ほのさんのバラ色在宅生活 |
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震災から3ヶ月たった、6月11日、
各地で大規模な、脱原発デモが行われた。 その様子をメディアを通じて見ていて、 かあさんが思うようないわゆる「デモ」というのとは少し違う印象で、 いわゆる「シュプレヒコール」というようなものではなく、 あらゆる年代の、 参加した一人ひとりの「おもいおもい」という感じだった。 だが、それを見ていても、 自分が暮らしている国で、いままさに起きていること、 というような臨場感と現実味が持てず、 ある一定の問題意識はあるものの、 「視点」を持って、行動する、 というには至らないでいる。 原発の問題にとどまらない。 長いスパンで見た、日本の復興。 混乱した、政局。 いろいろな問題があって、 そのどれもが、一人ひとりが真剣に向き合わなければならないもので、 自分自身ももれなくそうなのだが、 この3ヶ月間というもの、 どこか逃げ腰で、 向き合うことを意識的に避けてきたのかもしれない。 そうでなくても、ほのさんの体調が落ち着かない日々であり、 自分自身の体調も、すこぶる悪く、 浮き足立っている理由を深掘りし始めたのなら、 日々の生活すらもままならなくなり、 ほのさんの小康をたもつことにも自信がもてなかったのだろう。 恐るべし、災害の影響。 そして、被災地の方々の心のうちには、 到底、慮ることなど、できない。 そんな中、つい先日のことだが、 居住区の、役所の障害担当課の方の訪問を受けた。 ほのさんが退院した直後も、 色々な制度を利用する申請をするにつけ、 「子どもは例外」、「前例がない」という決まり文句を言う担当者に、 一度、ほのさんの生活の様子を見にきてください、 とお願いしてやっと訪問してもらった、という経験もあったので、 明確な目的も無く訪問を受けるということに、 今回は少しとまどいもあった。 震災当日の様子などを聞かれ、 ほのさんについている機械類の説明や、 停電時の対応など、 バッテリーや、バギーなども、 良い機械なので、実物を見てもらいながら、お話した。 あの日、地震発生から3時間が経った頃、 この障害担当課からは、 安否確認の電話を頂いた。 聞けば、本庁からも、 把握している限りの在宅患者のところに、 兎にも角にも、連絡をしなさいという指示もあったそうだが、 そうでなくても、あの日、 自分の頭に浮かんだのは、 ほのかちゃんの顔でした、とおっしゃった。 これまで、担当者の異動や、 我が家の転居などで、 たくさんの役所の方と関ってきたが、 この言葉は、 ほのさんと、かあさんの心に響いた。 そんな嬉しい言葉を頂かなくとも、 あの日、 大きな揺れで、ひっちゃかめっちゃかになった家の中で、 ほのさんと2人きり、 職場のとうさんや、家族とも連絡がつかず、 余震のあいまをぬっては、 万が一に備えて、ほのさんの避難の準備をするのだが、 こんなときにどうしたら一番安全が確保できるのか判断もできず、 テレビに映し出される、恐ろしい津波の映像を見ては、 途方に暮れていた…… そんな時に頂いた、この安否確認の電話。 どんなに有難かったことだろう。 我が家からは一切、電話が通じず、 マンションのエレベーターも停まってしまい、 今後、起こりうる最悪のことを考えた場合に、 どうしたらよいのかと病院に相談したい旨を話すと、 役所が代わりに、病院に連絡を入れてくださったのだが、 当然、ほのさんが元気な状態だったので、 「マンションが避難勧告でも出ない限り受け入れは不可能」 という返事を、 役所を通じてもらったのだった。 その後の病院の対応としては、 計画停電が始まって2日目、 「バッテリーは準備できているか」という主治医からの電話をもらったのだが、 今後のことを考えて、 きちんと病院と相談しておきたいとずっと思ってきたのだが、 ちゃんと話し合う機会を作る努力をするでもなく、 本当に何が困っているかということを話す気力も無く、 ただ、今日も無事に過ごすことができた、 今日も、きょうも…… という具合に、 3ヶ月という月日が流れてしまったのだった。 そんな風に過ごしていてはいけない、 と思うきっかけを与えてくれたのは、 この役所の方だけではない。 東北の被災地に住んでいながら、 いつも、ほのさんのことを心配してくれて、 ほのさんの機械類にかかる電力などを計算したり、 避難方法はどう考えてくいるのかなど、 気遣ってくれる、工業高校に通う青年。 高齢のお母様が急変して、 呼吸器の音と、モニターの音を聞きながら、 病室で、最期の1日を付き添われた時に、 我が家がいつも、 ああ、こんな音を聞きながら、 幸せに暮らしているのかと、 ほのさんのことを思い出しました、とお話してくださった方……。 世の中は、無常でも、 みんなそこで、 生きているんだ……。 もうすぐ、来月7月23日で、 ほのさんは、おうちに帰って3年目を向かえる。 そそっかしくて、ズボラなかあさんだが、 ほのさんをおうちに連れて帰るにあたって、 ひとつだけ、 心に誓ってきたことがある。 「思いの限りの善処を尽くし、後悔を残さないこと」 ほのさんの体調が揺れれば、不安で不安で仕方ない。 自分が体調を崩せば、ほのさんのお世話がキツくなる。 そうでなくとも毎日寝不足で、疲れは溜まる、一方で。 だけど、 ほのさんのいのちは、 その瞬間、瞬間に、 後悔が無い。 いつも、精一杯、 生きている。 それなら、お手伝いするかあさんも、 どんな理由であれ、 「あの時、ああしておけばよかった」 と思うことが無いように、 思いつく限りの、 最善を尽くそう、と。 そうすれば、 ほのさんのいのちに、限りが来た時に、 ほのさんは、一生懸命、生きた、 かあさんも、精一杯、おてつだいした、 それが、いのち、 だと、思うから。 そう思って、 大切に、たいせつに、 過ごしてきた、日々だったのに。 その誓いをした、 自分の心。 ちょっと、くもっていたのだと。 電気を頼りにした、機械がたくさんくっついたほのさんでも、 助けてもらえば、何でもできる、 どこへでも行ける、 「元気な子」だ、と思って、 過ごしてきた。 「元気な子」だと思えるほどの、 支援を頂いて、 過ごしてきた。 それなのに、 電気が止まれば、 「元気」なまま、 いのちが終わっていく…… ということをリアルに感じ、 それは想像以上にショックなことで。 「当たり前」のことは、 「当たり前」ではなかったのだ、と知り。 自分ひとりでは、 ほのさんを外に避難させることもできない、 という自分の無力さが、 体の隅々にまで、染み渡り。 それで、 いのちを「守る」ということを、 この無常な世で、 何があっても「守りきる」ということであると、 思い違いをしてしまったのかもしれない。 大切なのは、3年前の夏に誓ったこと。 「思いの限りの善処を尽くして、後悔を残さないこと」。 ほのさんのように、 社会のシステムや制度によって、 わかりやすく「支援」を受けていると、 その生活に不自由が生じた場合に、 それを、何かのせいに、 誰かのせいに、しやすい。 制度が整っていないから、 理解がないからだ、と。 でも、大事なことは、そんなことではない。 ほのさんも、かあさんも、 そんな世の中で、 生きていて、 誇りを持って生きているのだから。 大切ないのちが、たくさん奪われていく中で、 いま、こうして生きていられるのなら、 「いま在るいのち」を大切にすることが大事だと、 確信していながらも、 いまの備えでは対処しきれない、長時間の停電時の対応や、 避難方法の確立など、 考えておかなければならないことがたくさんあるのに、 「思いの限りの善処を」尽くしていない、 この3ヶ月間の、自分。 自然界に生きる、ヒトとしても、 非常事態にある、日本の国民の一人としても、 ほのさんの、母親としても、 向き合うことを恐れて、 逃げ腰で、やり過ごす日々は、 もう、やめだ。 今日からまた、 思いの限りを、尽くそう。 大切なものを、 大切にできるように。 見えないけれど、 「心持ち」は、 意外と、 重要だ。 読んでくれてありがとう。 ポチッとな↓ も、お願い! にほんブログ村 にほんブログ村 このブログ「ほのさんのバラ色在宅生活」が 本になりました♪ 「ほのさんのいのちを知って」 絶賛発売中☆ 紀伊国屋書店 TSUTAYA ONLINE eb!STORE アマゾンでも入荷したみたい。送料無料ですので、ぜひ。 ↓ ↓ ↓ ↓ アマゾンで「ほの本」購入
by honohono1017
| 2011-06-13 16:07
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