ほのさんのバラ色在宅生活


低酸素脳症、人工呼吸器をつけた娘とのナナコロビヤオキ的泣き笑いのバラ色在宅ライフ
by honohono1017
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「長期脳死」の子をもつ母として思うこと その9

2ちゃんねるで、「我が子の臓器提供できますか?」
というスレッドが伸びているそうです。

そこで、意外なことが。

「もし、自分のこどもが脳死になったとしたら」という場合の本音は多く語られている一方、
「もし、自分のこどもが移植が必要になったら」という場合の本音はあまりでてこないというのです。

これを聞いて、かあさんも少し考えました。

かあさんの立場はどうしたって「長期脳死」の子をもつ母のたちばであり。
だからこそ、表に出にくい立場の意見を言おうと思っていたのですが…。

この2っちゃんねるの現象をみたある方は、
「たとえ匿名でも、臓器を貰う側、というのは、弱い立場なので、こういう場所で本音を語り合うのはむずかしいのでしょうか。」
と分析されていました。

それを聞いて、二度びっくりです。

「臓器を貰う側は弱い立場」…

ドナー家族、レピシエント家族、今のところその両者にあてはまらない人から見れば、
そのような見方もできるのかと…。

それを知って再度、思うことは…
子どものために臓器を提供してください!と言う親がどうだとか、
脳死の子どもの臓器は提供しません!と言う親がどうだとか、
そういう議論ではないと言うことです。

どちらの親の思うことも真実であると思います。
それをどうこう言わなければいけない、この臓器移植法改正の議論が、
そもそもおかしいわけで。
そこに議論が生まれるということは、「脳死=人の死」にすることにムリがある。

ただ、我が子が病気になったら、脳死になったら…と言うきりくちから、
小児の臓器移植について考えることは一番現実感が湧きやすいのも事実。
でも、それを考えたなら、その議論で終わるのではなく、
では、ひとのいのちとは果たしてどういうものなのか、
ひとが生きるとは、死ぬとはどういうものなのか、
ということまで深めて、
法で人の死を定めることの難しさや危険性をみんなで考えていきたいと思うのです。

臓器移植を希望する親御さんも、
眠り続ける我が子と毎日一生懸命生きる私たち親も、
誰も責められるべき人はいないはず。

助けるも助けないも、提供するもしないも、親のエゴか?
親のエゴ、上等。

それとは別の、こどもたち一人ひとりの、本来の生きる意志を。
儚げでありながら、それはそれは力強い生のチカラを。
みんなで考えられる機会になるように。

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by honohono1017 | 2009-06-10 23:11 | normalization
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