ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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ほのさん誕生秘話 ~もうひとつのストーリー 番外編~

NICUの受け持ち看護師Tさんに、

「ほのさんとほのかあさん、ほのとうさんが家族になるお話」

と題されたストーリーを手渡されたのは、
ほのさんの在宅2周年記念日の、
今年7月23日のことだった。

まさか、このようなものをいただけるとは思っていなかったので、
驚いたし、とても嬉しかった。

しかし、その反面、
医療者側から見たほのさんや、自分たち家族の姿を知ることは
とても勇気のいることであったし、
自分たちの知らない事柄があるのではないかという恐れ、
とにかく、
読むに当たって、身構えたのは確かだった。



かあさんが、このブログをまとめた本、
「ほのさんのいのちを知って」(エンターブレイン)を
出版させてもらったのが、今年はじめのこと。

そのときに、医療者側から見たストーリーも、
読んでみたいなあ、
と無意識に言ったのが、
看護師Tさんがこれを書いてくださるきっかけとなったようだった。

かあさん自身も、無意識に言ったとはいえ、
ほのさんが生まれたあの頃のこと、
ショックと混乱で、うまく整理できなかった時期のことを、
あらためて客観的にみた事実を知っておきたいという気持ちが確かにあった。

そして、
ほのさんのためにも、
自分は知っておく必要があると思っていた。



このストーリーをいただいた晩、
かあさんはひとりで、寝室で、
緊張しながら、
読んだ。

自分が分娩台の上で、
突然の緊急事態だというのに、身動きもできず、
何が起きているのかも知ることもできず、
なんともいえない時間を過ごしている時に、
NICUでは、
確かにほのさんが「生まれた」という連絡が入っていた。


『16時28分、女の子!SpO2 50%で挿管!』


このたった1行が、
かあさんにとっては、
とても重みのあるものだった。

長いこと陣痛で苦しんだのに、
先生にお腹を押されてボンと出されてしまったほのさん。

のちに、「16時28分に生まれました」
と言われたけれど、
それは、かあさんにとって、大事なほのさんを
「産んだ」
という実感にも何もならなかったから。

だから、このNICUに入った連絡は、
緊急の、重症の子が運ばれてくる、
という連絡には違いないけど、
確かにほのさんが、
あの日16時28分に
「生まれたんだ」
という臨場感になったのだった。

ほのさんが生まれて、
2年9ヶ月と6日という月日が経過して……。

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ほのさんがNICUに運ばれて、
たくさんの先生方に囲まれて処置をされている中で、
看護師Tさんが、
「この子、生きるな、生きられるな」と感じてくださったこと。


きっとそれは、医学的にも科学的にも、
何の根拠も無くて、
でも、それは確かに感じられた
「生命力」というものだったとわかるから、
かあさんは、
とても、とても、
嬉しかったし、
それと同時に、
自分の不甲斐無さが身にしみた。

ほのさんが生まれてしばらくの間、
呼吸器につながれて、モニターやら何やら、
たくさんくっつけられた我が子の姿を見て、
かあさんは、ほのさんが「生きている」という風に、
感じてあげることができなかったから。

確かに、
ほのさん自身が一番辛くて、苦しかっただろうに、
いつも楽しそうで、嬉しそうで、可愛らしい姿で、
元気な赤ちゃんとなんにも変わらないな……
と感じていたはずなのに、
自分自身の辛さが先立って、
ほのさんの「生きる意志」を見出せなかったのだから。

その間にも、
看護師Tさんや主治医のO先生をはじめ、
たくさんのスタッフの方々が、
ほのさんを温かく育てていてくださったことをあらためて知り、
感謝してもしきれないと、思った。

当時、1日1時間しかなかった面会時間。
かあさんが、ほのさんにしてあげられることはほとんどなくて、
家にいても、何にも手につかなくて、
ただほのさんのことを思って作ったお人形たちを、
スタッフの方々が、
ほのさんに握らせたり、楽しげに飾ってくれたり、
そういったことひとうひとつが、
ほのさんの「生きる意志」を、
かあさんやとうさんに届く、助けとなっていた。


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とうさんかあさんが、
ほのさんが生まれて何日か、
看護師Tさんに対して、
「いつ目を覚ましますか」とか、
「鎮静剤はいつ切れますか」といった質問ばかりしていたということは、
いま、思い出してみても、
確かにそうだったと思う。

生まれたその日に、
「助かる確率は五分五分、運よく助かったとしても、
重症な障害が残ることは間違いない」
と言われていたのに、
やっぱり、まさかそんなはずがない、
と信じられない気持ちがあったし、
鎮静剤を切れば、目を覚ます、
いま、眠っているのは、鎮静剤が効いているからだ、
そう思っていたのだ。

でも、心のどこかでは、
目を覚まさないんだ、この子は……

そう気付いていたから、
主治医のO先生には、その質問をぶつけることができずに、
聞きやすい看護師Tさんには、
お顔を見るたびに、我慢できずに質問してしまっていたのだろう。


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とうさんとは、確かに、
手を繋いで面会に行っていた。

出かけるときは、いつも手を繋ぐ私たちだったけど、
ほのさんを出産したあとのかあさんは、
のちに鬱と診断されることになったが、
全く気力がわかず、
話す声も消えいりそうで、
とにかく弱弱しかった。

とうさんも、言葉には出さなくても、
これまで見たこともないほど不安そうで、
不安をかきけすためにたくさん話したり、
無理に明るく振舞ったりもしていた。

そして、かあさんを、
自分が支えなくては、
と、強く思っていたのだと思う。

だから、ほのさんのところに会いにいくまでの道のりを、
とうさんとかあさんが手を繋いで行ったのは、
看護師Tさんが目撃した時に感じたように、
そうしていなければ、病院にたどり着くこともできなかったし、
立っていることもできなかったし、
手を繋いで、お互いを感じていないと、
自分自身が生きているのかすら、
わからなくなっていたのだ。

現実感覚がなくなって、
「これはきっと悪い悪い夢なんだ」と思って逃避したり、
覚めないとわかって、どうしようもなくなったり、
毎日毎日、
そんな日々だった。

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産科の先生からの、
出産時の経過の説明、こうなった原因についての説明は、
かあさんにとって、致命的だった。

陣痛室にいて、分娩台に移動するまで順調だったのに、
さあ生まれる、という時のあまりの緊急事態だったから、
自分にしてみれば、
このお産の過程に、
病院側の、何か不手際があったのではないかとか、
もっときちんとやっていれば、
異常に気付けたのではないか、
という気持ちがあった。

だが、そうではなくて、
もともと、
へその緒の中にある3本の血管を守るためのオブラート状の組織が、
何か確かな原因はないのだが、
形成されていなかった、
それが原因で、
ほのさんが「産まれよう」として下に下がってくる過程で、
負荷がかかって、一番太い動脈が切れてしまった、
ということだったのだ。

ほのさんの陣痛が始まって入院したのが、朝10時頃。

そのときはまだ陣痛も弱く、
子宮口も開ききっていなかったので、
生まれるのは、次の日になるかも、
と言われていたのだが、
午後になって、急に陣痛が進んで、
16時28分に生まれた。

だから、もう少し、
ほのさんがゆっくり、ゆっくり、
降りて来てくれれば、
血管むき出しのへその緒が切れることはなかったんじゃないか、とか、
いやいや、
ほのさんが、すぐに出てこれるまで下に下がってきてくれていなければ、
すぐにお腹を押して出すことができずに、
助からなかったんじゃないか、とか、
考えても仕方の無いことを、
来る日も来る日も、
考えた。

そして、
ほのさんは、
生まれたくて生まれたくて、
早くお腹から出て、
とうさんとかあさんに、
会いたくて仕方が無かったんだ、
と、自分に言い聞かせていた。

つづく……



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by honohono1017 | 2010-10-28 11:44 | Event
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