ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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いま、本当に議論しなければならないこと

前にも書いたが、
今回の臓器移植法改正でA案が衆議院で可決されたのは、
一つには、
臓器移植を待ち望む患者ご家族が、
これまで長年の間、訴え、行動を続けられてきた成果であると思う。

一方で、かあさんたち「長期脳死」と言われる子は、
法律が変われば、眠りから覚めるような治療が受けられるようなこともないし、
お金がたくさん集まれば、何か有効な治療を受けられる、というわけでもない。

それに、ほのさんと自宅で暮らすということは、
たとえほのさんがどんなに安定した状態だとしても、
24時間注意してみていなければならないし、
良いコンディションが保てるように、
日々のケアの仕方を、毎日毎日考えては直し、考えては直し、
医師とは別な立場で、我が子のいのちと、健康を守っているのである。
だから、その生活は、どうしても世に出ることはないし、
ひっそりと生活しているつもりはなくとも、
どうしたって、「人知れずこういう子達が存在していた」ということになってしまう。

かあさんだって、ほのさんのような子の親になっていなければ、
この子達の生活がテレビに映し出されているのを見て、
何を思ったかわからない。
人間は、どうしたって実際にそういう立場にならなければわからない、ということがある。
だからこそ、こういう子の親になった以上、
この子たちの、いのちについて多くの人に語る責任があると思っている。

それなのに。
「この期に及んで長期脳死のこどもがテレビに映っても…」とか、
「やっぱり、助かる命を助けよう、と判断した人の方が結局多かったから」…だとか
どうしてそのような見当違いな中傷を受けなければならないのだろうか。


我が子が産まれてすぐに人工呼吸器をつけられた姿を目にしたとき、
その機械は延命のために付けられているものとしか思えなかった。
機械によって生かされているようにしか見えなかったし、
だからこそ、その機械をはずして下さい、と
申し出なければならない日がくると信じていた。
だが、ほのさんのいのちと1年8ヶ月歩んできて、
ほのさんはこの機械に生かされているのではなく、
ただ、ほのさんの肺が外に出ているだけで、
その機械の助けを借りているんだと思うようになった。

ほのさんが、機械をくっつけられて、
無理矢理生かされているようにしか思えなかったら、
それが、ほのさんにとって、辛い人生のようにしか見えなかったら、
かあさんは、今のようにほのさんを愛することはできなかったと思う。
生きてるのか死んでるのかわからなかったら、
今のように、可愛いと思えなかったと思う。

「長期脳死」の子でも、髪は伸びるし、歯も生える…とよく報道されている。
逆を言えば…
死んでいる子が、
機械によって生かされている子が、
お腹を壊したり、カゼを引いたりするだろうか。
フツウの人と同じように、
体調の良い日と、悪い日があったりするだろうか。

かあさんは、小さい人間だから、
「子どもがどんな状態であっても、親は可愛いと思えるはず」というのは
きれいごとじゃないかと思ってしまう。
だから、そんな弱いかあさんでも、
我が家が今、どこの家庭にも負けないくらい、幸せな生活を送れているのは、
ほのさんが、フツウの子と同じように、
元気にスクスクと育っており、
声にならない声で、
かあさん、かあさん、と呼びかけてくれているからであり、
これは、強がっているのでもなく、
無理しているのでもない。
それが、一般に「長期脳死」と呼ばれる子たちの、
いのちの、
真実です。

だから、知らない人から見れば、痛々しいかもしれない、
残酷に生かされているようにしか見えないかもしれない。
でも、知っている人から見れば、
ひょっとしたら、誰よりも強い生命力で、
ただ生きることに精一杯なこのいのちの真実。
これを伝えたかった。

今回の臓器移植法改正では、
一律「脳死=人の死」とするあまりにも横暴なくだりがあるので、
物事の表面しか見えない人にとって見れば、
臓器移植を待っている人たちを否定しているようにしか見えなかったのかもしれないし、
両者の立場を対等に扱ってくれようとした良心的な報道が、
結局は双方が対立する立場であるように映してしまったのかもしれない。

臓器移植の問題は、明日、誰もがその当事者になりうる、
いのちの問題だ。
それなのに、このような中傷をする人たちは、
自分には全く関係のない問題であるという立場に立っていながら、
そんな立場に立っていることに気付いてもいないし、
ある高みに立って、
いのちに優劣をつけたり、
こっちの人が頑張ってるとか、
こっちの立場の人は理屈にあってないとか、
そういうことを言うけれど。
かあさんは、そんなに法律のこととか、世界的水準とかわからないけど、
少なくとも、いのちの素晴らしさを知っているし、
我が子の生死に真剣に向き合っている。
それは、誰にも否定できないし、否定する権利もない。
なぜなら、それが真実だから。

そういった、心無いひとたち、
いのちのことを語る資格のない人たちに、
かあさんたち「長期脳死」の子の親たちが、
臓器移植を望む人たちと対立して否定しているように思われてしまっても、
それでも、かあさんたちは、
どうしても「優劣」の「劣」を付けられてしまいがちな、
我が子たちの弱くて強いいのちを守るために、
これからもたくさんのことを、世の中に言っていかなくてはならない。

それに、中傷されるのはやっぱり痛いけど、
ほのさんや、たくさんのお友だちの、毎日生きることへの頑張りに比べたら、
それくらいの傷はなんでもない。
理攻めで非難されても、
いのちって、
理じゃないんだよ。
もっと、
すごいんだよ。

残念ながら、私たちは、
娘たちに、
それに対しては何をもってしても太刀打ちできないほどの
いのちの素晴らしさ、
力強さを、
教えられてしまった以上、
どんなことを言われても、
その真実に気付くことができない、
素直に、いろんな意見に耳を傾けられない人たちが、
哀れだな、としか思えないけれど。

いま、こうやって、臓器移植法のことで、
たくさんの、「知られざる」いのちにスポットが当たって、
生きるとはどういうことか、
生とは、死とは、
という大切な問題を世の中の人が真剣に考えなければならない
大事な時です。

どの立場がどうだとか、
こっちの人がどう言ってるだとか、
そんなくだらない議論にしようとしないで、
世の中の人たちが、
色んな立場の人たちの意見を聞くことで、
共感的理解をし、
人間の生死が、
「臓器移植ありき」の法律の中で、
「脳死=人の死」と決められようとしているこの危険な事態に気付き、
自分のこととして議論が深められていくように、
みんなで努力していこうと思いませんか。

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by honohono1017 | 2009-06-21 15:05 | normalization
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