ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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東大生の訪問、振り返りあれこれ。

ひょっとしたら、もう二度と元気にならないんじゃないか……
そんな風に思うほど、具合悪くなってた、
この1週間。

かなり、精神的にも落ち込んでいたけど、
ようやく復活した、かあさん。

いのちについてとやかく言っている自分が、
ちゃんと自分の持病とも向き合えず、
ホント、ダメダメなわけで。

不規則&寝不足の生活のせいにばかりしていてはいかん!
と思いつつ、
なんだかんだ理由付けして、
逃げようとする、弱い自分。

どげんかせんと、いかん(ふるっ)。



さて、話は1週間前の日曜日にさかのぼる。

自立支援を学ぶ、東京大学の学生さんを
お迎えしたときのこと。

事前に、そのうち何人かの学生さんは、
実際に障害者支援のボランティア活動などをなさっていて、
熱心な方々だと、うかがっていた。

ほのさんも、「障害者」に含まれるのだが、
「小児」ということで、
かかえる問題が特殊である部分も多く、
そのあたりも含めてお話すれば、いいのかしらん、
と、思っていた。



最寄り駅から徒歩圏内の我が家だが、
はじめていらっしゃる方には、
その道順がなんとも説明しずらいところで、
(かあさんが方向音痴ということもあり)
タクシーの方がわかりやすいです、とお話していたものの、
学生さんたちを歩かせる辺り、
さっすが、引率者(笑)。

迷いながらもなんとかたどり着いてくれた御一行。
自己紹介をしてくれる学生さんたちの、
目の輝きようといったら、
自ずと背筋が引き締まる思い。

ほのさんは、若いお兄さんお姉さんがたくさんきてくれて、
とってもうれしそうに、
ひとりひとりと、握手してもらった。

学生さんたちは、それぞれたくさん質問をもってきてくれて、
しかも、その質問が、
ドキッとするほど大切な部分だったり、
いい加減には応えられない、
とても難しいものばかりで、
日々、学生さんたちがしている学びが、
どれだけ有意義で、
たくさんのことを考え、考えながらやっているのかを、
うかがい知ることができるものだった。



『ほのちゃんは、自立生活をすることができると思いますか』
という質問があった。

とても抽象的だけど、
『自立生活』ということの大切さ、意味を深く考えているのだろうな、
という質問であり、
かあさんも、常々、
ほのさんに「自立した生活をしてほしい」と望んでいるので、
余計に、どう応えようかと、迷った。

それで。

『自立生活』というのは、どういうものだと思っていますか?
と、最初に聞いてみた。

すると。


『自立生活とは、手助けしてくれる人がいて、
利用者を主体とした生活のことです』と。

たとえば、脳性麻痺の方と、一緒に買い物に行く。
お店の人に何かをたずねると、
答えが、全部、付き添いの自分の方に帰ってくる。
ご本人は、うまく伝えることができなくとも、
「買い物をしている」のは、そご本人であるから、
自分たちは、その方の意思をかわりに伝えているだけだ、と。

自分たちが何かを手伝う。
その人は、自分では何もできないかもしれないけど、
手伝ってできる、というのは、
「その人ができる」ということだ、と。

そこまでを聞いて、
かあさんは、
ひょえ~!!
って、なった。

「自立支援を学んでいる学生」と聞いて、
かあさんは勝手に「自立支援法」とか、制度的なこととかを
学んでいるのかな、と想像してしまっていて、
だから、実際の、ナマの、
ほのさんとの生活を伝えたいなあと思っていたんだけど、
彼女らは、実際に、
肌で障害者の「生活」というものを感じ、
その人たちが本当の意味で「自立」する生活、
というものを探っているんだなあ、と、
質問されている立場を忘れ、
ただただ、感心してしまった。

かあさんは、ほのさんが生まれてこの3年間、
いろんなことがあり、
いろんな壁にぶち辺り、
ほのさんのようなこどもたち、
あるいは障害とともに生きるひとたちの苦労など、
初めて知ったに等しいわけで。

お会いした学生さんたちがなぜ、
「自立支援」について学ぼうと思ったのか、
動機は色々だと思うが、
彼女たち活動が、
ただ単に、人の役に立ちたい、という気持ちというだけでなく、
自己満足や偽善などでもなく、
「人が人として生きていく」ということにかかわろうとしているのだということが
ひしひしと伝わってきて、
なんだか日本の将来も捨てたもんじゃないと感じた。



話がそれた。

結局、かあさんがこの問いになんと答えたのか。

あまりに深い質問で、
事前に答えを用意できていたわけでもなかったから、
決して必要十分な回答ではなかった(←いいわけ)のだが。

まず、
ほのさんの生活、
というより、ほのさんの「いのち」が、
「自律」している、
ということを説明した。

栄養、排泄、そのほかいろんな、
生きていくうえで大切な事柄に対して、
非常に誠実な「いのち」であるということ。

かあさんのように、
お菓子食べ過ぎて、ごはんいーらない、
とか言わないし、
自分の不摂生で便秘になって、
じゃあ、下剤飲んじゃえ、
みたいなこともしない。

一見、こちらが一方的に決めているようにみえる
生活のリズムも、
ほのさんの体のリズムにのとったものであり、
健康なときは、そのリズムが正しくすすみ、
調子が悪くなると、
そのとおり行かなくなるが、
薬などにも頼らず、
自分の生きる力で、修正していく。

そして、「自立」のほう。

一見、眠っていて、
何も意思表示をしないように見えるかもしれないが、
ほのさんは、ほのさんなりの意思表示の仕方を持っていて、
それではっきりと、自分の「好き嫌い 」や「快不快」を表している。

それらの意思表示は、
かあさんが母親であるからわかるという部分も確かにあるが、
実際に、ヘルパーさんや訪問看護師さんたちとは、
意思疎通をしながら生活をしている。

だから、まず、
「手助けしてくれる人」と、継続的なかかわりを持つことが必要で、
その中で、ほのさんがどんな子なのか、
何が好きで、何が嫌いなのか、
どんな方法で意思表示をするのか、
ということをわかっていってもらうことが、できると思っている、と。

そして。

それをわかっていくには、二つの視点がどちらも欠かせない。

一つは、
人工呼吸器がついていて、
その他、医療的ケアが必要な子であるから、
基本的な医学的知識が必要で、
モニターの値や、血圧、体温など、
数字の表す意味を知ること。

二つ。
医学的根拠だけではなく、
ほのさん固有の意思表示を知ろうとすること。
例えば、気分的なことでもサチュレーションの数字を下げたりする、とか。
ちょっとした体位など、気に入らないことがあると、
サチュレーションを下げることがある、とか。

医学的根拠だけにとらわれず、
人として、
どんな子なのか、どんな嗜好なのか、
ということを考えながら、
心を通わせようと、付き合う姿勢。


継続した、このふたつの視点によって、
ほのさんも、自立した生活を送ることができると考えている、
と、答えた。


学生さんからは、
その二つの視点もそれに含まれると思うが、
医療や支援に携わる人に必要だと思うことは何か、
という質問が、続いて出た。

これも、どこへ行っても聞かれること。
そして、それはとても難しい。
医療者として必要なこと、
患者家族側から見て望むこと、
いろんなことが考えられるわけだが。

かあさんは、
「はじめに『いのち』がある、ということ」を、忘れないこと、
と、お答えした。



また、将来、出産したいと考えているが、
ほのさんを生んで、いのちに対して、
考えがかわったことなどありますか、という質問もあった。

かあさん個人は、
とてもこどもじみていて、
将来出産したい、母親になりたい、などと考えたことも無かったので、
「母親になりたい」とはっきりと言う女学生さんを、
とても頼もしく思った。

母親になって、変わったこと。

出産の、大変さ。
もしかしたら、自分がいのちを落とすかもしれない。
元気なこどもが生まれてくることは、奇跡である……。

世の中的には、当たり前に思われていることが、
決して「当たり前」ではなかったということ。

障害をもったこどもを育てるということなど、
自分には全く無縁であると思っていたこと。

『元気』に生まれてくるのも、
『障害を持って』生まれてくるのも、
親にとっては、
本来的には、
何も変わりがない、
大切な、大切な、いのち、我が子である、ということ。

出産に関しては、
ほのさんのことと切り離して、
かあさん自身の思いも、また別にあるので、
あまり詳しくは話さなかったが、
母親として、
ありのままのほのさんを、
心から愛していることが、
伝わっていると、いいなあと思う。




今回は、特に「脳死・臓器移植」に関することを話す予定ではなかったが、
どんないのちも等しく尊い、という話の延長で、話題にのぼった。

ほのさんは、厳密に「脳死判定」を受けているわけではないのだが、
脳の機能を失っても、
家族とともに楽しく暮らしている様子は、
ほのさん自身が、自分で伝えたに違いない。

男子学生の一人は、
「脳死は人の死だと思っていた」と発言した。
そのわけを聞くと、
「それほど深く考えていたわけではない」とおしゃったが、
確かに、
脳死を人の死として、
臓器が提供され、
法改正後は、本人の意思が不明でも、
家族の同意だけで、臓器が提供されている世の中にいれば、
「深く考えずにそう思う」というのが、
実際、正直なところだろうと思った。

そんな彼も、
ほのさんが、生きいきと暮らしている様子を、
ご自身の目で確かめられただろうし、
「脳死」というのは、
「生か死か」ではなく、
「障害」のひとつ、
つまり、ひとつの「生きるかたち」だというと思ったと。

それを聞いて、
ほのさんが生きているのかどうか、とか、
脳死者がどうか、とか、
それだけにとどまらず、
彼ら自身のいのちのあり方、
あるいは、彼らのご家族や大切な方々のいのちについて、
これを機に、真剣に考えてくれたら嬉しいと思った。




フィールドワークの受け入れ先となった我が家だが、
かあさんが彼らに学ばされたことが、
どれだけ多かったことか。

将来、彼らが職業選択の時期に来て、
福祉分野などを選ばれるかどうかはわからないが、
十分な診療報酬も与えられず、
生活するにも苦しいほどの給料しか得られない、
福祉介護分野というものが、
彼らのような頼もしい存在によって、
新たな風を吹かして、
変えていってくれたら、と願わずにはいられなかった。

法律や制度などを作る、エライ人たちにも、
彼らのような「現場感覚」、
見習って欲しいなあ。




ほのさんのおかげで、
また素晴らしい出会いにめぐりあえた、かあさん。


ほのさん、あなたのおかげで、
かあさんは、
おうちからいっぽもでずとも、
せかいは、どんどん、
ひろがっていくよ。
ありがとう。


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