ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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社会的「死」の怖さ

先週の土曜日の話。
月に一度のT先生の往診の日。

臓器移植法のことについて、うかがってみた。
(普段、いろいろここにも書いているし、公に思いも言っているのに、
なんで、主治医の先生にうかがうのは、緊張するんだろう…)

T先生は、ほのさんのことを「脳死」とは思っていないと。
なぜか。
こういう状態であっても、
2,3日で心臓が止まってしまうようなイメージが湧かない子に、
そもそも脳死判定などをしようということにはならないからだという。

おそらく、ほのさんは、生後3日目に、
いのちの危機は脱しました、と言われてからも、
何度も具合が悪くなったりしたが、
NICUにおいても、実際、そのようなイメージはもたれていなかった。

だが、今回の法案は、そういう「イメージ」の話ではない。
「イメージ」と言っても、臨床的診断、ということなのか…。
それに、みんながみんな、T先生のように、
いのちの未来を考えてくださる良い先生ならいいが、
そうではないし。

…と、色々と言いたいことはあったのだが…。

「ほのちゃんは、脳死とは違う」というT先生の言葉に
どこかしら安堵していた自分にきがついた。

脳死の「死」の字に対して、
脳が死んでるから、死んでます、と言われることに対して、
現にほのさんが目の前で元気にしているにもかかわらず、
そのことから来る、得体の知れない恐れ、
違和感。

それらを、T先生が否定してくれたのだろう。

T先生が、このように言ってくださったのは、
私たち家族を気遣ってくださったのもあり、
実際、その「脳死」の定義が難しく、答えがない、ということもあり。
だから、いいんだよ、ほのちゃんがいてハッピーなんだから、と。

先生のおしゃることはすごくよくわかる。

でも、先生がそう、おっしゃってくれたからこそ、
ますます、
そうじゃない。

臓器移植とは関係ナシにしても、
脳が「死んでいる」と言われること、
脳が「死んでいる」から「死んでいる」と言われること、
そのことが、どれだけおかしなことで、
その言葉ひとつにどれだけ動揺させられるか。

かあさんは、生まれてきた時にも「死にかけ」た我が子を見、
昨年末にも、この楽しい我が家でどす黒くなって「死にかける」
ほのさんを目の当たりにし、
それでも、それよりも、
言葉で、客観的に、
「死」と言われることが怖い。

ほのさんにいつかやってくる「死」は、
すごく自然なことだ。
かあさんにも「死」はやってくる。

だが、言葉によって生きているのに押し付けられる「死」は
全く違う。

人は、人を、
社会的に殺すことなどできない。
してはならない。

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by honohono1017 | 2009-06-24 23:42 | normalization
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