ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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「延命」 医療はいのちを、延ばせるか?

おとといの夜から寒気がし、
ついに風邪をひいちまった、かあさん。

引越しして落ち着いてからにしてください、
とお願いしていたいろんな仕事とか、
楽しいイベントなどが目白押しな、この何週間。

プレッシャーに弱いのか、
キャンセルできない予定があると、
具合悪くなる、昨今……

マスク、パジャマ姿で、
到着を待ちわびていた訪問看護師Iさんは、
「ほのちゃんにあんなことがあった後だもん、
おかあさん、がんばりすぎたんだよ……」
なんて、優しい言葉をかけてくださるが、
いえいえ、こりゃ、かあさんの不注意ですわ。。


さて、12月8日、NHKクローズアップ現代で、
「ある少女の選択
~“延命”生と死のはざまで~」
という番組が放送された。

NHKのホームページによると、
次のように、番組の紹介がされていた。
以下。


腎臓の「人工透析」30万人。口ではなくチューブで胃から栄養をとる
「胃ろう(経管栄養)」40万人。そして、人工呼吸器の使用者3万人。
「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。
しかしその一方、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものに
していないのではないかという疑問や葛藤が、
患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。
田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。
さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。
『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛藤を繰り返した華子さん。
自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。
華子さんの闘病を1年にわたって記録。「延命」とは何か。「生きる」こととは何か。
問いを繰り返しながら亡くなった華子さんと、
その葛藤を見つめた家族・医師たちを通じて、医療の進歩が投げかける問いと向き合いたい。




番組は、
とても、すばらしかった。

すばらしかった、というのは、
あまりにも語彙が足りなさすぎるのだが。

華子さんとご家族のドキュメンタリーを通して、
とても印象的だったことが、
2つあった。

ひとつ。
華子さんが、人工透析を拒否することを決めた時に、

「天国はお疲れさまの
場所でもあるから
おわりだけど、おわりじゃない。
こころがあるから、こわくないんです。」

「いのちは長さじゃないよ、
どう生きるかだよ」

と、言ったこと。

一般的に18歳という年齢は、
自分の意思表示をできる年齢とはいわれるが、
人の生き死になどという、
ほんとうに難しいことについて、
自分の人生と照らし合わせて、
大切な決断をしたこと、
その決断が、
そのような考えからきているということ。



かあさんも、いつも死と隣り合わせの、
ほのさんのいのちと暮らしてこの3年と2ヶ月。
いろんなことを考えた。

なぜ、幼いいのちが、奪われなければならないのか。
なぜ、人工呼吸器や、そのほかの医療に頼って生きなければならない
いのちが存在するのか。

そして、それが、なぜ我が子なのか。

ほのさんの大切なおともだちが、
天国に旅立つたびに思うことがあった。

おともだちは、みんな、
ものすごく、ものすごく、
がんばって、生きた。
力尽きたのではない。
その子の人生を、力いっぱい、全うしたのだ。
がんばった。
おつかれさま。
そして、ありがとう。

そんな風に、思い、
自分自身にも、言い聞かせた。

だが、おともだちや、
あるいは、ほのさんも同じだが、
本人たちも、
そんな風に思って、旅立っていくのだろうか、
という疑問は消すことができなかった。

こどもたちの人生は、
苦しみに満ちてはいなかっただろうか?
幸せを、家族の温かさを、感じてくれていただろうか?
辛いながらも、精一杯生きた自分の人生を、
誇らしく思って、旅立ってくれるのだろうか。

ほのさんと、暮らしていれば、わかる。

ほのさんが、生きたくて、生きているということを。

おうちでの暮らしが楽しくて、
とうさんとかあさんが好きで、
おともだちも大好きで。

だけど、
その最期を考えると、
どうしても、自信がもてなくなってしまう。
何度もなんども、自分に問わなくてはならなくなってしまう。

そんな葛藤のなかで、
この華子さんのことばは、
ある意味、救いであった。

「救い」などと言ってしまっては、
華子さんの人生に、失礼に当たるかもしれない。

だが、「親」という立場にしてみれば、
華子さんの言葉の中に、「救いを求めてしまう」のだろう。



ふたつめ。

人工透析を拒否した華子さんの選択について、
もう一度家族で話合う場面での、
華子さんのおとうさまの、姿。

「生きるって事は大事なことなんだよ。
生きているとね、いいこともあるんだよ。
せっかく生まれたんだから、
少しでも長くいきてほしいんだよ。
はっきりいって、死んだら終わりだよ」

このように、男泣きしながらおっしゃるおとうさまの姿を見て、
もう、
震えてしまった。

心からの、叫び。

華子さんが決めたこと、
どうしてそのように決めたのかということも、
全部、よく、
本当に、よく、わかったうえでの、
おとうさまの、気持ち。

家族が、「生きてほしい」「生きていてほしい」と望むことは、
あたりまえのことだ。

あたりまえの、ことだ。




華子さんの立派な人生。
そんな華子さんにたくさんの愛情を注いだ、ご家族。

その姿を見て、
かあさんは、何を思う?

華子さんは、ご両親に宛てた手紙に、

「最期まで、わたしの大好きな尊敬できる
パパとママでいて。
深呼吸しながら私のそばにいてください。」

と、書いた。



かあさんは、
ほのさんの「大好きな尊敬できる」かあさんで、
ほのさんの最期まで、
いられるだろうか?




番組の紹介の中の、一文。

『「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものに
していないのではないかという疑問や葛藤が、
患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。』

ほのさんにとって、
経管栄養や人工呼吸器は、
「延命治療」ではない。

生きるうえで、必要なものだ。
かあさんにとって、「めがね」のようなもの。

それらを総して、
「延命治療」と呼ぶ、風潮。
医療の、流れ?

かあさんは、そこに疑問を持つ。

その医療を受けなければ「死にいたる」というものを、
全て「延命治療」と呼ぶのだろうか?

それならば、
ほのさんから、人工呼吸器をはずしてしまえば、
すぐに死にいたるのだから、
「延命治療」なのだろう。

あくまで、それを提供する医療側からすれば、の話だが。

それらを一旦、「延命治療」と読んでしまうと、
「機械に頼って生きている」とか、
「そこまでして生きたいのか」とか、
言われてしまっても仕方がないと思うし、
あるいはそれを拒否した場合、
単純に「立派」だと評されたり、
センセーショナルに捉えられたりしないだろうか?

確かに、医療の発達によって、
かつては生きていられなかった人が、
様々な方法で生きられるようになっているのは事実である。

だが、医療の前に、
そこには「いのち」がある。



『「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものに
していないのではないかという疑問や葛藤が、
患者や家族・医師たちの間に広がりつつある』
のだとしたら、

それは、
これまで医療の現場で、
それらの「延命治療」と呼ばれるものを
患者が「受けるのが当然」、
「受けて生きることが患者の幸せ」と、
一方的に考えてきたということはないだろうか。

できる「治療」は、
すべてするのが、患者の「幸せ」と考えてはいないか。

華子さんの在宅医の前田医師は、
自分本人の考えを聞かれたならば、
「生きて欲しい」と答える、
と、おっしゃっていた。

立派な、医師だ。

だが、前田医師が。ここでおっしゃった、
「生きていて欲しい」と願う気持ちと、
医者が患者に、
治療を受けることを、
あたりまえのこととして、進めてしまうこととは、
全く、別だ。


医療の発達は、
「多様な生き方」の「可能性」である。

それらを選ぶのは患者本人であり、
家族である。

治療を受ける生き方、受けない生き方、
機械をつけて生きるのか、
機械をつけないで生きるのか、
どちらの生き方が「良い」とか「悪い」とかではなく、
どちらの生き方を選んでも、
豊かに生きられる、はずなのだと思う。

医療は発達した。

それによって多様な生き方を選択できるようになった。

だが、その選択そのものが、
患者家族に、完全に委ねられていないことも多いだろうし、
医療者が、選択した患者家族を支えるということが、
医療の発達に追いついていないのかもしれない。





腎臓の「人工透析」30万人。
口ではなくチューブで胃から栄養をとる「胃ろう(経管栄養)」40万人。
そして、人工呼吸器の使用者3万人。

これだけたくさんのひとたちが、
日本中で、生きている。

「生かされている」のではない。


ほのさんをみていて、思うこと。

人が豊かに生きていくうえで、
機械がついているかどうかは、
関係ない、ということ。

知らない人が見れば、
「機械をつけられて……」 と思うかもしれないが、
そこには、ほのさんの意志が存在していて、
ほのさんが望んで、
生きているということ。

どんないのちにも、
「意志」があるということ。


かあさんは、
華子さんの素晴らしい生き方と、
それを支えてこられたご家族の姿をみて、
そんなことを、
あらためて、思った。

華子さんは、
きっと天国で、
すばらしい第二の人生を送られているだろう。
ご家族にも、たくさんの幸せが、ありますように。



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by honohono1017 | 2010-12-10 15:55 | News/Report
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