ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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使用前、使用後?

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使用前、使用後、では、ありませぬ……。

ちょうど、1年前くらいのほのさんと、
今日の、ほのさんです。

あたたかくなってきたので、
引っ張り出してきて、着せたお気に入りカーディガン。

ピン留めも、おんなじのを、してみた。

こうしてみると、
ホント、お姉さんになったのね。

1年前は、明らかに、首がないし、
アゴ、もないし、
なで肩だし、
凹凸のないお顔をしていた、ほのさん。

あどけなくて、かわいかった~。

今は、お顔もシャープになって、
ほんわかさんではあるけれど、
ちょっと、凛々しくなったかな。 



どんどん、変わっていくほのさん。

毎日、成長ぶりを、見逃さないように、
しなくちゃ、ね。



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by honohono1017 | 2010-02-25 14:48 | History

いのちの誕生を思い出そう… その3

ほのさん生後3日目。

いのちの危機は脱しました、と言われた。

いのちが助かる確率は五分五分、
そのように言われたのに、ほのさんは、助かるほうにはいった。
半分の確立で死んでしまっていtかもしれなかったほのさんが、
頑張って生きる方を選んだのだから、
そんなエライ子なんだから、
障害など残るはずがない。
そんなはずがない。

一旦、いのちが助かったとなると、
いまの今まで、いのちだけは…と願っていたはずなのに、
「障害」という重い二文字がのしかかってきた。

かなり高い確率で、かなり重度の障害が残る…

かあさんには「重度の障害」がどのようなものなのか、想像がつかない。

まして、目も見えない、耳も聞こえない、動けない、
眠り姫になろうだなんて…。


あかちゃんができて、男の子がいい?女の子がいい?
「元気なら、健康でありさえずれば、どっちでもいい」
多くの人はそう言う。

いまのほのさんには「健康でありさえすれば…」ということが望めない。
「健康に」生まれてくるということは、当たり前ではなったのだ。

さっきまでは、「いのちさえ、助かれば…」と思っていたはずなのに。

障害が残った娘は、果たして幸せになれるだろうか。
障害が残った娘を、かあさんは愛せるだろうか。
いや、我が子に障害など残るはずがない。
我が子が、そんな目に合うはずがない。

そんな考えばかりが、頭の中をぐるぐる渦巻いていた。

日に日に凹んでいく、自分のお腹が、悲しい。
もう、ほのさんは、かあさんのお腹の中にはいない。
ついこの間まで、かあさんのお腹の中で、元気すぎるほどに動き回っていた
ほのさんは、一体どこにいってしまったの?
どうしてかあさんのお腹を出たとたん、動かなくなってしまったの。
ほのさんがお腹の中で動き回るあの感覚が、
かあさんの中にははっきりと残っている。
あの、なんともいえない幸せな感覚が。

出産の後の痛みで、まだ起き上がれない。
その痛みは、誇らしいものであるはずだったのに。
いまは、虚しい。
病室の固いベッドに横になったまま、
白い天井をみつめ、
「ほのかー!ほのか-!ほのか-!」
と、大声で呼んだ。
ほのか、かあさんの声、聞こえる?
ほのか、かあさんが、わかる?

こんなに辛いことになるなら、
せめて、四六時中、ほのさんの傍にいたいのに。
NICUの面会は1日1時間と決められて、
かあさんは、ほのさんの傍にいてあげることすら許されない。



「ほのか」という名前は、
お腹の中で体重がなかなか増えずに、
まだ、入院して安静にしている時に、
とうさんと相談して決めた。

生まれたときに名前がないとかわいそうだし、
お腹に話しかけるときに、はやく名前で呼んであげたくて。
そうすれば、「ああ、わたしはほのかって言うんだな」
「ほのかって名前をつけてくれて、わたしがお腹からでてくるの、
楽しみに待っていてくれるんだな」って思ってくれるかなって。

入院中、かあさんはいつもお腹のほのさんに
「ほのちゃん、ほのちゃん」と話しかけていた。
お腹のなかのほのさんは、まだ本当に赤ちゃんであり、
「ちゃん」と呼ぶのにふさわしく思っていて、
実はかあさんは、生まれるまで一度も「ほのか」と呼んであげたことはなかった。
そうと決めていたわけではないが、
「ほのか」と呼ぶのは、
かあさんの中から出てきてからだろうな、と思っていた。
頑張って出てきてくれた、ご褒美に…

それなのに、初めて「ほのか」と呼びかけてあげるのが、
こんな、悲痛な叫びになるなんて。
まして、ほのかに届いているのかすらわからない…

初めて我が子に対面するという、
おそらく人生で一番ステキな場面となるはずの時が、
かあさんが立たされているのは、
真っ暗闇の、先の見えないトンネルの中だった。

果たして、ほのさんは、その中にいるのか。
その先にいるのか。
どこにいるのか。

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by honohono1017 | 2009-06-27 00:54 | History

いのちの誕生を思い出そう…その2

ほのさんをおそらく産んだのが
2007年10月17日16時28分。

その約4時間後。
産科病棟の個室で休んでいたとうさんとかあさんは、
やっと、ほのさんに会えると言われた。

とうさんとかあさんは、ほのさんが「生きている」ということだけを
分娩室で産科のN先生から聞いていたから、
これほどまでに深刻な事態を予想できるはずもなく、
「会えます」と言われると、
「大丈夫なんだ、きっと」と思ってしまう。
だって、会えるんだもの。
生きてるんだもの。

車いすに乗って、NICUに案内された。

少し、時間はかかるけど、元気にお家に帰れる。
我が子はどんな顔をしているかな。
ちゃんと私がかあさんですって言えるかな…。

色々な考えが頭をよぎったが、
そのときのほのさんの状態についての心配より、
我が子との初対面の
期待が勝っていた。
全く、勝っていた。

しかし…

とうさんとかあさんが通されたのは、
何人もの医師と看護師がずらっと肩をならべて座っている部屋だった。
あの優しい産科のN先生もいらした。
とても厳しい表情で。

かあさんは、そのN先生のお顔をみて、もう、わかった。
ただごとじゃない。
これは、深刻なんだ。

NICUでほのさんの主治医となったO先生が話し始める。
O先生は、女性の先生だが、とても厳しい口調で、
もう、
かあさんの耳には、
あまり、
聞こえてこない。

難しいことをたくさん言われたような気もするが、
かろうじてわかったのは、
「10分間の心配停止、至急挿管して蘇生したが、
今後、命が助かるかどうかは五分五分、
助かったとしてもとても重篤な障害、とても高い確率でが残る…」

かあさんは、もう、
自分が、
みるみる
小さく小さくなっていくように感じた。

かあさんの、大切な大切な
ほのさん。
今朝まで、
かあさんの、お腹を元気に蹴っていたよね?

ほのさん、どうしたの。
なんでなの。

「何か質問はありますか」と言われ、
とうさんが、
「もう、とにかく、ほのかに会わせてください」と
精一杯、声を振り絞って言ってくれた。

2重のドアをくぐって、
マスクをして、手洗いをして、
これが、娘のいるところ?
がんばってがんばって、お腹の中でやっと2580グラムにもなって、
娘がどうして、こんな機械ばかりの部屋にいるの?

私はほのさんのかあさんだというのに、
たくさんの保育器が並ぶNICUの中で、
この子がほのさんだ、私の娘だ、と
言い当てることもできない。

準備が整って、案内されたのは、NICUの奥の方だった。

目の前に、かあさんの、
ほのさんが、いる。
へその緒から管が入れられ、
モニターがつけられ、
口から挿管され、
体が痙攣している。

それが、ほのさんだった。

かあさんは、そのお顔に、見覚えがあった。

お腹の中のほのさんが、小さい小さいといわれ、
安静の入院生活が続き、すごく落ち込んでいた日。
エコー検査をしている時に、先生が、
「今日はこっち見てるから、いい写真が撮れる。
あれー、なんかお母さんに似ているかな?」と、
おそらくかあさんを励まそうとしてそう言ってくれたのだろうが。
その日のエコー写真のほのさんのお顔が、
なんだか、こどもの顔ではなく、
お地蔵さんとか、弥勒菩薩とか、なんかそんな穏やか~な顔してる、
この子なんで、こんなお顔してるんだろうね~、と
とうさんと笑った。
きっと、お腹の中で、かあさん、もう少し一緒にがんばろう、って
励ましてくれているんだね。
そう思って、いつもそのエコー写真を持ち歩いていた。

機械をいっぱいくっつけられて、
おそらくはとても苦しい思いをして、
産まれてすぐ抱きしめてあげることもできなかった、
いま、ようやく、初めましてのほのさんが、
そのときと、同じお顔をしていた。

かあさんは、そのお顔を見たとき
ああ、ほのさんはあの時からもう、
自分が産まれるときに、ちょっと苦しいことになるということを
知っていたのかもしれないなあ、とふと思った。

保育器の小さな窓から手をいれて、
ほのさんの手を、
握った。
あたたかい。
ほのさんの手。

さっき、O先生から受けた、重い重い宣告。

それも、こうしていると嘘のようだ。

もう、何が本当なのか、わからない。

何がどうなったか、わからない。

ただ、今、ほのさんは、
頑張って、
生きている。

それ以上のことを、
とうさんもかあさんも、
考えることができなかった。

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by honohono1017 | 2009-06-24 21:33 | History

いのちの誕生を思い出そう…

かあさんが、ほのさんを十月十日お腹の中で育てている間、
結構いろんなことがあった。

はじまりは、ものすごくひどいツワリ。
食べられないばかりか、水分も飲めず、
毎日、吐きたいのを堪え、チャリ(!)で点滴に通った。

そろそろ3ヶ月続いたツワリも終息かと思われた頃、
持病のアトピーが悪化し、
なぜか膝から下の皮膚から浸出液がダーッと出て、
ゾウの足のようにむくみ、薬を塗ってタオルぐるぐる巻きにした。
皮膚科の先生からは、水分の取りすぎ…などと言われ、
おーい、だって、ツワリで脱水だったんじゃねーのかよー…。
だから点滴毎日してたんじゃねーのかよー…。

タオルグルグル巻き生活からも開放され、
ツワリからも開放され、
3キロ減だった体重が、2週間後の妊婦検診のときに一気に2キロ増で、
即入院(体重管理に超キビシイ個人産院だったのだ…)。
だったら、あのつわりのとき入院させろって話もあるが…。
おとなしく入院生活を送るも、別に悪いところがあるわけでもないから、
すぐ体重ももとに戻り、そろそろ本気で帰りたい、入院生活2週間目。
エコーで詳しくほのさんをみると、「足が短く」て、1週前の大きさだ、と言われる。
何か発達異常が認められるわけじゃないが、
このままその個人産院での出産を希望するなら、きちんとほのさんの体重を
大きくしないと難しい…と言われて、さらに1ヶ月の安静入院生活。

かあさんは、自分が幼い頃から病気がちで、入院生活を何度も経験していた。
だから、大きな病院で、この人生初のお産をするのはイヤだったのだ。
32週まで入院生活を送り、小さいながらもきちんと成長はしているので、
問題ないとは思うが、1度大きな病院で診てもらったら、と先生が勧めてくれ、
ほのさんが、現在もお世話になっている、NICUのある病院に受診に行った。

「小さい」というのは、病名にすると「子宮内胎児発達遅延」と言うらしい。
その疑いで、受診したのだが、そこは大病院。
ほのさんは「小さい」うちには入らず、他にもっとハイリスク妊婦がたくさんいるのだ。

だが、この時出会った産科のN先生(偶然にも我が家と同じ姓!)が、
とても良い先生で、このまま個人産院を退院して、こっちに転院してもいいし、
入院して安静にするほど小さくはないけど、希望するなら入院してもいいよ、と
おっしゃってくれた。

個人産院で産むにも産めないほど小さくはない。
でも、大事を考えれば転院したほうがよい。
その結果を、入院中の個人産院に持ち帰ると、
心配性の先生は、転院するにはギリギリの32週だから、
今すぐ転院して、向こうで入院させてもらいなさい!と。

もしもを考えれば転院は免れない。
かあさんが一人思い描いていた、個人産院での出産の夢は崩れる。
でも、転院すれば、もしかして1ヶ月半ぶりにお家に帰れる!
という淡い期待を抱いていたから、すごーく悩んだけど、
あとで後悔したくないから、診察の翌日、
家に帰ることなく、大荷物を抱えて、個人産院からそのまままた入院生活が始まった。

38週に入って、ようやく2500gの大台に乗り、
早く生まれたとしても、もう問題ないだろうということで、
やっとお家に戻り、予定日までの約1ヶ月間をお家で過ごした。
N先生も、本当によく頑張った!と、喜んでくれた。
この3ヵ月半の入院生活で、とうさんが、かあさんとほのさんに
面会に来なかったのは、たった4日ぐらいだったと思う。

もう、何も、心配ない。
あとは、出てきてくれるのを、待つばかり。

本当に、穏やかな気持ちになれた、妊婦生活最後の1ヶ月。
9月の終わりといっても、まだ残暑が厳しく、
夕暮れ時になってから、何とはなしに、
ただ、お腹のほのさんをトントンしながら、話しかけながら、
「ほらほのちゃん、夕焼けが出てるね」
「ほのちゃん、今日はひこうき雲が出ているよ」
と言って、近所を歩いた。

お腹をたたいてトントンすると、ほのさんは必ず
「かあさん、なあに」と、けり返してくれた。
とうさんに、ほらほら、と言って、
とうさんがトントンしても、返事がなかったりして。
とうさんは少し淋しそうだったこともあった。

そして、ついに、予定日をすぎること3日、陣痛が来た。
朝9時に病院に行き、陣痛室に入るも、
子宮口は2センチしか開いておらず、陣痛も弱い。
初産だし、おそらく産まれまでに、日をまたぐかも…と言われた。
早く生まれるように、産科の長い廊下を歩きなさい、などと言われた。
余裕で昼食もとり、食休み…実は陣痛ってこんなもん?と思ったら、
急に陣痛が強くなり、吐きたくなったり、気が遠くなったり…
これまでずーっと「小さいけど元気!」と言われ続けたように、
このときもほのさんは、かあさんのお腹の中で暴れまくっていた。

午後4時過ぎに、付き添っていたとうさんとばあさんが、一旦陣痛室の外に出された。
診察すると、もう産まれる、ということで、
ふらふらと分娩室へ。

大好きなN先生と、女性のM先生がいらした。
分娩台に上って、N先生が診ると、先生の優しいお顔が急に険しくなり、
「血清羊水!すぐNICUに連絡」と言うや否や、急に周りが騒がしくなり、
立会いを希望していたのに、とうさんが呼ばれるはずもない。

なんだかよくわからないうちに、M先生がかあさんの上に馬乗りになって、
お腹をボンっと押した。
おそらく、
これが、
ほのさんの誕生。

かあさんはその顔を見ることもできず、
もちろん産声をあげることもなかったから、
かあさんは、本当に、ほのさんを産んだかどうだか、わからなかった。

スタッフのみなさんは口をそろえて
「いま、新生児科の先生が精一杯がんばっていますからね」と。
だから、何を、頑張っているのですか。
何が起きたんですか。
と、聞きたいのだが、かあさんにもそんな力がない。


とうさんとばあさんにしてみれば、一旦外でお待ちください、と言われたっきり、
誰も何も言いに来ない。
ただ、かあさんの他に妊婦のいない分娩室に、
ただ事ではない勢いで、医師やらナースやらが出たり入ったり。
ほのさんはおろか、かあさんだって生きているのかわからない。

その時に、たくさんの先生に囲まれて出てきたあかちゃん。
とうさんが、「ほのか!」と思わず駆け寄ると、
「危険な状態ですから、離れてください!」と振り払われる。
ただ、ほんの一瞬見えたその顔は、
とうさん曰く、
苦しそうではなく、
死んでしまいそうでもなく、
とてもとても
可愛かった…と。

これが、
ほのさんの誕生の、
ものがたり。

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by honohono1017 | 2009-06-20 19:12 | History

ほのさん退院までの軌跡

先日のお友達ママ、我が家訪問のお話。
お名前はひぃちゃんママ。
ほのさんとおんなじ病院に、在宅を目指してただいま入院中。
知り合えたのは先週のこと。おんなじ病院だしね、と思いきや…。
ひぃままさんを紹介してくれたのは、遠く離れた関西のみうママさん。
ネットを通じて。

こんなに近くにお友達がいたのに、今まで知り合えなかったことがもどかしい。
父さんは「ブロードバンドにして良かったね~」と。
う、うん、そ、そうね、ネットってすごいよね…。
それはそうなんだけど。

私たちのような特殊な子育てをしている者にとっては、情報が命。
病院でおそわることは、舞台が病院であって、おうちでのことはおうちで実際に生活している
先輩かあさん&キッズたちが、なんでも一番よく知っているのだ。

それで、今日はほのさん退院までの軌跡を振り返ってみようかと思う。

2007年10月17日 ほのさん誕生
2007年11月7日 ほのさんが眠り姫となったことをNICU主治医O先生より説明を受ける
2007年12月13日U主治医O先生より気管切開の話。呼吸器をつけてお家で
暮らせるかもと。体重5000gになるのを待ってオペをすることに。
2008年1月 身体障害者手帳や小児慢性特定疾患などの書類準備
「ネオネイタルケア」や「小児看護」などの雑誌を読んで勉強。担当看護師Tさんが、ケアの内容を徐々に教えてくれるようになる。用手排尿やオムツ交換の特訓開始
2007年1月29日主治医O先生からほのさんの詳しい病状についての説明を依頼。
それを理解したうえで、今後在宅生活を目指すという意思確認。担当看護師さんともたくさん話して、今後徐々にできるケアから教えていただくようにする。
2008年2月1日 医療相談員Eさんに相談依頼
在宅への思いと、地域でほのさんが安心して暮らせるように助けてくださる、在宅医の先生、訪看やヘルパーを探していただきたい旨をお話する。
2008年2月17日 ほのさん4ヶ月お誕生日 体重5000gを越える
2008年2月20日 身体障害者手帳 肢体不自由第1級 取得
2008年2月28日 父さん母さん相談員Eさんと面談。本格的に在宅チーム探し始動
2008年3月14日 気管切開オペ
吸引・マーゲンチューブ入れ替え・注入特訓開始。 小児科病棟見学
2008年4月17日 ほのさん6ヶ月お誕生日 小児科病棟へ転科 主治医T先生
小児科病棟では朝9時から夜9時まで面会できるので、できるだけほのさんのお世話は看護師に頼らずかあさんがやるように。手技だけではなく、ほのさんの出すサインをよみとれるようになるのが目標。
小児科入院は最長3ヶ月と(勝手に)設定し、その3ヶ月内でほのさんをつれて帰れる自信をつけ、その他物品や機械類の手配、各種関係機関の調整などをする。
2008年4月23日 決定した在宅医の先生が病棟を訪問してくださる。
在宅での生活はできるだけシンプルに。そして無理しないこと、抱え込まないことが鉄則と。
在宅用呼吸器をどうするか、酸素を切れないか、薬を減らせないか、などいかにシンプルにするかを相談。
2008年4月30日 吸引器・特殊寝台の申請
2008年5月1日 バギー採寸
お家に帰ってからの生活の具体的イメージを持つために、注入時間などを変えていく。
2008年5月14日 呼吸器をセクリストから在宅用パピーⅡに変える
2008年5月21日 合同カンファレンス(主治医T先生・在宅医T先生・訪看・ヘルパー事業所・区役所支援課・地域保健師・医療相談員・小児科師長・両親
2008年6月 バギーへの移動練習開始
小児科病棟内散歩⇒病院内散歩呼吸器の取り扱い・アラーム対応・回路交換など、メーカーと一緒に勉強
2008年6月中旬 酸素オフ 無気肺予防のためエリスロシン開始  
2008年6月7~8日 第1回院内お泊り 院外初散歩
2008年7月13~15日 第2回院内お泊り 2泊目はかあさんとほのさん2人で。
テストドライブ実施
自宅へ試験外泊の話もあったが、かあさん病院通いのストレスもピーク。父さん母さんとも不安要素なしで、
2008年7月23日 退院


 

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by honohono1017 | 2009-05-10 14:50 | History


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