預けられ、本人たちの楽しみもある、
入所、通所のレスパイト施設。

親の手の必要の無い、送迎システム。

医療的ケアのてきる介護職の要請。

夜間帯、あるいは長時間利用できる、
滞在型訪問看護、訪問介護。

長期入院や入所などよりも、
在宅での経済的負担が増えないようなシステム。

どこの病院からも、必要な医療衛生材料が、
必要十分な量、供給されるようなシステム。

それらを年齢に関係なく、
必要な人が、どこに住んでいても受けられるような制度。


そして。

一番、大切なこと。

「いのち」が尊いものであるということ。

どこまで医療に求めるのか、ではない。
「いのち」あっての、医療だ。

どんなに小さくても、
どんな状態でも、
親が混乱しても、
世間が何を言っても、
そのこどもの「いのち」は「いのち」に他ならない。

NICUが、たとえ異質な空間であり、
見慣れない人にとって「人間の領域」とは思えないとしても、
そこに誕生した「いのち」は、
光、希望、はじまり。

著者は、産婦人科病院で事務をなさっていたそうだ。

「新生児室の空気は、
生命力と澄んだ空気に満ちていて、
行くだけで元気になった気がしたし、
夜は暗いはずの室内が明るい気すらした。
気がしていただけではなくて、
生まれたばかりの命には、
疲れた私を癒してしまうほどの強くて温かい力に、
本当にあふれていたのだと思う。」
と書かれている。

このことは、
かあさんが、ほのさんを生んで間もなく、
自分自身は鬱になり、治療もはじめ、
真っ暗闇のトンネルの中にいるような気持ちで、
毎日NICUのほのさんのところに通って行き、
ほのさんのベッドサイドに近づいていくにつれ、
まさに、感じていたこと、
そのときは何と呼んだらいいかわからなかった、
不思議な力、
「生命力」と、同じものだと思った。

NICUにいる赤ちゃんたちは、
何も特別ではないと、いまは思う。

元気な赤ちゃんと同じ。
あどけなく可愛らしく、
光り輝き、
人を惹きつける。

赤ちゃんは、どこまで治療を望むか、
意思表示できないから……と言う。

でも、むしろ、
すでに、答えはあるのだと思う。

「赤ちゃんである」ということ。

「はじまり」である、ということ。

両親が親としての責任において、
何を望むかは、それぞれの価値だ。

だが、赤ちゃんが赤ちゃんである以上、
生きることを望んでいるだろうし、
そのことを思って、
将来の笑顔を思って、
治療に取り組むNICUの医師たちがいてくだされば、
「必要のない医療」など、提供されないと思うし、
「必要のない医療」は、ないと思う。

ほのさんは、
NICUを卒業し、在宅2年生。

立派な、卒業生。
恩師への感謝も、忘れない。

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by honohono1017 | 2010-08-31 17:36 | News/Report

「いのちの選択」

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「いのちの選択
いま、考えたい脳死・臓器移植」
生命倫理会議
小松美彦・市野川容孝・田中智彦編
岩波ブックレットNo.782
定価600円+税


小松美彦先生より、贈っていただきました。
ありがとうございます。

2009年7月13日に改定された「臓器移植法」。

重い疾患に苦しんでいる人を救おう、
という視点からのみ捉えられがちなこの法律の、
あまり知られていない、
知らされていない、
本当のことが、とてもわかりやすく書かれています。

臓器移植法は、
一部のひとにしか関係のない、
法律の、話ではありません。

病気の人を救うだけの、
美しい法律でもありません。



昨晩も、「世界まる見え!」をたまたま見ていたら、
「余命1年 8歳の少女の命の奇跡の実話」
と題して、海外で、
生まれつき右心室のない少女が、
心臓移植をして助かる、
という実話を感動的に取り上げていました。

その実話の中で、
少女が、心臓移植を受けてから、
「自分のために死んだ子がいるのね」
というような一言を言った、
という場面がありました。

親はそれを聞いて、「ハッとしました」
というようなことをいていましたが、
番組もそれを深く掘り下げることなく、
心臓移植と、医師たちの賢明な努力で助かった少女……
という美談で終わっていました。

かあさんも、ほのさんといういのちを与えられていなかったら、
ああ、この少女が助かってよかった、
移植の技術とはすごいなあ、
という感想で終わっていたと思います。

少女の言うとおり、
その裏側で、亡くなったいのちが、あるのです。

小児の移植が可能な国でも、
その亡くなったいのちに対しては無関心であることに驚き、
でも、だからこそ、
その臓器のでどころも知ることなく、
「贈り物」として受けることができるのかなあ、と思いました。

「いのちの選択」には、
臓器移植法のもとで、
実際に脳死と判定され臓器を提供された方の
遺族の匿名インタビューも掲載しています。



さまざまな問題を残しながら、
改正臓器移植法は、もうすぐ施行されます。

自分自身の、家族の、
いのちについて、
どのようなことが起ころうとしているのか、
ぜひ、この本を読んで、
いまいちど、考えていただきたいと思います。



参考文献のこちらも、一緒にどうぞ☆
f0199379_16512412.jpg

「ほのさんのいのちを知って
長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活」
エンターブレイン
西村 理佐
1050円


上記の2冊は、ページ右の
「ライフログ」からも購入できま~す。


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by honohono1017 | 2010-06-01 16:55 | News/Report

ほのさんから、ふたっつおしらせ。

みなさん、いろいろごしんぱいおかけしました。
あたしから、ふたつ、おしらせがあります。

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ひとつめ。
とっても、嬉しいニュース。

昨年10月、かあさんが開催したシンポジウム、
「輝け!地域で育むいのち ~重症キッズの楽しい在宅ライフ~」
にご参加してくださった方が、
このたび、ベビー専門の訪問看護ステーションを
開設なさいました。

先日、5月5日のこどもの日に、
開設なさったそうで、
所長の平原さんとは、
シンポジウムへの参加申込みをいただいた時から、
何度かメールでやりとりをさせていただいていました。

小児専門の訪問看護ステーションを作りたい!
と考えていらっしゃるとはお聞きしていましたが、
まさかまさか、こんなに早く実現なさるとは、
昨晩、平原さんからメールを頂いて、
かあさんも、ほのさんも、
とっても嬉しくなってしまいました。

さっそく、ホームページを探してみました。

「NICUを退院したbabyのための子育て支援サービス
ベビーのための訪問看護ステーションベビーノ」の
ホームページは

こちら


東京には、ほかにもベビー専門の
訪問看護ステーションがあるようで、
NICUを持つ大学病院などが多くある土地柄、
利用を希望されるベビーちゃんも、
たくさんいるでしょうから、
本当に嬉しいニュースです。



都内の病院のNICUから退院して、
ほの家の住むS県に帰ってくるベビーちゃんも、
たくさんいるはず。

S県内の病院から退院する場合でも、
地域の支援体制は薄いのに、
他県からの退院となれば、
制度も違うし、
地元の情報が要となるのだけれど、
それらは、役所や保健所などが把握しているわけでもないのが現状です。

ほのさんを見てくださっている訪問看護ステーションをはじめ、
小児の受け入れに対して積極的なステーションは
とても少ないため、
それに対する行政のバックアップもなければ、
依頼が集中⇒手が回らない⇒受けられなくなる
という悪循環に陥るのではないかと、
懸念しております。

我が県は、東京に比べれば、
訪問看護を必要としているベビーの絶対数は少ないだろうから、
ベビー専門のステーションができるというのも、
採算的にも需要的にも、考えにくいです。

かあさんは、
ほのさんがもっとおねえさんになっても、
大人になっても、
おばあちゃんになっても、
いまの訪問看護ステーションにお世話になりたいので、
小児専門のステーションが必ずしもいい、
ということでもないかもしれないけれど、
かといって、高齢者をメインにしている、
現在の多くの訪問看護ステーションが、
どうしたら、もっともっと、小児の受け入れに
積極的になってくれるのでしょうか……。

話がそれました。

ベビーノさん、開業おめでとうございます。
たくさんのベビーちゃんとパパママの力に
なられますことを、お祈りしております!



そして、ふたっつめ。

以前にも書きましたが、
フリーペーパーの「クルール」6月号、
「子どもと向き合う」欄に、

「ママの社会参加」をテーマに
「外に出られなくても、社会の一員」
と題して、ほのさんとほの本と共に、
登場しております!

現在「クルール」は、
9つの地域の保育園・幼稚園・スーパーなどで
手に入るようですが、

ウェブ版「ウェブクルール」でも見ることができますので、
ぜひご覧になってください。

ウェブクルールはこちら

なお、「子どもと向き合う」は、
各県共通の記事ですので、
ウェブ版では、どこの地域のものからも見られま~す。

このブログをもとにした本、
「ほのさんのいのちを知って」(エンターブレイン)
をまだお読みになっていない方は、
クルール誌上のプレゼントにもなってますので
応募してみてくださ~い。


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by honohono1017 | 2010-05-20 16:13 | News/Report

今朝のNHKニュース、見逃した方はコチラ。

おはようございます。

今朝のNHKのニュース、
ご覧になれましたでしょうか。

かくゆー、あたくしかあさんは、
GW遊び疲れによって、朝は爆睡しておりまして、
何時にどのようなニュースが流れたか、不明……

一応、録画はしておいたから、
気長に見ようかね、と思っていたら。

さっすが、K姉さんです。

NHKのホームページに、
動画付きで、あがっているそうな。

その映像は、こちらから

新着ニュースの
「暮らし・文化」の3番目、
「介護家族 平均睡眠は5時間」
というところを、
クリックっす。

みなさま、どうぞ見ておくんなまし。



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by honohono1017 | 2010-05-03 09:48 | News/Report

公共放送のおじさんと、もしもし。

懐かしく、嬉しい方から電話がありました。

昨年、夏から秋にかけて、
大変お世話になった、N〇Kの記者、よねってぃー氏。




重度心身障害児に関するあるニュースに、
この我が家の映像を使用するそうな。

放送は、5月3日のNHK、朝のニュース。


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by honohono1017 | 2010-04-28 16:54 | News/Report

医療連続講座報告  出会い

講座報告 つづき

4月3日に代々木病院にて行われた、
医療連続講座で、かあさんがお話したときの模様が
録画されたDVDと、
参加してくださった方々の感想文が、
昨日、手元に届いた。

かあさんは、予定時刻をゆうに過ぎ、
2時間も話してしまったため、
自分のこころのうちを、
どんなことばで、
どのようにみなさんに伝えたのか、
ハッキリと覚えていなかった。

覚えていないのは、
時間が長かった、という理由だけではない。

用意したことばではなく、
周到に推敲した台本ではなく、
こころからの思いは、
「そのとき」「その場」「そのひとたち」
ということなのだろう。

担当者T氏にも、
だからこそ、
またいつか話す機会があった時に、
新鮮な気持ちで、
生き生きと話すことができるのでは……
と、言われて、ハッとした。



だが、ハッキリと覚えていることがある。

参加してくださった方々の、
かあさんの話を聞いてくださっている時の、
表情、まなざし、
問い。

DVDを見直して、
あらためて、
あの日のことを、
思い出した。



参加してくださったのは、
主に、高校生、医学部やそれ以外の大学生、大学院生、
その他、医療従事者と一般の方々。

かあさんは、今となっては、
若い学生さんたちと会話する機会もほとんどなく、
お話しするまで、
自分の子育てのことや、
母としての感情、
あるいはとても抽象的な「生」「死」に関することなど、
自分のことばが、
若い方々に伝わるだろうか、
という心配をしていた。

当日の打ち合わせでも、
担当者T氏には、
その心配を相談したのだが、
T氏はきっぱり、
「伝わります」と言い切ったうえ、
「伝わらなければ、“わからない”という洗礼を…」
と、言ったのだった。

話しはじめると、
というか、
皆さんの前に立ったときから、
かあさんを見る、みなさんのまなざしを感じ、
自分の心配が無用なものだと、
すぐにわかった。

聞きにきてくださった動機を問うアンケートを見てもわかったが、
その動機は、
将来医療従事者をめざしているから、とか、
臓器移植に興味があるから、とか、
自分の人生にプラスになると思ったから、とか、
色々だったが、
何かを「聞きたい」「学びたい」「感じたい」という
その強い気持ちは、
黙って見つめるその目をみると、
痛いほどに、
食い入るようにかあさんを見つめ、
ああ、何かを真剣に考えて、
追い求めている人というのは、
こういう顔をするのか…と、
すごく感動したのと同時に、
身の引き締まる思いだった。

それで、
ああ、自分はここに来てよかったな、
ここでお話できることはとても感謝すべきことだな、
と、
最初に思ったので、
意外と「平常心」で、
お話しすることができたのだと思う。


そして、話がおわったあとの質疑応答の時間にも、
逆にとても考えさせらてしまうような、
真をついた質問が出て、
グッと、きた。

かあさんのどのことばが、
どのように伝わったのかわからないけど、
お一人おひとりに伝わったことが、
また、かあさの方にかえってきて、
響きあう感じが、した。


そして。

ほのさんのようなお子さんを抱えるご家族にも、
お会いすることができた。

かつて、まだほのさんの生きる意志が見出せず、
ほのさんに生きる意志などが、
存在するなどということにも気付かず、
真っ暗闇のトンネルの中で。
四六時中、
四方八方から、
身を切られるほどの痛い問いに迫られていた、
あの日々……

いま、まさに
そのような辛い日々をお過ごしになっている
ご家族も、いらした。

退院に向けて、
ひとつひとつ、進んでいらっしゃる、
ご家族も、いらした。

どんなに辛くとも、
その辛さは、
自身が乗り越えていかなくてはならない。

そうしていくしか、
前に進む方法は、
ない。

それは、その最中にあって、
恐ろしく過酷なことだ。

でも、
伴走してくれる人がいる。

必ず、
いる。

お会いしたご家族のために、
何かお手伝いできるかと言ったら、
何も、
ないかもしれないけど。

我が家も、
そのようなご家族と出会えた事で、
伴走してくれる、
かけがえのない方に出会えたと思っている。

支え、だ。

その「支え」があるからこそ、
辛くとも、進むことができる。

進むことができるからこそ、
また、
出会うことができる。


今回、
代々木病院に与えていただいた、
この、すばらしい、機会。

「医療連続講座」という名前であったが、
かあさんは、
「講演者」では、なかった。

かあさんも、
参加者の、ひとり。

みなさんから、
かけがえのないものを、
たくさん、いただいた。

そして、それを、
ほのさんに、伝えた。



目を輝かせて、
「人生において、大切なものを教えていただきました」
と、話してくれた、青年。

かあさんも、だよ。

忘れません。

あらためて、
みなさんに、
感謝です。

また、どこかで
お会いできることを、
楽しみに。

報告は、これで、
おわり。


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by honohono1017 | 2010-04-09 18:25 | News/Report

オサレママ雑誌nina’s(ニナーズ)ですよ。

ううっ、おはよーございます。
まだ、ねむいっzzzz。。
な、なんですか、あさから、かあさん。
f0199379_1014149.jpg


みなさんに、おしらせが、
あるんでしょ。

f0199379_1031711.jpg

母になってもcute&cool というキャッチフレーズの雑誌
「nina's(ニナーズ)」の5月号を、ぜひ見てくださいな。


f0199379_1035967.jpg


ぶたちんの指差す方を、ご覧くださいな。
通称ほの本、
「ほのさんのいのちを知って」の紹介が!!


このnina's(ニナーズ)という雑誌。

詳しくは、コチラ

今まで、かあさんは読んだことがなかったのだけど。

(かあさんが時々読む雑誌は、
ファッション誌だったら、専らBAILAとか、
それ以外だったら、散歩の達人とか……)

それは、それは、
オサレママ必見の情報が、満載。

育児に関するマジメな記事や、
親子で着れるお洋服とか、
読み応えがある、ある。

オサレな紙面だけど、
生活感のない、
「あーた、ホントに育児してんの?」みたいな雰囲気などなく、
あーこんなステキなママになれたらいいな~、
そして、ちと頑張れば、親子でこんな暮らしができるな~、
という手にとどきそうな感じが、いいのです。

ほの本の紹介覧は、
本や映画、アートなどの紹介ページ、
「ママカル」というとこです。

これを見たママたちが、
ほの本に出会ってくれることを、
心から、願います。



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by honohono1017 | 2010-04-09 10:19 | News/Report

講座報告 おはなしの構想

講座報告 つづき
やっと、中身。


代々木病院から、春の連続医療講座の依頼を受けたのが、
今年1月中旬のこと。

医学部や看護学部の新入生を対象とし、
臓器移植のことだけではなく、
ひろく「いのち」について、話して欲しいとの事。

それは、ほのさんにとっても、かあさんにとっても、
とてもありがたい、貴重な機会であると、
すぐにお引き受けしたが、
医療従事者を目指す若者たちに、
何をどう伝えたらいいのか……
考える日々が続いた。

「いのちは大切なもの」ということは、誰もが認めることだろうが、
では、どうして「いのちは大切なのか」とか、
いのちが大切だと思うことを具体的に伝えるというのは、
考えれば考えるほど、とても難しいことのように思えた。

ほのさんと過ごす日々の中では、
文字通り、いのちと向き合う一瞬、一瞬の積み重ねであるから、
かけがえのないいのち、ということについては、
かあさんの中では、「確かなもの」であるが、
それは、手にとってみなさんにお見せすることもできないし、
言葉で説明しようとすると、
ひどく抽象的になってしまう……。

そんなことを考えていたら、
当日まで、1ヶ月を切ろうとしていた。



ただ、今回、いのちについて話すには、
メインは、
「死」
についてになるだろうということは、
自分でも、
なんとなく、
わかっていた。



年末に経験した、
ほのさんのおともだちの、
あまりにも突然の、旅立ち。

3月9日、サンキューの日に迎えた、
ほのさんの大切なおともだち、
かあさんの「恩人」の、息子さんの、
命日。

それは、ただ、
おともだちの「死」では、
なかった。

いまは、元気に、
かあさんの目の前で、可愛らしく、穏やかに、
触れれば、あたたかい、ほのさんの、
いずれ、必ず来る、
「死」。

あるいは、
いま、
もう、すでに、
訪れている、
ほのさんの、
「死」。

そんなことを、
頭の血管がボーチョーして偏頭痛が起きるほど、
考えていた。

考えて、いた。

そんなとき、偶然、出会った、一冊の本。

ほのさんの好きな絵本作家、
荒井良二さんが挿絵を書いている、
「レターズフロムへブン」
(レイチェル・アンダーソン著・江國香織訳)

ある日、ほのさんと訪問看護師Aさんに留守番を頼み、
デジイチを携え、愛車(チャリ)で、
近所のミュージアムショップに立ち寄ったとき、
ぱっと、荒井さんの鮮やかな絵が目に飛び込んできて、
内容も見ずに、購入したのだが。

内容は、
生まれてはじめて「死」に出会う、少女のお話。

春、大好きなおばあちゃんが亡くなって、
おばあちゃんが「死んじゃった」と、
アタマではわかるのだが、
こころでうけとめることができない、少女。

死んじゃったはずのおばあちゃんから、
生前書いた孫宛の遺書と、
孫に残した形見のことに関する弁護士からの2通の手紙が
少女のところに届く。

「死んじゃった」けど、おばあちゃんは、お手紙をくれた!と、
少女は、おばあちゃんに、手紙を書き続ける……
という、ストーリー。

最初、読んだときは、
ああ、こうやって人は、「死」というものを
受け入れられるように、なっていくんだな、
と思ったのだが。

しかし、何度も、何度も、
読み返してみると、
それは、ただ、「幼い少女」の、話ではなかった。


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それは、
かあさんの、
話でも、あった。

そして、
春、夏、秋、冬、と
4つのステキな荒井さんの挿絵が語るように、
本来、人の「死」は、
季節が移ろっていくように、
徐々に、人の心のなかで、
受け止められていくものであり、
そして、ひょっとしたら、
「死」を迎えた本人でさえ、
愛する人たちとの別れ、自分の旅立ちを、
徐々に受け止めていくのかもしれない……
と、思ったのだ。



自分で選んで、主体的に生きていると思っている人生、
時に、望まないことに出くわすこともあり、
それが、絶望的な苦しみであればあるほど、
不運を嘆いたり、自分の意志とは無関係であると思いたくなる。

でも、それが、自分の人生ならば、
必ず、繋がっていて、
フシギな力としか言いようのないものが、働いて、
流されたり、翻弄されたりしながらも、
きっと、全部を、
「自分の人生だ」と言えるのは、
人との出会いがあって、
いのちが、響きあうから。


そんな、思いを、
伝えよう、
そう思って、望んだ。



医療従事者を目指す方々だったから、
もう少し、制度の話や、
ほのさんのようなこどもをとりまく環境についても
準備していたのだが、
結局、時間がなくなってしまった……。



途中、ほのさんの在宅生活の様子は、
どうしても見てもらいたい!と、ほのさんの希望もあり、
部屋の様子や、
ほのさんを支える大切な機械たちの写真、
そして、ほのさんのお出かけ風景のDVDも見ていただいた。

ほのさんの「声」や、表情、
とうさんかあさんとのやりとりを見てもらえば、
ほのさんの生きている様子が目に飛び込んで、
かあさんが説明するまでもないことだ。




そうやって、(かあさんにとっては)またたくまに2時間が過ぎた。

かあさんにとって、
「確かなもの」、
きっと、人生にとって、
「確かなもの」が、
みなさんに、どう、
響いたのだろうか……。

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得たものは、希望。
見つめるのは、未来。


講座報告は、まだまだ続くよ。


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by honohono1017 | 2010-04-06 11:28 | News/Report


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